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経典『本物の信仰とは何か』に学ぶ その21
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118ページ 修行の過程でなされるべき「智慧の獲得」の意味
修行の過程では「智慧」を獲得しなければならない。
それが、わざわざ3次元に肉体をもつ理由だということですね。
私たちも、それはあてはまります。
人生で様々な経験をしますが、
「結局、何を学んだのか」
ということです。
例えば、
('ω')「病気をしました」
(*'ω'*)「ふーん。それで、何を学びましたか?」
('ω')「人と、もめました」
(*'ω'*)「ふーん。それで、何を学びましたか?」
('ω')「経営で成功しました」
(*'ω'*)「ふーん。それで、何を学びましたか?」
と、いうふうに、私たちが天上界で聞かれることは
必ず「何を学んだか」ということ
つまり「どういう智慧を獲得したのか」ということです。
この智慧というのは、
この世的な知恵とは違います。
「肉体の目では見えない真理が見えるようになること」170ページ
というふうに記述がありますし
「宇宙の理法や、その理法のなかにある、この世における人間の生きるべき法則を知る。」
「『どういう法則の下に人間は生きているのか』ということを見破り、それを手にする」ということ」121ページ
とありますし、さらに
「これを言葉にしていったものが、例えば、「縁起の理法」や「八正道」などです。」
とあります。
この「縁起の理法」や、「八正道」について、
自分なりに、なんらかの語るべき内容をもつこと。
そのために、毎日、教学をし、また反省修法を行うこと。
これがとても大切なことであります。
生きている時に、これができるということは、
限りなく幸せなことであります。
つづく