augusterbottiのブログ

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Amebaでブログを始めよう!
こんちわ、こひです。
長くなるので覚悟してください。

まず、アメブロの方には書いていなかったので改めて書きますと、2020年からボイスブログというものを始めてみました。
詳しくはこちらにて。
https://radiotalk.jp/talk/212268
やっていて今のところ楽しく出来ていたので、恐らくアメブロを書くことはもうないだろうと思っていたけど、ボイスブログを始めてから文面でしか出せない色みたいなものがあるということを確信し、今こうやって久々にブログを書いています。両立が大事なのね。

ゆめこさんとの新プロジェクト「怪世らせら」が始動いたしました。
準備期間、およそ7ヶ月。長い様に聞こえると思うけど、ほんっとに一瞬だった。一瞬すぎて若干引いていました。
予告動画がYouTubeにあがってます。こちらもぜひ。
https://youtu.be/-jJwldFwtzY

この動画に使われている楽曲は「はじまリ」という曲で、ボイスメモ遡ってみたら去年の9月9日に生まれていました。ワンコーラスのみの3分弱の楽曲に込めた僕の願いをお話します。

これまでの僕の人生において、アニメーションというものは僕にとって紛れもなく「希望」でした
うだつの上がらない日常。
ヒーローになれない自分。
魔法の一つも使えぬ友人。
いつも立ち入リ禁止の屋上
女の子は空から降って来なくてバイト先で出会うし、サンタクロースの正体はいつだって自分の親だった。
そんなつまらない現実から目を逸らす様に僕はアニメーション作品を見て、そこに広がる夢に心を奪われていました。
そんな右腕に何かを宿した少年は、じきに自らその夢を描いてみたくなっていました。
幸いにも、少年はギターを弾けたのでたくさんの仲間に出会って自分が夢の発信者になろうとしたのです。

そうやって、この「怪世らせら」という物語はスタートしていきました。

でも、作れば作るほど、そこにあったのは夢なんかじゃなかったことに気付いていきました。
地球が、宇宙から見たらとても綺麗な星だけど、内情はゴミに溢れた薄汚れた惑星であるのと同じ様に、自ら夢の発信者になろうとすればするほど、そこにあるのは紛れもない「フィクション」だと言うことに気付いてしまったのです。
宮崎駿監督がいつかのインタビューで語っていましたけど、アニメーションというものはどこまで行ってもフィクションでしかないのよ。
だってさ、そうじゃないですか。
例え、男の子と女の子が運命的な出会いを果たしたとて、現実世界でその後ろに音楽が流れていますかね?
流れているのは、街の喧騒。良くてもどこかの店の有線放送の音漏れが聞こえる程度。
ある意味で、アニメーションっていうのは「嘘を見せる商売」をしているんですよね。

でもさ、例え真実がそうだったとしても、それを作る人間は決してそう思ってはいけないじゃないかなって思うんです。
思ってはいけない、というか、それからまた目を逸らし続けなければいけないんじゃないかなぁ…。
わかっている。わかってはいるんですよ。もちろん。
当たリ前じゃないですか。良い歳にもなって魔法も魔王も勇者もいないんだって気付けなければ、きっとその人は立派な社会不適合者なんですよね。
そんなものないんだって。もちろん僕だってわかってはいますよ。良い大人ですからね。

でもね、僕はやっぱ目を逸らし続けます。
それが、物語を、夢を描くお仕事をする人間に必要な唯一の資格じゃないかなって思ってます。

幼い頃に大好きなドラマやアニメや映画を見ていて、すごくキラキラした気持ちで見ていて、エンドロールまで全部全部夢中で見ていて、そのいっちばん最後に「この物語はフィクションです」って文字を見るのがほんとに大嫌いでした。
んなこたぁわかってるんだよ…ってなってなんかすごくやるせない気持ちになってしまったのを覚えてる

だからこそ、怪世らせらの物語の概要をホームページにあげる作業をしているとき、ゆめこさんからこれで大丈夫ですか?と確認されて、「最後に一行だけ付け足してもらってもいいですか?」と言い、最後の一文を書き足しさせてもらいました。

「この御噺は、フィクションだとは限らないかも…」

いや、だってそうじゃないですか
絶対無い、なんて誰も言えないと思うんですよね。
きっと、僕らの知らない、どこかの山の奥では怪世らせらみたいな世界が広がっているんじゃないですかね。
そこには、スズちゃんもいて、改汰くんもいて、これから怪世らせらに登場するみんなもそこにはいて、仲良く楽しく彼らの世界を過ごしているって思ってます。
そして、怪世らせらを見てくれるみんなにもそう信じてもらいたいです。フィクションじゃないぞ、ってね。

御伽話などの書き出しは決まって「むかしむかし」だけどそうじゃなくて。
いつだってそういう物語は「どこかのだれかさん」について語られるけどそうじゃなくて。
怪世らせらは、紛れもなく、今を生きている僕が、貴方が、自分が当事者になる、なリ得る物語だと思っています。そう願っています。
そういう想いを、全ての「はじまリ」にふさわしいこの楽曲に込めました。
何卒、よろしくお願い致します