今日は4時起きで、
職場の人たちと群馬の山に行ってきた。
ひとつ感じることがあったのは、
頂上へ向けて登っているときに、頂上から下ってきた人たちとすれ違うわけだが、
その人たちが岩や砂利の多いところを下っている様子を見ていると、
(うっわ、怖そう。。下るのいやだな。怖いな。南無妙法蓮華経。)
とか、
(きゃーあの人、足滑らした。やっぱ滑るんだ。。わたしも転ぶかな。南無妙法蓮華経。)
と色々恐怖を感じてしまっていた。
上りの自分も同じ場所を通っているものの、上りより下りのほうが、数倍怖そうに思えるのだ。
下る人の中には、
「うわっ!」とか、「キャっ!」
と言ってる人たちが少なくなかったから、余計にこちらは不安になる。
しかし、いざ自分が下り始めると、
次の一歩と、次の次の一歩はどの岩のどのくぼみに置くか考えて、少し先まで見渡してみる。そうして一歩一歩下ってゆく。
一歩一歩に常に気持ちが集中していたので、恐怖を感じる暇がなかった。
ここに足を置けば大丈夫かな、
と思って、少しだけ体重を乗せてみると、意外とゴロっと岩が崩れたりする。
だから、最初から全ての体重はかけない。
下りは、上りに増して、冷静で、そしてよく頭を使った。
下りでの自分は最大限に慎重であったと思う。
慎重だったが、不安は一切生じなかった。
そしてありがたいことに転倒や怪我はなかった。
だから、自分が下る前から、他の人の下る様子をみて、色々想像して不安になる必要なんてないんだな。
人には人の下り方があり、
自分は自分の下り方をしてゆけばいいんだな。
いざ自分の下りが始まれば、一生懸命になっちゃって、不安になる暇なんてどうせないんだということも分かった。
でも、上りの最中に、下りの人たちの様子を見れたから、心してから下れたのだ。
ありがとう。
今回の山は、
頂上が2つある山。
わりと有名な山らしい。
ひとつめの頂上の写真。
2つの頂上は、それぞれ耳で呼ばれてるらしい。
2つ目の頂上はすぐ近くではあるものの、
霧が立ち込めて、下界が真っ白になっていたため、1つ目の頂上で引き返した。
いやはや今回は、岩場が多くて、あまり写真をパシャパシャする余裕はなかった。途中、景色の開ける場所から眺めた様子。
オラ山脈のど真ん中にいるどーって感じがして、爽快だった。
往復4.5時間。
また行きたいと思える山だった。
ロープウェイで途中まで上がったので景色を眺められてよかった。
下山したら、めちゃくちゃ脱力。
どっと疲れた。フニャラってなった。






この山、今年に入って、既に五名の死者が出ているそうだ。滑落が原因。
たしかにーー。
油断禁物。
慎重な行動が要求される山だと思う。
今回もちょいハードだったけど、筋肉痛は大丈夫そう。
2~3週間に一度、定期的に登山しとくと、
筋肉痛もそう安安とは起こらなくなってくる。
子どものころは、ひょろひょろでひ弱だった自分が、山に登れるようになったことだけでも、ありがたい。
ちなみに、飲料水は、
ハイドレーション
っていう、点滴袋みたいな袋から飲み口のチューブがにゅにゅっと伸びてるやつを使った。
このハイドレーションに水を2リットルいれて持ってった。
このハイドレーションは、
リュックの中に吊るせるようになってている。
チューブはリュックに付属の、チューブを通す用の穴から、外に出す。
つまり最近の登山用のリュックは、ハイドレーションを使える仕様になっているものが多いということだ。
水を飲みたいときには、チューブの先を、少し歯で潰すようにすると、水が出てくる。
帰り間際、お土産に下仁田葱の佃煮などを買った。
玄米にも合いそう。
私が長野県の実家にいたころは、
私の勉強部屋の窓から、常念岳?とかの北アルプスが眺められて、
四方を山に囲まれてる暮らしだった。
今考えるといい景色だった。
しかし当時は全然いいと思ってなかった。
常に山が見えることで否が応にも、自分は田舎に生まれ育ってることを自覚させられて、あーあ。ふー。だっさ。とか思ってたりしたな。
反抗期の頃は、北アルプスにすごい反抗心をむき出しにして生きていて、
「あの山マジでムカつくんだけど!マジでイライラする!」ってよくイカって親に訴えていた。
親には、
はいはい、
ってあしらわれていた。
これは中学時代。
山関連でムカついていたことといえば、
NHK長野の18時台の天気予報で、山の天気予報の枠があって、
◯◯山、晴れ
とか、
△△岳、降水確率30%
とかやってるのを目にしては、イラっとしてチャンネル替えていた。
これは高校時代。
山は「田舎のダサさの象徴」だったんだな、自分の中で。
この他、東京に出てきてからの話だが、たまに実家に帰省するため新宿から電車(特急あずさ松本行き)に乗ると、(登山のハイシーズンにぶつかると、乗客は登山者が多いため)登山者独特の出で立ちに、非常にムカついていた。
特に、リュックの外側にさげられいるステンレスのカップと、リュックから突き出してる折りたたみストック。
あれが癪にさわり、見かけるたびにムカついてた。
(ふん、なにがコップだ、なにが杖だ。登山者は邪魔なので長野県に来ないでください。)
なぜそんなにムカついてたのかよく分からないけど、
特急あずさの中で一人プリプリしてた。
これは大学一年生のころの話だ。
わたしが今回下仁田葱の佃煮を買ったように、長野県に来る登山者は長野県にお金を落としていって下さるありがたい存在でもあるのにネー。
あの頃の自分はなに考えていたのやら。
実家から眺められた北アルプス連邦は、たしか夏以外はほとんど雪かぶってて、
全ての山が白と青の二色になり、荘厳だった。
いま、東京にいて四方に山が見当たらないけど、
やっぱ四方は山に囲まれてるほうが自分は安心する。
長野県にいたころは、山は当たり前にあったから、
山に囲まれてるほうが安心するなんて思わなかったし、
山を眺めて感慨にふけるなんてことも特になかった。
でも東京にきて10年たった今、
山はイイなー、と強く思うようになってる。
変化の中を生きているんだなー。
長野県から東京に出てきたこと。
山に対する自分の気持ち。
ひ弱だった子ども時代、丈夫な今。
ありがとう山。
ありがとう健康。
汗たくさんかいて、スッキリしました。