で、またまた映画。前もちょこっと書いたかも、だけど、松山善三監督の「母」。主人公のお母さん役は吉村実子さん、と言って初めて見た女優さん(昔は有名だったのかもしれない)。まさに、気丈な、芯の強さを感じさせるような東北の田舎のおなごを演じるのにピッタリ。
で、おとっつあん役は、若かりし日の川谷拓三さん。川谷さんって、やっぱり若い頃からいい味出しているよねぇ…。


舞台は昭和30年頃の東北のとある村。
川谷さん演じるおとっつあんは、ある日、村で行われた祭りの騎馬戦で、馬から落ちて半身不随になってしまう。妻と幼い子ども5人を残して。

頭はしっかりしているのだけど、何せ身体はピクリとも動かない。そんなおとっつあんの面倒を見るため、子どもたちの「おっかさん」であることをやめ、命をかけておとっつあんを看病し続けたおっかさんの物語なんだけれども…。



胸に響くのが、まだ小学校低学年の長男・長女をはじめ、幼い子どもたちを前に、おっかさんが
「いいか、良く聞け。今日から、おっかさんは、おとっつあんだけのために生きる。お前たちのおっかさんをやめる。だから、今日からおっかさんはいないもの、と思え。ご飯だけは作るから、それ以外の一切のことは自分たちでやるんだ」と宣言するシーン。


子どもたちは意味が良く理解できない。
「なして?おっかさんはそこにいるでねぇの?なんでおっかさんをやめちゃうの?」と口ぐちに言う子どもたち。


こうして、おっかさんの命をかけたおとっつあんの看病が始まるのだけども。


床ずれしないように30分おきに身体を動かしてあげて、食事の時は、布団をクッション代わりの腰に当てて上半身を起こす。毎日、おとっつあんのおむつを何十枚も洗っては干す。その合間に、家の畑の作業をする。


もう、見ているだけで、なんというのか、アッパレ!な母の姿なのです。



結局、おとっつあんはそんなおっかさんの看病のお蔭で15年、生き続けるのだけれど…。


途中、看病疲れで、精神が半分錯乱したおっかさんは、包丁を持って子どもたちに「おとっつあんを殺して自分も死ぬ!」と泣きわめくシーンもあったりと、本当に綺麗ごとだけではすまされない出来事も多々。



月日は流れ、おとっつあんが亡くなり、幼かった5人の子どもたちも成人して、ひとり、また一人と巣立っていく。そんななか、結婚式当日を迎えた末っ子の久子が、母の献身的な姿を思い出して、長男である兄に告白するシーンにはちょっと胸を打たれた。


「お兄ちゃん、あたし、見ちゃったんだよ。おっかさん、おとっつあんの食事の世話をする時に、一度、自分の口の中で柔らかくしてから、おとっつあんに口移しで食べさせてあげてたんよ」
「おとっつあん、最後は歯が全部、なかったからなぁ…しょうがないだろ」
「あたしにはできねぇ…。おっかさんみたいな看病はあたしにはできねぇ…」と涙を流すシーン。白無垢姿で号泣するシーン。



おとっつあんは、こんなおっかさんと一緒になれて、最後の最後までしあわせだっただろうなぁ、と。縁あって出会って、たくさんの子どもに恵まれて、でも、おとっつあんを襲った不意の事故ゆえ、生活が180度転換して…。それでも、愚痴も言わずにモクモクと看病して一家の大黒柱として、子どもたちを食べさせてきた母。


このおっかさんのひたむきな献身さ、おとっつあんへの愛、ってものについて考えさせられてしまうのでした。


(いま思い出しても泣けてくる…ウウッ)