前のブログ、「希望があるところには、必ず試練がある」ってタイトルを書いたのに、結局、その内容に触れずにただの「餃子日記」で終わってしまった…(今さらながら反省)。



希望があるところに、必ず試練があるのなら、私たちの毎日は、いつも希望にあふれている、とも言えるのかな。

希望は、「奇跡」という言葉にも置き換えられるのかもしれない。


毎日がとてつもない試練の連続、ではないけれど、今いるところより、少しでもいいところに進もうと思ったら、それ相応の壁や乗り越えるべき問題は起きてくる。試練のないぬるま湯は、長時間つかっていても心地いいけれど、そこから出るタイミングを間違えると、ふやけて、骨抜きになる。



無駄な波を起こさず、ラクに生きることも出来るけれど、それで得られる対価は、それ相応のものでしかない。

今の時代、何かと戦わずに生きることも出来るけれど、戦ったことの真価は、その人が死ぬときの満足度となって現れるのかな、とも思う。



死ぬときは、たった一言「あぁ、悪くない人生だった」とつぶやいて死にたい。

そして、少なくとも周りの人から「惜しい人をなくした」と思われるだけの人間でありたい。




楽しく生きることは戦いである。

私は、その戦いを死ぬまでやめることはないだろう。




って言ってたのは、確か村上龍だっけ?



ラブ&ピース!!