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経典『本物の信仰とは何か』に学ぶ その28
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138ページ
『エル・カンターレの法』は、帰依しないかぎり学べない
138ページの後ろから2行目
いま、幸福の科学は「始原の仏陀」の教えに迫ろうとしているわけです。
というお言葉があります。
「いま、迫ろうとしている。」
これは逆に言うならば、
「まだ、迫ってはいない。」ということです。
さらに139ページに
これからは、いよいよ、「エル・カンターレの法」の完成のほうに持っていかなくてはなりません。
「宇宙の法」を説きつつ、「エル・カンターレの法」の完成を、
だんだんに目指していかなければならない時点に、今、立っているのです。
とあります。
この御説法は、2017年の暮れに説かれたもので、早8年前になりなんとしておりますが、
この当時から、上の御言葉を意識されていた方はおられましょうか?
この8年間に、私たちは
どれだけ「宇宙の法」を学び
どれだけ「エル・カンターレの法」の完成に寄与できたでしょうか?
歳月を重ねた今や、
そうした反省も含めて読んでいかねばならないところですし、
この箇所を読み、反省をするならば
あらためて2017年以降、に説かれた御法話、経典を学び直し
そこに「宇宙の法」の片鱗をさがし、
「エル・カンターレの法」の片鱗をさがそうと
そのように思わなければ嘘であると、私は思います。
(※ちなみに2018年の法シリーズ経典は『信仰の法』でありました。そこから読み返されるのも大変有意義です)
さらなるお言葉が続きます。
あなたがたに説く「本物の信仰」とは何かというと、
それは、
すべての宇宙の秘密にまで迫りつつ、
みなさんが現在ある理由、
そして、
「今どこにいるのか」
ということを知らしめるところまで行く教えです。
このようにありますが、
かみしめればかみしめるほど
不思議さに包まれているお言葉ではないでしょうか。
「私たちが現在ある理由」
「今、どこにいるのか」
これについて
ほんとうのところは
まだ、主はあかされていないのかもしれません。
つまり
まだ、私たちは、いまだ
自分自身が現在ある理由や、
自分たちが、今、どこにいるのかさえも
ほんとうの、ほんとうのところは知らないままで
今日も生きているのかもしれません。
10年、20年、30年と
信者暦を重ねて
多分に「わかったきになっている」私たちは、
この御言葉を前にして、
もう一度、虚心坦懐に学びをせねばと
思いを新たにするべきである。
そのように私は思います。
「まだ、知らない」
という自覚、
つまり「無知の知」は大切です。
つづく