☆★☆★☆★☆★
経典『本物の信仰とは何か』に学ぶ その14
☆★☆★☆★☆★
91ページ
幸福の科学の二代目以降は「仏宝」ではなく、「僧宝」の長
これも大切な論点です。オタフクはじめ、子供たちは、これを理解できていなかった点ですね。
過去世で「神」とされていたため、今世も「神」となれると勘違いしたわけですが、
それは主の降臨の時代や、そしてそれ以降のエル・カンターレ文明においては、もう許されないことです。
主が降臨されることで、
地球系霊団の構造自体がイノベーションしています。
主の法によって、霊界構造が変わっていくことを、主は明言されています。
今後の地球においては、
特に幸福の科学においては
「神」とされ「仏宝」とされるのは
主エル・カンターレのみ。ということですね。
さらに
93ページには「僧団が持続する『前提』」について説かれています。
つまり、「仏宝」という仏陀に対する尊崇の念と、
「法宝」という仏陀の説かれた法に対する尊崇の念が
前提にあった上で、
僧団が持続していけるのです。
つまり、仏をうやまい、
法をうやまうからこそ
僧団は持続していける。
ひっくり返せば、
仏をうやまうことなくして
そして
法をうやまうことなくして
僧団は持続できない。
ということですね。
うやまうというのは
帰依ということでもあります。
主エル・カンターレを中心として生きていく。
(自分を中心としない)
主の法を中心として生きていく。
(自分の考えを中心としない)
そうであってこそ
初めて僧団は持続できる。
反対に例えば
もし、
主を軽んじたり、
法を軽んじたりするならば、
支部だって、精舎だって、もちろん総合本部だって
持続することはできませんよ。
壊れていきますよ。
ということですね。
いまの活動の全てが
あくまで「復活の祈り」が中心
とされて展開されているのも
ここから来ています。
「人類のお試し期間」が終ろうとする今、
持続する側に立つのか、それとも壊す側に立つのか
これは厳しく判定されると思います。
しかも
比較的、平穏な中に試されているというところが
怖ろしい所であると思います。
経典『永遠の仏陀」240ページにある
『願わくば、おまえたちが、万が一にも、光によって追い散らされる闇とはならぬことを。」
というお言葉をも、連想するところです。
つづく