朝、起きたら、ふと大好きな漫画「ブラック・ジャック」の中のセリフ「あなた方は、賭けてはいないのか!」が頭に浮かんできた(いつも頭に浮かぶのは唐突だ)。腕はいいけれど、法外な手術金額を請求するから医学会からハナつまみにされているBJ。彼の元を訪れるクライアントはみな、医学の常識では救うことの出来なかったり、のっぴきならない裏事情を抱えている人ばかりだ。


いつものように、世界中の名医にも治せなかった奇病の患者が彼のもとに運びこまれる。その患者に対し、誰もが聞いたこともない「脳手術を行う」というBJ。



「この方法で3人は助かり、二人は死んだ」

「すると、賭けだな」

「そうです」

「患者の命を生かすか殺すか、賭けるとは許さん」




で、冒頭のセリフが出てくるわけだけれど…。


「じゃあ、あなた方は賭けてはいないのか。

あなた方は患者がいつも必ず治ると保障して治療しているのですか。

そんな保障を出来るのは神しかいない。

我々は神じゃない、人間なんだ。


人間が人間の身体を治すには、賭けるしかないでしょう?」



常識でしかモノを考えられないと、「賭ける」ってことはなんて不謹慎な!という気持ちになるんだろうな。だけれど、少しでも、私たち人間の体は、この生命には、常識を超えた、予想さえ出来ないことが起こりうる、ということを知っていたら、この「賭けるしかないでしょう」との言葉に、深い信頼と、救いにも似た感情を覚えるはずだ。



これとちょっとつながるけれど、「絶対~する」「絶対~に違いない」という言い方が好きじゃない。「絶対」なんて言えるのは、神のみだ。そこに、ひょっとしたら違う可能性も潜んでいる、という大事なことを見落としてはいないか? そんな言葉をたやすく使えるなんて、覚悟の甘さを感じてしまう。人間の生命を医師がコントロール出来るなんて、ましてや必ず治せるなんて、一体、誰が保障できるというのだ?(答えは神のみぞ知る)




だったら、イチかバチか、賭けるしかないでしょう?