作品観ないとわからん文章で恐縮です。
DVDだが、観た。巷間では賛否両論らしいので興味がわいたのだ。
評が難しい。『火まつり』もそうだが、作りこんでいるバックグラウンドとその向こうの、本来のバックとの解離が気になった。
冒頭の長回しも含めて「映画的」なもののオンパレードをオタクチックにヤラレテモナー的な意見と、題材というより、ほとんど原作といっていいノンフィクション側からの批判は、ことごとくかわすことができる。その準備がほぼ完璧にできていることに、苛立った。
柳町監督のことを「くやしいけど頭が良すぎる」とおすぎが言っていたのを覚えているが、この作品は件の事件に切り込んでいないという点で、批判可能だが、批判のほとんどは想定可能だといわんばかりの内容になっている。「結局映画製作ごっこじゃないか」という批判にたいしても、ラストの撮影シーンできちんと答えている(開き直り半分か)。
不条理殺人と映画製作ごっことの共通項を、そして決してこのふたつは接点を持てないということを描ききった点では成功作なのだろう。
私なら、その向こうの、接点を持ってしまった後を描く。劇中作品をきちんと作って、諸々当不当な批判を受けた彼ら学生たちが、どう取り組んでいくのか。
むしろ柳町監督がワークショップで培った経験のあとをどう描くかの方に大変興味がわいた。デビッド・リンチ的な、作品構造が壊れる瞬間などと、悪意を持ってしまう。もちろん、監督にはその力量があるのだから言えるのだが。

え?その余裕はないって?ならフィクションとノンフィクションとの間を想像力で埋める作業、つまり構成会議のブレインストーミングやシナリオハンティングの作業をハコ書きで取り入れるのはどうか?あ、そうか、あえてこれを割愛したから各々の批判をかわせるのか。