『秋のソナタ』を評して「ベルイマン節」と銘打ち、「愛情という名の絹糸のしなやかさを持った荒縄で縛る緊縛プレイおよびその主従関係の逆転劇」と喝破した友人がいる。
まるでヨハン(エルランド・ヨセフソン)が息子ヘンリック(ボリエ・アールステット)に投げかける言葉だ。
リヴ・ウルマン扮するマリアンが別れた夫ヨハンに数十年ぶりに会いに行く。そこで美しい孫娘カーリン(ユーリア・ダフヴェニウス)と出会い、父親ヘンリックとの確執を告げられる。亡母の手紙で父娘の確執を母は予見していたことを知ったカーリンはヘンリックの元を去る。愛娘に去られ、父親ヨハンからも皮肉しか浴びせられなかったヘンリックは自殺未遂を犯す。そこでも天に唾する言辞しか弄せないヨハン。苦しむヨハンをマリアンは受け止める。
ここでは健全さがもつ醜塊さ。この場合は性欲、愛情欲、物欲(知識欲、金銭欲おまけに高い知性)をまともに持ち続けている老人や、それらの欲望が倒錯の一歩手前で踏みとどまっている危うさ、そして、家族愛ですら(であればこそ)いかに倒錯に、または憎悪に転回しやすいかが、ヨリを戻す老境の夫婦を通して凝視しつつ描かれる。
でもそれはあくまで一面的な見方で、それらの緊縛プレイにハマりながらもがき、孫娘は父親からの愛情を裏切れないまま生きてきたし、ヨハンは息子との50年前のやりとりを恨に持っているのに孫娘には将来への便宜を図る。マリアンは老醜をさらす男に愛情をもって接する。このようにしか表出できない様々な愛情のかたちがこれでもかと濃密に示される。

褒め言葉ばかり連ねたし、スゴイ作品だとも思うが、実はあまり好みではない。いくら老醜をまんま映す映像なのだと言われても美しくないんだもん。
ヨハンがヘンリックに放つ皮肉よりもヘンリックがマリアンに言う嫌味の方がワンランク落ちているのがわかるくらい吟味されたダイアローグ。ツーショット長回しに耐える演者の技量。アップが多く風景は最小限。剃刀の切れ味をもったブッタ切り編集。とにかくしんどい。とまあ、この濃密さが中々描けないんだよなー。今の自分なら出来るかもと自惚れてみる?
老人と言えば好々爺と認知症的イメージがせいぜいの、そして家族愛と言えば大家族バラエティをはじめとするキー局的価値観に洗脳された者共よ思い知れ。何言ってるかわからないって?久しぶりにわからない客がいっぱいいるだろうなーと思わせる作品だった。況やカルトによる緊縛プレイに狂喜するM集団と化した友人の実家をや。いけね忘れてた、キリスト教との関係について…はまたの機会に。

「自分以外は全て敵」から出発し、個人と社会(およびその構成単位)とのかかわりを構築していった歴史が厳然と在る欧州で成立する物語。そうであるがゆえに孫娘カーリンの行く末への視線を持ち続ける祈りにも似た賭けが、ラストでマリアンが娘マッタに触れることに重なる。世界史の最先端たる地で、人間観を鍛えるツールになればと考える。
だれにでもお勧めできる作品ではない。ひねくれ者の私はここへICBMをぶち込んだらどうなるかなんて想像してしまう。え?タルコフスキーがもうやったって?