オスマン帝国皇帝スレイマン1世の寵妃ロクセラーナ(ヒュッレム・ハセキ・スルタン) (1502年から1504年頃 - 1558年4月15日)
オスマン帝国を最盛期に導いた大帝スレイマン1世とハレムの世界を生き抜いたヒュッレム。本名はレクサンドラ・アナスタシア・リソフスカ
スラヴ系[で、ロシア、ウクライナ、もしくはポーランド人だったとされておりポーランドの伝承やポーランド人の詩人サミュエル・トワルドーフスキーら16世紀後半から17世紀前半の文献によると、ルテニア地方の貧しい正教会司祭の娘。1520年代にドニエストルやルテニア地方を略奪したクリミア・タタール人に捕えられて奴隷に落とされイスタンブールに売られそこから、オスマントルコのスレイマン1世の大宰相パルガル・イブラヒム・パシャに買われた後、スレイマン1世に献上されたといわれています。
スレイマン1世には長男ムスタファを産んだマヒデヴランがいましたが、スレイマンの第2側室(イクバル)と呼ばれる側室から子供を成したことで第2夫人(イキンジ・カドゥン)に。それまでのオスマン帝国では、ひとたび男子を産んだ女性はスルタンから遠ざけられるという慣習がありましたが慣習を破ってスレイマン1世との間に複数の男子をもうけ、法的な婚姻関係を結び、事実上の一夫一妻の関係を築きました。
スレイマン1世との間に儲けた長女ミフリマーそして、5人の皇子たち(メフメト、アブドゥラー、セリム、バヤズィト、ジハンギル)のうち、早世したアブドゥラーを除く4人の皇子たちのいずれかを次期スルタンとするべく策動し、3男セリムがセリム2世として皇帝となりました。妃はヌール・バーヌー(光の姫、という意味)と改め彼女は、セリム2世の寵愛を受け、皇子ムラトを生みました。
ユダヤ系ヴェネツィア貴族の女性で1537年、彼女はエーゲ海のパロス島でオスマン帝国に捕らわれ、イスタンブールへ送られて奴隷としてスルタンの後宮に入りました。伯父はヴェネツィア共和国の元首(ドージェ)を務めたセバスティアーノ・ヴェニエル。
写真はトルコの人気テレビドラマ『オスマン帝国外伝〜愛と欲望のハレム〜』から
ヒュッレム・スルタン(ロクセラーナ)をトルコ系ドイツ人女優のメルイェム・ウゼルリ(第1シーズンから第3シーズンまで)とトルコ人女優のヴァリーデ・ペルキン(最終第4シーズン)が演ました。
【オスマン帝国】hurrem sultan, Magnificent century→●