☆★☆★☆★☆★
経典『本物の信仰とは何か』に学ぶ その4
☆★☆★☆★☆★
21ページからは
2「仏宝」とは何か
です。「天上天下唯我独尊」という言葉が、どういう意味なのか、というお話もされています。
p23「ほかの宗教の場合は、そうした宗教的指導者が出てきても、その上に『天なる神』がいて、それを信仰の対象としています。」
p30「釈尊の場合は、『地上で開いたその悟りが、天上界の神々といわれる人たちの悟りをも超えた』ということがいわれているわけです。」
以上は、釈尊のお話をされているわけですが、対して、今世の大川隆法総裁先生の場合は、どうかというと
p41「三世を見通すと同時に、宇宙をも見通して、『宇宙人リーディング』等もいろいろやり始めてくると、やはり、もう古代の霊たちの悟りとは、かなり違いが出てきたことは間違いありません。」
人類最高の悟り、をも超えて、宇宙人類をも導く悟り、にまで到達されておられる、いやそもそも、主は、大宇宙の始原の神であられるということが、ここ数年間にとかれた「法」によっていよいよ明らかにされています。以前にはこのような御説法もありました。すこし抜粋します。
経典『信仰と愛の論点』より(1994年6月14日御説法)46ページ
当会がもう少し拡大すると、救世主的な部分がさらにはっきりしてきます。ただ、この部分をあまり早い段階ではっきりさせると迫害を受けやすいので、方使として抑えています。ある程度の体制、基盤をつくりながら、非常に智慧を使った運営をしています。教団の規模に応じた話をしているのです。結論まで一足飛びには行かず、宗教団体は、ある程度以上の規模になるまでは、教団が大きくなる過程で社会的勢力との衝突が避けられないものなので、充分に実力を蓄えながら、対外的には規模相応のことを言うべきなのです。当会が最終的にどのようなところまで行くかは、すでに私には見えています。
この御説法の当時では、救世主的な側面は「まだこれから。」という時代でありましたが、その後、2009年頃から、全国・全世界への御巡錫、政党の立ち上げ、教育機関の設立、芸能への取り組みなどが始まって、「救世主的側面」が前面に出されたのです。
そして、さらにいよいよ、主エル・カンターレの真骨頂である、宇宙の始原の神としてのお姿を現そうとされている節目が、いま、私たちが生かされている、今という時代の意味です。
「仏宝」としての、そのお姿の奥にあるもの、宇宙の始原の神としてのお姿を、いよいよ顕現されるかどうかという瀬戸際である。その最大の節目に、今、おかれているのだ。という感覚がとても大切だと思います。
法を受け止める「僧団」の規模と、その悟りのレベルがあるかどうか。こそが、大きく、切実な問題です。これについては以前からおっしゃっています。
経典『信仰と愛の論点』より(1994年6月14日御説法)56ページ
第3章は、『信仰と愛』一九九O年に、ある地方で行なった講演ですが、四千数百人の聴衆のうち、当会の会員はわずか数百人で、残りは未会員でした。そのため、話のレベルをかなり落とさなければならず、法話がほとんどできない状態でした。第4章「押し寄せる愛の大河」も同様です。これも一九九O年に、ある地方で行なった講演ですが、私が事前に考えていた講演のイメージとはかなり違ったものになりました。ヘルメス的な、非常に格調の高い講演をするつもりだったのですが、会場に集まった四千数百人の聴衆から、「先祖供養の話をしてほしい」という思いが伝わってきたのです。そうしたニーズがある以上、それに応えないわけにはいかないので、途中から先祖供養の話になっています。したがって、講師や在家のリーダーは、未会員や新規会員など、新しい人たちを耕すという仕事を、まめに行なっていかなければなりません。そうしないと、講演などの際に、その地方に合わせたローカルな話をせざるをえなくなり、他の地域の人びとがその内容に合わせようとすると、不都合の生じる場合があるのです。《中略》その意味からも、講師団や在家のリーダーたちは、耕すという仕事をもっとしなければいけません。そうしないと、乾いた砂地に水をまいてもほとんど効果がないのと同じで、高度な法が説けないのです。砂漠の灌漑事業に当たるものが必要であり、もっと耕すことが大切なのです。
私たちがどれだけ「法」を理解しているか、「法」を学ぼうという情熱がどれくらいあるか、そして教団が迫害に耐えられるだけの規模をもつことができるかどうか。これは、実は、主エル・カンターレが、宇宙の法をお説きくださるかどうか、に直結しているのだ、ということを忘れてはならないと思います。
もっと具体的に申し上げるならば、
・「法」への理解という点については、四正道はもちろんのこと、
原曲を筆頭とする、美の法門への学びや、
宇宙の法の関連の学びが、きちんと収められるかどうか。
がポイントとなり、
・さらに「教団の規模」という点においては、日本のご利益信仰的文化を砕破しながら、全世界という枠組みで、法による救済を行えるかどうか。ほんものの三帰誓願者が増えるかどうか。あるいは伝道の最前線としての政治活動を、もっと大きなものとすることができるかどうか。がポイントとなってまいります。
繰り返しますが、主エル・カンターレの「宇宙の法」なくして、地球の未来はありません。そのことは、数々の御説法や、宇宙人リーディングでも説かれてきたことです。
経典『永遠の仏陀』p236
「選べ、選ぶのだ。いずれをとるかを。繫栄か、滅亡かを。わが念いには厳しいものがあるということを知らねばなるまい。」
もし仮に、「宇宙の法」を説けない。というご判断となってしまうとき、私たちは、もう一度、原始時代からやり直しとなる。そのことも四大メシアの霊言などで説かれてきたことです。私たちは、ギリギリのところで今、生かされているのです。日常に埋没せぬよう、永遠の後悔を残さぬように、心して、主の御復活を祈り、生かされている日々を大切につかってまいりたいと存じます。
つづく