正月に配信で、ようやく『オッペンハイマー』を観ました。
映画館での上映時から話題になっていた作品ですが、

「原爆を落とした側の人物を、娯楽映画として描くことは許されるのか」

という議論を知っていた事もあり、簡単に向き合える映画ではありませんでした。
それでも、日本人として原爆の現実を知り、その痛みを背負っているからこそ、

「その兵器を作ることになった人間は何を見ていたのか」

という問いから目を逸らしてはいけない気がしていました。
配信で観られるようになった今、一人で静かに向き合うことにしました。
(夫婦で映画館へ行ったのは、もう20年以上前のことです。)

■ 科学の勝利ではなく、「人間の弱さと苦悩」の物語
この映画は、科学の偉業を称える話ではありません。むしろその逆です。
•     科学が国家に取り込まれることの怖さ
•     理想が現実に押しつぶされる瞬間
•     成果と責任の間で揺れる人間の苦悩
こうした「人間がどう壊れていくのか」を描いた作品だと感じました。
映画は広島・長崎の惨状を直接描きません。
しかし、その“影”はオッペンハイマーの心の中に落とされ続けます。
描かれない痛みが、静かに全編を覆っている。
日本人として観ると、その沈黙の重さが非常に苦しいものでした。

■ Jean──「理想と自由」を生きようとし、飲み込まれた人
強く印象に残ったのが、Jean Tatlock の存在です。
彼女は単なる愛人ではなく、オッペンハイマーの
•     理想
•     感情
•     繊細さ
•     “国家の論理の外側”にある人間性
その象徴のような人物でした。

傷つきやすく、しかし誠実で、
時代に守られることなく、むしろ飲み込まれてしまった人。
国家という巨大な機構の前で、

「生身の人間はどれほど脆いか」

を体現する存在でもあります。

■ Kitty──傷を抱えながらも「現実を生き抜く」強さ
対照的なのが、妻の Kitty Oppenheimer。
彼女は優しさで夫を包むタイプではありません。

むしろ残酷なほど現実主義。
•     感情より結果
•     慰めより覚悟
•     愛よりも「立て」と言う人
冷たく見えるけれど、それは「生き残るための強さ」。
理想に溺れてはいけない、弱さに浸ってはいけない──
彼女はそう言わざるを得なかった人間なのだと思います。
Jean が折れてしまう花なら、
Kitty は折れないために棘を持つ花。
この対比だけでも、映画は非常に豊かでした。

■ Straus──権力とプライドが動かす“もう一つのアメリカ”

そして忘れてはならないのが、私は好きではない俳優ですが、
ロバート・ダウニーJr 演じる Lewis Strauss(ストロース)。
彼はこの映画における “政治と権力のアメリカ” を体現する人物です。
•     評価
•     影響力
•     立場
•     侮辱と復讐
•     プライドと嫉妬
国家の巨大な決断の裏側で、
実はこうした“とても人間的で小さな感情”が渦巻いている。
それが人の人生を破壊していく。
この皮肉こそ、映画が突きつける恐ろしさだと感じました。
ストロースは単なる悪役ではなく、
ワシントン政治の論理そのものとして描かれているように思います。

■ 三人のアメリカが、一人の男を引き裂く
映画の構図を整理すると、こう見えてきます。
•     Jean のアメリカ=理想・自由・傷つく魂
•     Kitty のアメリカ=現実・生存・強さ
•     Straus のアメリカ=権力・嫉妬・政治の論理

そして、その真ん中で引き裂かれていくのがオッペンハイマー。
理想を抱いた科学者だった彼は、
“アメリカという巨大な現実”の中で理想を摩耗させ、
心だけが壊れていく。

■ 日本人として、この映画にどう向き合うか
簡単に答えは出ません。
「加害者側の感傷に過ぎない」と切り捨てることもできる。
しかし私は、この映画を

「加害の側を正当化する物語」

してではなく、

「国家と権力がどのように個人を利用し、破壊するかを描いた

物語」

として受け取りました。
そして私たちは、被爆国としてその結果を背負った当事者です。
だからこそ、この問いから離れないことにも意味がある気がします。

■ 見終わって残ったのは、「答え」ではなく「問い」
この映画は、何も解決してくれません。

すっきりした結末もありません。
ただ、
•     科学は誰のためのものか
•     国家はどこまで正義を名乗れるのか
•     個人はどこまで責任を負えるのか
•     私たちは何を忘れてはいけないのか
そんな問いだけが、静かに胸に残ります。
軽く語れる映画ではありません。
しかし、「観なかったこと」にしてしまうには、あまりにも重い。
観る人の数だけ、それぞれの答えと痛みが生まれる──
そんな映画なのだと思います。
アメリカ映画は最近ほとんど観ませんが、
こういう作品を生み出すハリウッドの土壌は、まだ確かに息づい

ているのだと感じました。