以前、おいしい食のつながりで出会った映画監督である三原光尋さん。彼の作品に「村の写真集」がある。友人の女優さんにDVDを貸したらとても良かった、と言ってくれて、ブログでも書いてくれた。そしたら、そのブログを見たという人も早速レンタルして見てくれたようで、丁寧にコメントを書いてくださっていた。とても嬉しい。


徳島の豊かな自然あふれる田舎から上京してきたカメラマン志望の主人公と、田舎で写真館を営む寡黙な父との、心のふれあい、親子の絆を丁寧に、あたたかな視線で描いた作品だ。


全編を通して、派手なアクションはまったくない。だけど、ところどころに、心のひだひだに触れるような、胸にぐぐっと迫るエピソードやシーンが織り込まれていて、見終わったころには、人と人が真摯に向き合い、こころを寄せ合うことの尊さにジーンと胸が熱くなる。



私が心をぐっとわしずかみにされるのは、人が自分の信じる道に向かってそれを貫き通す姿や、何かに「賭ける」姿、人と人との絆だなぁ。


正直、「私は人間にしか興味がない人間」だと思う。


本や映画、ライブや音楽も素晴らしい娯楽だけど、究極の娯楽は「生きている人間」なのだ。人のこころの動き、どんな質問をしたらどんな反応が返ってくるのか、はたまた、様々な日々のハプニングやアクシデントに遭遇した際、その人がどんな対応を取るか、その人の「真価」が問われるような瞬間etc.それらは、どんな小説よりも「奇」なりで、エキサイティングじゃないかなぁ。


生きている人間vs人間同士のエネルギーの交換、というものに惹かれてやまない。そして、そうした交換から、また明日への生きるパワーをもらうのだ。



生きるうえでの悲しみや辛さが人間関係から発生するものだとしたら、そうした心を慰めるのも、究極、人間なんじゃないかな。



私の好きな映画の一つに「その男ゾルバ」という作品がある。

豪快で奔放なギリシャ人のゾルバとイギリス人の作家、バジル、二人の友情を描いた物語なのだけど、ゾルバの人柄に惚れこみ、バジルは彼を鉱山の採掘現場のリーダーに任命する。その時の二人のやり取りがシビレるのだ。



「俺みたいなどこの誰かわからない奴にそんな大役を任せるなんてバカげてる」

「いや、僕は、君に賭けたんだ」

「何だって?もう一度言ってくれ。その言葉を聞くと勇気がわくんだ」



何度聞いても勇気をもらう。

人と人が究極に信頼し合う姿じゃないかな。

もし誰かに、「君に賭けたんだ」と言われたら、命の限りを尽くしてでも、その思いに報いたいと思う(オーバーかなぁ…)。


何かに「賭ける」って、潔くて、情熱的で、尊い言葉だ。

どんな結果になっても何も文句は言うまい、という覚悟のようなものも感じる。

その人の魂を感じる。



「僕は、君に賭けたんだ」