🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟
💎新刊経典💎
『天御祖神 武士道を語る』に学ぶ
ー現代に求められる真実の死生観ー
その5
🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟
43ページ
三、神仏と一体となって生きる
ここでは、二宮尊徳様を挙げられています。
二宮尊徳様は
天御祖神様が日本に来られた時に、
ご一緒に来られて御助けになられた方です。
「あえて名を名乗るとしたら、
天御助神(あめのみたすけのかみ)」
(経典『天御祖神文明の真実』28ページ)
として、主に「金属加工系」と「予算系統」
「事業企画と完成」
などで活躍された方の魂であります。
御転生を、一応念のために書いておきますと
天御助神(3万年前)
行基菩薩(奈良時代)
二宮尊徳(江戸時代)
一倉 定(昭和時代)
となるかと思います。
こうした事業系の方もまた、
武人と同様
「身命を賭す」という
覚悟がありうることを
ここではお教えくださっていますね。
これはこのまま、
現代日本の私たちに
問いかけておられるのだ
と思います。
現代に生きる私たちが、
何に「身命を賭す」かというと
もちろん
主のお仕事をお手伝いすることに
身命を賭す。わけです。
片手間。ではありません。
この世のお仕事もしたり
この世の肉体のケアなども
しなくてはなりませんが
心根として
「この聖業に身命を賭す」覚悟があるかどうか。
これを天御祖神様から
私たちが問われているわけです。
まだまだ覚悟が足りぬことを
反省せざるを得ません・・・
実は、草創期から、主は、
この覚悟を説かれています。
例えば経典『伝道論』の冒頭、第1章は
「命をかける」というタイトルで
「伝道は命がけである」とありますね。
趣味のような生ぬるいものではなく、
学校やカルチャーセンターのように
支部や精舎に通うのでもなく
命をかける覚悟で。
と、いうことです。
幸福の科学は、もともと、
こういう覚悟を固めた
使命感の集団でした。
しかし、命がけ、とされているがゆえに
意見の対立による「裁き」や
まだ覚悟を固めきれない方々に対しての「裁き」
命がけであることの
「パフォーマンス」なども横行しましたし
「命がけ」を強要する
組織文化への反発も起きました。
いま振り返っても、
これは反発する方が続出したのは
あたりまえだと思います。
「命をかける」というのは、
『自ら』そうするのであって
他の方に強要するものではありませんから。
しかし、
「命をかけてまで、やらなくてもいいよ」
ということではないと思うのです。
主は、そのようには仰っておられませんから。
これこそ、以前にも申し上げた
全体主義と放任主義の
両極端を去った中道
騎士道精神の重要性の部分と
あい通じる問題ではないでしょうか。。。
主は一貫として
「命をかけてこの活動に参画してほしい」と
弟子に要請し続けてこられました。
そしてこの経典でも
再び、その覚悟について、
私たちにお教えくださいました。
この御言葉を前に
どういう態度をとるかは
その人、一人一人が
よくよく考えるべきだし
天上界にて
必ず問われることになる、と
私は思います。
さて
「命をかける」ことを、
この経典『天御祖神 武士道を語る』では
章立てにあるように
「神仏と一体の気持ち」
と表現されました。
「神の剣」の如く、
「神仏と一体となって、やる」
というところが
非常に大事なところで。
49ページ
有限の存在である
肉体人間が
死を覚悟し
神仏と一体となる
ことで
無限の存在へと昇華していく。
死 即 生
生 即 死
という、『大死一番経』の世界です。
これは
『祈りの原理』にも通じますね。
ぜひ、ご一緒に
こうした境地を目指して
精進を重ねていけたらいいなと存じます。
つづく。
