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その7ー経典「『地獄に落ちないための言葉』余話」に学ぶ☆☆☆☆☆☆☆
35ページの見出しは
霊的なことを忘れ、
物質や肉体に引っ張られすぎると
間違いを犯す
です。
「眼・耳・鼻・舌・身・意」の
六根の話がでていますね。
(*'ω'*)「げんにびぜっしんい」
と、語呂合わせのように覚えたのを思い出します
これは、『般若心経』や『法華経』などにも出てくる言葉です。
行者が、「ロッコンショウジョウ!ロッコンショウジョウ!」と唱えるあれですね。
この六根は
肉体の感覚器官でありまして、
私たちは日々これをつかって活動しています。
対応する感覚は
「色・声・香・味・触・法」
(しきしょうこうみしょくほう)
つまり
「眼・耳・鼻・舌・身・意」
↓ ↓ ↓
「色・声・香・味・触・法」
という対応関係にあります。
要は、
「この感覚や器官を、
自分だと誤解してませんか?」
「その感覚に支配されてしまっていませんか?」
ということですね。
グラビア雑誌や整形美人の例、
あるいは、香水、シャンプーの香りの例
が挙げてありますが
グラビア雑誌を見る
→「眼」による「色」
香水やシャンプー
→「鼻」による「香」
と、こういう具合です。
重要なのは
その奥にいる
ほんとうの自分が
その道具である
眼・耳・鼻・舌・身・意に
振り回されていませんか?
ということですね。
禅定でも
五停心観の中で
「界分別観」というのがございます。
(経典『沈黙の仏陀』150ページご参照ください)
(*'ω'*)実際に瞑想でこれを意識していくと比較的はやく霊的な感覚を取り戻せますのでオススメです。
この箇所のポイントはもちろん
肉体に宿っている主人公である
「心の大切さ」ということですが、
この40~41ページのお言葉が
とても重いものです。
あくまでも「心の大切さ」の部分を維持しないと、
そちらに引っ張られすぎると、
もう、間違いになりますよと。《中略》
最後は、機械が打ち出す いろんなものが
人生を支配することもあるので。
そうした
「心がわからない」というのは
「霊的なことが分からない」ということでもあるし、
「マルかバツかだけで教えらえれたものは、それを暗記すればいい」
みたいな、交通ルールの、免許証の試験みたいな感じで
この世を生き渡っている人たちは、
「浅い」よね。
やはり、
それよりもっと
深く感じなければいけないものは
あるということです。
この「機械が打ち出すいろんなもの」
というのは、まさに
スマホや、AIのことでしょう。
また、ここでも「心が分からない」と
主はおっしゃっていますが、
先日「美の法門」メール⑦でもご紹介した
格はいくの③「神は詩う」の発刊記念対談でのお言葉
「心とは何かの探究、心の磨き」は、みんな「しているつもり」かもしれないけど。実際見ていると「脳の中の知識を動かして組み立てしているか、神経の条件反射的なものか、喜怒哀楽の感情を「心」と思っているレベルに見えて、私なんかが見ると、「心がない」に等しい人が9割超えて90何パーセント心なし。反応しかしないみたいな感じにしか見えないんですよ。
っと、この箇所と同じことをおっしゃっていますね。
さらには、4月の「復活の祈り」で拝聴する御法話にも同様の内容が抜粋されていました。
実は 頭で止まっていて
魂の深いところまでは
落ちていない
(経典『奇跡のヒーリングパワーからの抜粋)
というお言葉や、
まずは人類全体に
言えることですけど
「心の発見」を
しなきゃ駄目ですねぇ
(経典『ウィズ・セイビア(救世主とともに)』からの抜粋)
というお言葉です。
そして「マルかバツかだけで~」の箇所は
「善と悪は、『人・時・所』(ニンジショ)で決まる」
というところが、わからないことです。
同じ行為をしていても
人が違えば
時が違えば
所が違えば
善悪の判定は変わってくる。ということですが、
つまりは
よくよく己のおかれた「人・時・所」
つまり自分のいる環境の下で、よくよく考えて善悪を考えるという
「自律する精神」の大切さにもつながっていく教えです。
しかし、えてしてこれを「外部からの規範」で単純に〇か×かを考えたがる。ということですね。
例えば、閻魔様であっても
殺人を犯した人を裁くときに、
これは恨みで行われたことなのか
それとも、
戦争下でのやむなきことで行われたことなのか
これはちゃんと酌量なさるわけですが、
〇×で、
ということであるならば
「それは酌量されない」
ということです。
そして、
「それは機械と同じである。」
ということですね。
実はそれは過去、キリスト教会が「暗黒の中世」をつくってしまった要因でもあると思います。
要は「聖書に書いていないことは、すべて異端とみなす」となってしまうことですね。
これは「八万四千の法門」を持ち対機説法に重きをおく仏教とは異なるのだ。
ということです。
この「人・時・所」については、
経典『繁栄の法則』40ページにて
詳しく説かれていますので
是非ご覧ください。
少し長くなりました。
つづく