言葉を友人に持ちたいと思うことがある。
それは、旅路の途中でじぶんがたった一人だということに気がついたときにである。


たしかに言葉の肩をたたくことはできないし、言葉と握手することもできない。
だが、言葉にも言いようのない、旧友のなつかしさがあるものである。



少年時代、私はボクサーになりたいと思っていた。しかし、ジャック・ロンドンの小説を読み、減量の死の苦しみと「食うべきか、勝つべきか」の二者択一を迫られたとき、食うべきだ、と思った。
Hungry YoungmenはAngry Youngmenになれないと知ったのである。



そのかわり私は、詩人になった。そして、言葉で人を殴り倒すことを考えるべきだと思った。
詩人にとって、言葉は凶器になることも出来るからである。
私は言葉をジャックナイフのようにひらめかせて、人の胸の中をぐさりと一突するくらいは朝飯前でなければならないな、と思った。





(寺山修司)