ザワザワ。
深い海の底にいるように木漏れ日がざわめいている。 まだ5月だというのに、真夏日を思わせる暑さが続く。アスファルトの道路は熱を増している。 木陰に停めた覆面車の中で、助手席の桜宮は汗を拭った。
「動きは無いですね」
偵察から戻ってきた西島が途中で買ってきた缶ジュースを渡した。
「ありがとう」
西島は黙って、運転手席に座り、窓を開けた。
「煙草いいですか?」
「ああ」
比較的大きいが横幅が無いので長さだけが目立つ手は、優雅さと獰猛さを兼ね備えた猫科の肉食獣のようだ。
「ひとつ、聞いていいですか?」
「何ですか?」
「桜宮さんはどうして刑事になったんですか?」
「基本的な質問ですね」
「だって、あの桜宮さんでしょ?」
皮肉の篭った口調。3年前の大量殺戮テロで見事に犯人グループを殲滅したが、上層部とかなり衝突したために、昇進するどころか地方に飛ばされた警部補がいるという噂は、警察内部では有名だった。
「そうですね……」
桜宮は父親が同じ警察官で、幼い時に殉職したこと自分の正義をどう伝えるべきが瞬時迷った。 そして、眉間に寄り掛けた皺に気付き、苦笑した。
「みんなの」
「え?」
「みんなの笑顔を守るためですよ、今は」
ポカンとした顔で、桜宮を見ていた西島は次の瞬間爆笑していた。自分の吐き出した煙を吸い込んで、咽りながらも笑い続けた。
「西島さんはどうして?」
ムッとしながらも、聞き返す桜宮。
「男社会だからです、警察が。女がでしゃばらない組織だから」
「そうですか」
それきり話が途切れ、煙草の煙だけが蔓延する。 桜宮が静かに缶ジュースを飲む。
西島はその喉元をナイフで掻き切ってやりたい衝動に突然駆られた。例えば、天敵に追われて逃げるカモシカの足の躍動感が酷く美しく、喩えようも無く残忍になれる気がするように。
「……をありますか?」
「あ、はい?」
不意に真っ直ぐに見返されて、よく聞き取れなかった。
「正義とかそういう抽象的なモノの為では無く、いつもみんなが笑顔でいられるようにしたいと言った友人がいました。同期で警官になったんですが、その後、退官して・・・彼は貴方に少し似ていました。それで、驚きました」
ふわりと桜宮がほほ笑んだ。 硬質のイメージが一瞬にして変わった。雪解けの後の春の日差しのようだ。
「ハハッ、そりゃいいや。世界に三人は似た人間がいるって言うけど、桜宮さんは三人の違う俺に会うことになるかもしれないわけだ」
「そういうことになるかな」
丁寧な口調を改めて、桜宮が答えた。
「中身は全然違うようだが」
かすかに流れた起爆な空気にも気付かない振りをして、桜宮は木漏れ日に透かされた空を見上げた。
シャッ。
わずかにカーテンを開けて、隙間から覗いていた外。 狭い道路の曲がり角の近くに、目立たないように白いセダンが停まっていた。
チッ。
軽い舌打ち。
(用心していたのに、何処で?)
外崎崇司は思考を巡らせた。 忍び込む為に利用したアルバイト先の宅配会社の箱などは極力処分した筈だが、制服を何人かに目撃されたことはあった。それとも、この前の女が死んだかどうか確信が持てなくて、野次馬に混じって現場に舞い戻ったせいか。何処かに指紋や髪の毛一本でも残しただろうか?
仕方が無い。如何に警察が無能でも、この科学捜査の発展した時代に完全犯罪などありえない、ということか。 いずれにしても、あの女たちは死ななければならなかった。この俺、外崎崇司を虫けらを見るように扱ったのだから。
(あともう一人……)
長いストレートの髪の伏せ目加減の女の横顔が浮かぶ。聖母のように取り澄ましたあの女。 今までのはほんの小手調べのようなものだ。 外崎は薄っすらと笑った。 彼の瞳に太陽はいつもより光っていた。すべてを溶かしていくギラギラした欲望が、木漏れ日にざわめく。
「爆弾処理班を早くっ!」
怒号に近い叫びが署内に響き渡る。
桜宮と西島が張り込みを別の班と交代して県警に戻り、仮眠をとっていた矢先に野崎が飛び込んできた。
「西島さん、桜宮さん、大変です!」
「相変わらず煩い奴だな、お前は」
西島は乱れた少し長めの前髪を掻き揚げながら、不機嫌この上ない声で言った。やっと不眠症の神から解放されかけたところだったのだ。
「野崎さん、事件ですか?」
こちらははっきりと目の覚めた桜宮が既にソファから起き上がり、背広に手を伸ばしながら尋ねた。年下の野崎に対してもきちんと敬語を使う。
「被害者は江藤有里、25歳、OL、以前外崎と同棲していた女性です。仕事場に送られてきた彼女宛の郵便物が爆発して、江藤有里と近くにいた社員数名が病院に運ばれました」
野崎は警察手帳に走り書きしたメモを読んだ。
「莫迦か、それを早く言えよ、で、外崎は?」
「逃走しました、部屋はもぬけの殻です」
「モデルガンの改造も趣味のひとつか……随分器用な男だな」
外崎の部屋に踏み入った西島は、ショーケースの中にきちんと飾られたモデルガンを白い手袋を嵌めた手で取り出した。
「指紋採取できますか?」
鑑識課の捜査員に渡しながら言う。 狭い6畳の部屋の中は整然と荒らされていた。乱雑に見えながら、一つ一つのものが几帳面に配置されている。 絵の具と接着剤を使った時のシンナーの匂いが充満している。
「ありました!」
