参禅会の法話の中で、山主様より『途(みち)に同じうして、轍 同じからず』というお示しが出てくると・・・。



最初の『途同じうして』ですが、途は行く手をさえぎる意から転じて『みち(道)』の意に用い、仏教では『仏道』などと言う場合の『道(どう)』に当たると・・・。



仏道を修業すること、社会人として歩んで行くこと、仕事や地域で活躍していく、かけがえのない命を存分に生きていくこと等、真実の道を歩んで行くことは同じだと。



しかし・・・その道は同じであっても『轍同じからず』と示されます。



『轍』は、車が雪道を通った時に残る輪のあとの意で、一人ひとりの足跡・・・歩み方・・・持ち味は違うというのです。



その違うところに良く心して、自己を見つめて歩むことが大切であると教えています・・・と。



そして、場合によっては相手の『轍』も尊重し、見習うことも大切だと。



以前、十七歳で安居(修業)された僧侶がいました。父親とは早く別れ、お祖父さんの後継住職に宿坊されての決断。


膝の上で子守唄変わりに教えられたお経は群を抜いて上手だったと…。



三年間の修業を経て、お祖父さんの師寮寺へ帰りましたが、お経には自信があり・・・勉強はこれからだと道標を定めての送行でした・・・と。



僧侶として社会人として歩む道は同じでも、歩むプロセスは各人各様であってはいいのではないでしょうか・・・と。



昨夜、車の雪道をみていて『轍だ・・・』とふと思い出しました。



『自己を見つめて歩むことが大切・・・』


そして、『相手の轍も尊重し見習うことも大切』


嫌な事を言われる・・・
以前は『なんだ?この人・・・変な人・・・・嫌いだなぁ・・・苦手・・・』と思った事があります。ただ、『自分自身を見つめなおす、きっかけをくれた有り難い方だと』感謝すると・・・見方は変わってくるよ・・・とある方に言われました。自分自身で『ハッと』としてしまいました(泣)
○○さんありがとうございます。
そのような事に対しても色々な意味があるのだ・・・と真摯に受け止める。初めは自我があるので難しかったです(汗)



ただ・・・すべてに対してありがとう・・・と感謝する・・・見方を変える。


自我を捨てると・・・。

今までとは違ったものがあるのだと、最近ですが気付きました。


ずっと捨てられたらいいのになぁ・・・。まだ時間はかかりそうです(泣)



それも自分の轍!!!
ありのままに受け入れ…受け止めて・・・ゆっくりゆっくりと前進していきます(笑)


augfirstさんのブログ-101212_120309.jpg


○○さんありがとうございます。たまに、ハッとする時があります・・・薄れているんだなぁ・・・と。気付かされます。
これからもよろしくお願いします。


そして・・・近いうちに、いつものお寺でまた掃き掃除をしたい・・・と。この寒い時期に・・・。本当に寒いんです…。


自分自身を見つめなおすために・・・。
日々の感謝を忘れないために・・・。


今日は晴れて良かったです(笑)