またあの日が巡ってきました
迷いながら書いています40年経ったのですね以前も投稿しましたが元JALのCAですしかも、あの事故の約2週間後に入社しました入社前は丸の内の本社でアルバイトをしていました当時のことは当然忘れませんニュースが見られない時期もありました事故を直視できなかったんですあまりの惨状を見ることができなかったのとコックピット内の会話が辛くて泣いてしまうからボイスレコーダーでの会話が公開されたのは、確か事故からかなり時間がたってからのことだったと記憶しています入社後、乗務で一緒になったコックピットの人達の間では「ボイスレコーダーが発見されても公開されないのでは」という意見もありました何故なら、怒号とか飛び交い物凄いことになっているだろうしとても音声は公開できないのではないかとところが公開された肉声は機長の頑張れ!とか副操縦士への精一杯の指示そして精一杯操縦していた副操縦士の必死の返事あの便は副操縦士が機長席に座り操縦していました熟練機長の便ではよくあることです今から8年近く前に初めて慰霊登山に行きました事故直後からは相当時が経過しているので登山道も整備され遺品が散らばっているわけでもなかったですがそれでも様々な想いを抱きました毎年8月12日は特別な気持ちで静かに犠牲になられた方々へのご冥福を祈ります昨日も今日もやはり心は重いです生涯忘れないでしょうささやかではありますが犠牲になられた方々のご冥福を生きている限り祈りたいです