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経典『「小説とっちめてやらなくちゃ」余話』を味わい、学ぶ。その10

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p28

このあたりの箇所は、お二人で、

主の「詩」について語られています。

 

 

 

総裁先生「詩集などは、ほかの人に読まれると思って書いていないからね」

 

 

 

総裁補佐「だからこそ、本音が出ていると思いますし・・・」

 

 

 

主の「詩」についても

エル・カンターレという御存在を理解するために

とても重要なものであることがわかると思います。

 

 

~『神は詩う』~

206 イタリア語の「エル・カンターレ」は「神は詩う」に他ならず

☆ただの歌謡曲ではあるまい。だから「歌う」と私はかかない。

 

 

 

 

 

総裁補佐「むしろ、何かに悩まれていたり、孤独をかんじられていたときも多かったかもしれない。だから、当時のその先生にも一言、『ありがとうございます』と言いたかったなと。『いつか、でますよ』って。」

 

 

総裁先生「うん、うん、こう言ってくれているね。『出るよ』と言ってくれている」

 

 

 

これは、「将来、詩集となって、歌にもなって、みんなに大勢聴かれる。」という意味での「出る」ですね。

 

この箇所は、『遥かなる異邦人』のp54にあるシーンでもあります。

 

 

 

 

総裁補佐の「当時のその先生にも一言、『ありがとうございます』と言いたかったな」という言葉。ここは完全に宇高美沙とオーバーラップした感じがありますよね。

 

 

 

みなさんも、そんな気持ちになったことはありますか?

 

 

 

その気持ちがわいてきますか?

 

 

 

過去の主の軌跡である鏡川竜二の内なる葛藤を感じ取って

 

 

 

美佐さんや総裁補佐のような気持ちを持てるかどうか。

 

 

 

ここにも、この小説と、主を理解していくための

 

大切なポイントがあるのだと私は思います。

 

 

つづく