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🌟『不滅なるものへの挑戦』に学ぶ:その2

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さて、さっそく第1章にはいります。14ページからは

1「死んでから困らない生き方」を説く理由というタイトルです。

青森の御巡錫ですから、まず、その土地についての所感を話されていますね。

 

青森、あるいは東北の地について、

雪国の生活環境の厳しさに伴う「暗さ」についておっしゃっておられますし、

「本が難しすぎるのではないか」「本屋とかはあるのでしょう?」というお言葉からは、

読者層が浅く、教学のレベルがやや低い土地であるという印象を受けられていることを感じます。

また、自殺者が多いことについて、はっきりご指摘なさってますね。

 

御説法の冒頭におっしゃっておられる「去年の八戸支部での話」は

経典『死んでから困らない生き方』の第2章「地獄からの脱出」として収録されていますが、

これを読むと、やはり、「東北地方ではなぜ自殺率が高いのか」ことについて書いてあります(78ページ)

 

その理由としては、憂うつな気候の影響や、経済的にも貧しく家庭崩壊が起きやすい事。

加えて「青森県あたりでは破滅型の人生を送る人が割りに多い」とおっしゃって

青森出身の太宰治の例を話されています。

 

また「ねぶた祭り」で散在する人も多いとおっしゃていて、

これはなかなか、ご当地の方でないとわからない部分で

他県の私たちにとっては「そういう県民性のところもあるのだなあ」という学びになると思います。

 

 

そして18ページの1行目、以下のように、まとめてきなことを書いてあります。

「あの世を信じやすい土地柄であるけれども、自殺もまた、しやすい地域でもある」という、変なところではあります。

さらに、その原因として「仏教が『自殺者は天国に行けない』ことをはっきり言っていない」ことを挙げられています。

 

そしてその修正のために『死んでから困らない生き方』を説かないといけないのだ。と、

こういうお話しの流れです。

 

 

この青森の例に限らず、全国を巡られた御巡錫の説法の場合は、

冒頭に、ご当地の印象をお話しされることが多いです。

青森の場合は、上のような内容でしたが、

たとえば、私が以前おりました宮崎では

「伝道が遅れているので叱りに来たのに、こうやって明るくて笑顔で迎えてくれるので、麻薬のようだ」とかいうお言葉がありましたし、宮崎弁で「いっちゃが」とかいってないで、土佐弁の「いかんぜよ」に変えないといけない。というお言葉があったり・・・

っという具合で、南国宮崎独特の呑気で、明るいけれども、しまりが足りない県民性についてズバリご指摘されています(笑)

 

 

この青森と宮崎を比べるだけでも、ずいぶん、違うのがお分かりになられるかと思います。

 

 

このことを、あらためて考えてみれば、

全国をまわられ、その土地柄にあったお言葉を賜れるというのは、

同じ土地で画一的な環境で説かれるのとは全く違い、

そこに大きな意味があるのだと思われます。

 

日本全国を御巡錫ともなると、

北は北海道、南は沖縄で、縦長の国土、気候も違います。

ですから、同じ日本国民といえども、

その地域に独特の県民性や気質があり、

日本全国を見渡せば、とても多様性に富んでおります。

 

「日本は世界の雛形」とも言われるように、

多種多様の文化が多層に入り組んでいますが、

そうした各地に実際に御巡錫され

その多種多様な磁場の中で、

そのご当地に合う、それぞれの法を説かれ、遺されているというのは、

世界の方々にとっても、ほんとうに福音となっていくのだと改めて思いました。

 

たとえば

東北などでの御説法は、寒い気候の国の方々には参考になるでしょうし

宮崎など南国での御説法は、暖かい気候の国の方々には参考になるところがあるでしょう。

そういう視点でも、

御巡錫の御説法は学ぶと、深いものだなぁ。と思った次第です。

 

そしてもちろん気になるのは

『我が地については、主はなんとおっしゃっているのか?』ということですね!?

 

興味ある方は、御巡錫御法話の再拝聴をしたり、経典で確認したりして

ぜひ調べてみるのもよろしいのではないでしょうか?♬(*'ω'*)

 

つづく

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