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🌷新刊経典🌷『成功をつかむ発想法』に学ぶー正しい発展・繁栄を求めてーその5

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🌷新刊経典🌷『成功をつかむ発想法』に学ぶー正しい発展・繁栄を求めてーその5

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39ページからは

3「個人としての成功」と「組織型の成功」

です。

 

「水滸伝」と「三国志」の対比で述べられています。

 

過去にも

例えば、個人として、剣をもたせたら敵がいないと言われた剣豪の宮本武蔵であっても

関ケ原の戦いなどにおいては、組織人としての戦いをせざるを得なかったというお話をされたこともありました。

 

そして

✨幸福の科学は

✨組織型宗教です。

 

対して

GLAなどは仙人の寄せ集まりで、組織の態をなしていなかったと言われていますね。

 

原始キリスト教もそうです。

組織をつくれなかったので、イエス様は磔刑に処せられたともおっしゃったことがあります。

 

 

そして、この御説法では

組織の成功のためには、ソフト開発、教科書をつくれることが大事とおっしゃっています。

 

いわゆる標準化です。

誰がやっても、個人の能力差があまり出ずに、一定の水準が保てるようにする。ということです。

 

「宗教は究極のソフト産業」ともおっしゃったことがありますね♪

 

 

では、「その、幸福の科学のソフトっていったいどこにあるの?」というと、まさに、この『経典』が、そのソフトにあたります。

映画も、楽曲も、詩集や格はいくなどもそうです。

主の法は、究極のソフトでもあるわけですね。

 

 

このソフトによって、新しい文明を創っていくことを

弟子に、人類に、期待されつつ、作り続けてくださっているわけです。

 

 

反対に、ひっくり返して考えてみますと

 

法を学ぶことを怠ること・・・

「法を謙虚に学んでいなかったり」

「法を自分で選り好みして学んでいると」

自我力になりますよ~

個人主義になっちゃいますよ~

 

つまりそれは

組織宗教ではなくなりますよ~ということですね。

(*'ω'*)検定試験がんばりましょうね~♪

 

 

何事を行うにあたっても

「法では、一体、どう説かれているか」

「主は、どうおっしゃっているか」を

常に意識して

「法に自分をあわせていく」ことが、とても大切です。

自分に都合のよい法や、自分が理解できる法だけを

学ぶというのは、断じて『法帰依』ではありません。

 

そもそも法を学ばないと、自分がそうなっていること自体に

気が付けなくなります。

つまり自己流。野狐禅。自分の好きなようにやります~

ということで、天狗・仙人化が止まらなくなります。

 

 

さらに、申し添えれば、

組織が組織であるゆえんは「役割分担をする」ことにありますから

 

「自分の役割は何か」を常々考え、

自問自答して、それを果たそうとすることが大切です。

 

幸福の科学は組織型宗教ですが

統制型の全体主義とは違いますし

会社のような利害で結びついて

上司が部下に強制力を持っているような組織ではありません。

「インフォーマル組織」といいます

 

信仰を基盤とした組織であり

あくまで自由意志を大切にして

相互信頼の中に成り立つ組織です。

 

 

しかし、そのことが弱みになる場合もあります。

「役割」への責任感が、完全に個人に任されるからですね。

 

創価学会などが「組織として強い」とされていたのは

役割が果たす仕事を強制されて、

ガミガミいわれますし、監視もされるからです。

中国共産党と、親和性が高いのもわかる気がいたします。

 

 

実は、

幸福の科学において、

活動が、自由参加型であるのは

こうした全体主義へのアンチテーゼであり、

一つの戦いなのです。

 

 

果たして、

この自由を

強みとできるか、

弱みとして露呈するか、

それは信仰心がカギであることは、

言うまでもありません。

 

 

本来は

信仰とは、

誰に強制されるわけでもなく

自分の意志で

神仏に対しての責任を担うことなのですから

 

 

 

この

「責任を進んで担おうとする精神」を

✨『騎士道精神』といいます。

 

いまや、日本社会では希薄となってしまった精神です。

 

幸福の科学でも、残念ながら、まだまだ希薄です。

 

 

幸福の科学の組織力を「豆腐のように弱い組織だ」

主が、なげかれたことがあります💦

 

それは、この「騎士道精神」が希薄で

趣味のクラブのように

「自分が気が向いたら行きます~」

「自分の利益になるときだけ、行きます~」

という感じが強いからですね。

 

そういう意味では、創価学会よりも、GLAに近いのかもしれません。

 

 

だからといって、

全体主義的に

役割をおしつけたり

義務を果たすことをゴリゴリに押し付けたら

邪教化してしまいます。

(昔はよくそうなっていました)

 

 

弱い組織であってはならない。

しかし全体主義であってもならない

このジレンマの答えはどこにあるのか・・・

 

それは

一人一人が、

信仰心に基づいて、

騎士道精神(武士道精神)を発揮していくこと

自らすすんで役割を担っていくこと。

信者としての責任の範囲を

日々広げていこうと

本当に思って努力すること。

にあります。

 

逆に、それしか、答えはないと思いませんか?

 

 

そして、これは布施の精神、奉仕の精神でもあります。

 

つづく