誰かを愛するってことは、究極「その人の笑顔が見たい」ってところに行き着くのかなぁ、と梅雨空の下ぼんやりと考えた今日の午後。最近、そんな気持ちになりましたか? はい、私はいつもですが(笑)


ただ、その人の笑顔を願う、その人のしあわせをひっそりと祈る「無条件の愛」。そこには相手からの見返りは一切求めない。ただひっそりと綺麗に咲いて、私たち人間の心を慰めてくれる花のような…。どこまで精神の高みに行けば、そんな境地にたどりつけるのかな。


愛について考えるとき、やはり村上春樹の「1Q84」に行き着いてしまうなぁ。


「一人でもいいから、心から誰かを愛することができれば、人生には救いがある。たとえ、その人と一緒になることができなくても」


主人公の天吾のことを思いながら青豆が語るシーン。この言葉が、どれだけ、私の心の支えになっただろう。この言葉を思うたびに、魂のどこか深い部分がワナワナと震えてしまうのだ。そして、同時に力強い気持ちにもなる。今までも、そう信じてきたけれど、これからも、それを信じていいんだな、と。とにかく、この二人の愛の形に、どれだけ勇気づけられたことか。



他人の愛の形は、参考にこそなっても、やっぱり他人が実践した「形」であって、それを同じようにあなたが経験することはできない。あなたが向き合う愛は、究極、あなたなりの、あなただけのやり方で実践するしかない、と思う。その物語を演じる主役があなたなら、ストーリーを描いて、演出して、監督するのももちろんあなただ。自分だけの愛の形を実践するしかないな。そこには自分の哲学や死生観、なんてものも反映されるのかもしれない。


私は、ただの馬鹿かもしれないけれど、ただ、信じることしかできなかった。信じ続けることだけを心の支えに生きてきた。今は、それが正しかったのだと確信している。これまで色々なことに対して「疑ったこと」もあったけど、それが私の心にプラスに作用したことはなかった。信じることだけが、私のエネルギーの源になったように思う(私は無宗教だ。念のため)


生きること、愛することは日々、実験のようなもの。トライ&エラーの連続。

昨日より、今日、今日より明日は、もう少し覚醒した自分でありたい。



何はともあれラブ&ピース!