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🌟『不滅なるものへの挑戦』に学ぶ:その5
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29ページ
3「死後の世界がある」ことは百パーセント保証する
私が「来世がある」と一途に言い続けている理由とは
「三十年もやっているのですから、もう、あっさり信じてください。」
と、おっしゃった後に
「もう、自分で個々に探究なんてできるわけがありませんので、」と続けられています。(29ページ後ろから4行目)
あの世があるのか、ないのか、といった具合で
まだ探究しているつもりの人々は
たくさんいるんですよねぇ。。。
たとえば、スピリチュアル系の文献をよんだり、
ヨーガをやってみたりとか、降霊現象をやってみたりとか。。。
でも、
「知りつくした」方であられる
主が、地におわす時代に
そのようなことにかまけている時間は
はっきりいって無駄な時間です。
「架橋の理論」は覚えておられるでしょうか?
経典『心の指針』225ページに記載されていますが
「霊的世界の真実をつかんだ人、実際に霊的能力を持って悟りを得た人を信ずることによって、
つまり信仰を立てることによって、自らに経験がないものではあるけれども、
そこに架橋が成立するということです。
そこに橋を架けることが可能になり、
そして悟りの世界へと渡っていくことが可能となります。
それは、あくまでも直接的な体験ではないかもしれません。
しかしながら、信仰心を媒介としての悟りの経験は、
あなたがたに安全というものをもたらします。
魂の安全、三次元における心の平安をもたらしつつ、
また、実際に悟りを得たのと同じような力を与えることが可能になります。」
このようにあります。
このことを、この箇所でも再度仰っておられるのかと思います。
そして30ページ中ほどに
「教えには普遍性があるのです。」
というお言葉があります。
この「普遍」という言葉は、正心法語にも出てきますが、
ときどき、「不変」の意味とごっちゃになって理解しているかたもおられます。
この「普遍」というのは、すべての人にあてはまる。という意味ですね。
だれかに当てはまるけど、だれかには当てはまらない。というのは普遍ではありません。
この普遍の法を学べるというのは、
この時代限りのことであって、
もう二度とない、
ほんとうに奇跡そのものです。
これについては、いくら考えても考えつくせることではないし
語っても語りつくせることがありません。
”生きた奇跡”の御存在であられる主 大川隆法総裁先生のお姿を見、
そのお声を聞くことができることは、
宇宙人も羨望する至上の幸福であることを
いつも噛みしめてまいりたいものですね。
つづく
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