小さな冷蔵庫を開けた桜宮は、ハッとした。 化学反応式の発火装置、いわゆる黒色火薬爆弾を作るのに必要な材料と道具一式が、食料品の類は一つも見当たらない冷蔵庫を占拠していた。そして、冷蔵庫の扉の裏に数字の書かれたカードがガムテープで貼られていた。
「5963(ゴーキューロクサン)?」
「『ご苦労さん』か……ふざけてますね、ホシは」
すっと近づいてきて背後から中を覗き込んだ西島は、冷ややかに続けた。
「俺たちが張り付いてるのに気付いたホシは、ココを捨てた。ショーケースにいくつか開きがありました。改造拳銃を持ってると見て間違いありませんね」
桜宮も頷いて、立ち上がった。
顔が見えない西島の声に、何故か戦慄を覚えたのをやり過ごして。
(まさかな、そんな筈は……)
「和田警部、緊急手配をお願いします」
「わかった」
和田は日本人離れした大きな瞳孔を更に見開いた。
いつもより赤く滲んだ夕日が射し込む部屋。西島の動かない横顔もほんのりと赤く染まって見えた。 病院は午後9時を過ぎると消灯する。
午前3時を過ぎて、ナースステーションに近い集中治療室の周辺も静まり返っていた。 非常灯と標識のボードだけが、薄い光を廊下に投げかけている。
懐中電灯を手に定時の巡回をしている看護婦の背後から、足音を忍ばせて近づく影があった。 夜に溶け込んだように、その影は一切の気配を消していた。 長い髪をお下げにした看護婦は集中治療室のドアノブをそっと押し、中を覗き込んだ。
「動くな」
不意に、口を塞がれた。 悲鳴を上げる暇も与えず、手際よくクロロフォルムを染み込ませたハンカチで気絶させたのだ。 崩れ落ちる細い体を音を立てないように支え、床に横たえた。 医師の着る白衣のポケットから、注射器を取り出し、点滴の管に手を伸ばしかけた。
「そこまでだ、外崎……」
カチッ。
室内にまばゆい光が溢れる。
「何っ?」
目を細めて、明るさに少し慣れた外崎の視線の先にスーツ姿の自分がいた。腕を組んで、煙草を気だるげに咥えている。
「うっ!?」
自分に似た男に気を取られていて、外崎は江藤有里が眠っている筈の白いシーツの下から伸びた手に、彼の手首を強く掴まれていた。
「残念ながら、ここには江藤さんはいない」
「囮か?」
「彼女は別の病院に既に搬送された」
桜宮はカシャリと男にしては細い手首に手錠を嵌めた。
「う、う~ん……」
倒れてた看護婦が朦朧としながら、起き上がろうとしていた。
視線がそちらに流れたその刹那、外崎は手錠のまま桜宮を振り、身を翻した。そして、看護婦の腕を引き起こし、盾にした。 白い項に冷たい圧力がかかる。
「キャッ!」
「鳴海!」
西島が初めて焦った顔をした。
「ゆっくり100数えるまで追って来るなよ。この女の頭が吹っ飛ぶのを見たいのなら別だけどな」
外崎は楽しげに薄く笑った。
ドアが閉まる音が空しく響く。
「あの莫迦!」
西島は壁を蹴った。
「知り合いか? 済まない」
桜宮は真摯に詫びた。警察官としてあるまじき油断だ。刑事と犯罪者、二人の青年の顔があまりにも似ていた。だから、心に隙が生じた。
「いえ、鳴海がマヌケなんですよ。鑑識課所属なんですが、捜査に口を突っ込みたがって困ってます……ああ、あの似顔絵を描いたのも、彼女ですよ」
「そうだったのか」
「前に、俺には顔が無い……だから、描けないと言った女です」
「顔……が無い?」
「比喩だと思いますけど?」
「ああ……それは勿論そうだな」
「じゃあ、追いましょう。99です」
「1秒早い」
「ズルしたのは向こうが先じゃないですか」
鳴海瑞穂は病院の地下駐車場で無事に見つかった。
「車で逃走したのか?」
「違うみたいですね」
携帯で連絡を取っていた西島が振り向いて言った。
「野崎たちがこの先で検問をしてて、一台も不審な車両は通らなかったと言ってます。救急車以外は」
「じゃあ、その救急車だろ」
桜宮は眉間に皺を寄せた。
「さ、先に言わないでくださいよ、俺も今そう思ったとこで……」
西島は少しムッとして、また携帯で連絡を取り始めた。
30分後、救急車は横浜スタジアムの入り口に乗り捨てられているのが、発見された。
「籠に閉じ込められていた鳥が必死で逃げている、いや、闇雲に……が正しいかな?」
西島は煙を吐き出しながら、眉を顰めた。
「吸いすぎは体に良く無い」
桜宮の指摘に西島は声を出さずに笑った。
「もう一人の」
「ん?」
「桜宮さんの知ってるもう一人の俺に似た奴は、勿論煙草なんて健康に良く無い代物は口にしなかったわけだ」
「そうだな」
「今どうしているんですか?」
「さあな?」
「知らないんですか?」
「……警官を辞めた後、登山家になってね、今頃は世界の何処かで高い空を見上げてるかも知れない。元気でいれば、連絡なんていらないさ」
「そんなもんですか?」
「そんなものだろう」
桜宮は苦笑した。
と、無線で連絡が入った。
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太陽と拳銃と2です。
刑事モノらしく、張り込み中から始まりますw
世界には自分に似た人間が3人いる・・・というあたりが、ミソですw
ここで前編終わり、後編も2回分くらいに分けて掲載予定です。
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