一部の信者の方に、もう少し書くべきだとご指摘を受け、拙きことを知りつつも、お読みくださる方に捧げたいと存じます。
一部の方がご存知のように、私は精舎での経験を多く賜っております。その中で得た知見をお分けできればと、存じます。
![]()
まず、誰しもが、取り組む作務について。
これは、四正道の実践として捉えるべきです。
まずは愛です。
愛。
愛の出発点は感謝です。
無限に与えられている事実に気づくからこそ
少しなりともご恩返しをば、と、報恩をします。
それはひたすらの与える行為であるはず。
つまりは、感謝無くして愛はありません。
まぁ、それは、だれしも、
わかったつもりで
サムをはじめます(笑)
で、も、ね。
魔境が必ず来るんです。
それは。
ひたすらになって、
自分が一生懸命にそろえた椅子や机、書類。
あるいは磨き上げた机の上。
これを、
いとも容易く。乱す存在がいるからなのです。、
はい。
そういう方は、
へーきで、つくえにペタペタ手垢をつけます(笑)
へーきでイスをずらします(笑)
だれも、ありがとう。なんていうてくれまへん(笑)
で、そのときに。です、
おい!なんでや!
これだけ必死にそろえたものを
おまえが
わしが、せっかく、ここまでぇええ、
ととのえたものをぉおおおお
おまえがぁ!乱しとるだろうが!っ!
という気持ちに、
誰しもがなるんですね(笑)
これは、一生懸命に
やればやってればやってるほど、
命をかけてやればやってればやってるほど
そして、
実はこの世的にシゴトが出来れば出来るほど
そういう気持ちになりやすいものかもしれませぬ。
そして、
こういった、思念経緯を辿るならば、
それは、そうよ。わかるわよう。
という気持ちにもなっちゃう気持ちも
人情としては、ようわかります(笑)
んで、
世俗のさまざまな立場を捨てて修行に参入される
雲水さんや
精舎の運営スタッフは
いつもいつもクッタクタの、
限界状態といってもいい。
その状況で
現実に、上に書いたようなことが起きている、と、おもいます。
そう、すると、ですね(笑)
わかりますよね。
「こんだけやってんだぞ!
なんでやねん!
おまえ、いま、この机をずらしたやろ!
わかってんのかこのやろうが!」
で、いつのまにか、感謝行でやっていることなのに、奪う愛になっている。
ってことになるんです。(笑)
その
裁き心と
いさぎよく闘い
それをも、通り、越えて
もともとの純粋な感謝の思いに
帰ってこれる人は
じつは少ないものです。
それが現実です。
これと、
むきあって
沈黙のうちに
その現象と、
みえない
戦いを
続ける。
だからこそ、
雲水さんなどの
下座修行は
尊いのです。
ほんとうに
尊いと思います。