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『美の法門』について学ぶ~経典『地獄の法』は、「美の法門」が前提で説かれている!?
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前回では、「美の法門」の経緯について述べさせていただきました。
(時系列で年表を書いたことが私にとっても新しい刺激となりました)
特に経典『言葉・愛・呪い』での124ページからのお言葉は重要で
これこそ「これから本格的に美の法をときますよ!」という「宣言。」であったと思うのです。
そして、詩、歌、映画、これらは「美の法門」を、開くために制作された
ということを主のお言葉にて、明確に、言葉で明かしてくださっています。
ですから、「美の法門」は、この『言葉・愛・呪い』をもって一つの大きな区切りになっていると考えるべきでありましょうし
現に、その後、怒涛の勢いで、詩や格はいく、楽曲等を、顕わされてこられました。
そして、本日は、その延長上に、つまり「真・善・美」を意識しながら
経典『地獄の法』を学び返すと、どう読めるか。
という点について、お伝えできればと思うのです。
『地獄の法』は、美の法門をどんどん説かれている時期
その最中に御説法された御法話が収録されています。
もちろん『地獄の法』でも「真・善・美」への言及があります。
一つは113ページです。ぜひ経典を開いて味読されてみてください。
この世は「肉体を持って、物のなかでも物を利用して生きていかねばならない」という、ある意味では、万人が目隠しをして手探りで生きているような世界でありますので、このなかで「善悪」を見分け、「真偽」を見分け、「美醜」を見分けていけることができる人というのは、その修行の効果は大きいのです。それがあるから「繰り返し、繰り返し、この世に転生してくる」という現象があるということです。だから、学習することはとても多いのです。
この世の修行の目的こそが、「善悪、真偽、美醜を見分けていくこと」であると、説かれているわけです。
そして、霊的なものを前提としなければ、例えば、善悪の判断一つでも、まちがってしまう。実際にこの箇所では、「自分が悪だ」とわからないままに死ぬ人の話がつづいて書いてあります。
「自分が悪だ」とわからない
「自分が偽りだ」とわからない
「自分が醜い」とわからない
この「わからない」という事象は、
「霊的ではなく、
この世的に
(動物的に)
考えてしまう」
ということでありましょう。
そして、私たちは、
主がお説きくださったものを学んで初めて「わかる」ようになってくるわけで、
学ぼうとしない限り、
そして
主からお教えいただかない限り、
絶対に、
「わからない」
ままなのです。
だから、
「霊的な視点での美醜」を
見分けるための「美の法門」
これを謙虚に学ぶことは
とても大切ですね。
そのために
数多くの「美の法門」
(詩、格はいく、楽曲、映画)
が示されているわけです。
さらに
『地獄の法』の最後の箇所。315ページですが、
ここはストレートに「真・善・美」がでています。
引用はいたしませんが、ここもぜひ味読してみてください。
☆真実か偽りかを示す。
これこそ宗教としての幸福の科学が
「真理」を説く所以であります。
偽りというのは、無神論・唯物論、邪教ですね。にせものの自分、でもあります。
霊界知識や正しい修行方法を学ぶところです。このフェーズにおいて、裏的価値観が一回清算されていますね。このときは真実はこうである。という点が中心であったと思います。
それを踏まえて、
☆善か悪かを示す。
これこそが政党としての幸福実現党が
活動を行っている所以です。
悪というのは、偽った考えのままに活動し、世を迷妄混乱させる国家や、政治思想、政治団体でもあり、ここには細かい政策的な話も含まれてきますし、悪質宇宙人などの宇宙存在もが、そこに入ってきます。
悪との戦い方を学ぶところです。エクソシスト系もかなり充実して説かれた時期があったと思います。
そして、それを踏まえつつ、
☆美しいか醜いかを示す。
このために主の芸術
(詩、楽曲、格はいく、映画)があるわけです。
醜いものとは、妖怪、妖魔や天狗のもつ
自己中心性(世界を観ることができていないということ。『妖怪にならないための言葉』の冒頭に出てくる言葉)であり
表面だけをつくろって真の反省ができない”仮面性”のところです。
醜さを発見し、美しき世界を求める心がないとこの法門は学べません。
感じ取るところ、理屈を超えたるものが含まれているからです。
真実に目覚めるためには知性が
正義に目覚めるためには理性が
そして
美に目覚めるためには感性・悟性が必要でしょう。
そして、
真→善→美の順番である必要も
あったのだと思うのです。
またいつか書きたいと思いますが
仏教的に論じれば
識から般若であるとか
「三法印」をふまえて光明荘厳の法門に入る
この順番、段階論が
真→善→美にも、
あるのだと思います。
そして、「地獄の法」315ページには
この「真・善・美」の世界が地上に打ち立てられることこそ
地上のユートピアづくりになる
そう書いてありますね♪
そういう、大きな大きな意味をふくみながら、
私たちは、覚悟を決めて
美の法門を学ぶ必要があると思います。
そのために、
祈願として✨「芸術系エル・カンターレ祈願」
を受けることさえも
お許しいただいているということでしょう。
霊的に目覚め、地上に「真・善・美」のユートピアを広げる
そのために残された時間を大切に使ってまいりたいと切に思います。
つづく
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