ジョージ・ブラグデン 『Versailles/ベルサイユ』(シーズン3)プレミアが10月に | Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *

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海外ドラマで学ぶ世界史?

 

TVドラマシリーズ『Versailles/ベルサイユ』で、若き日の太陽王ルイ14世を演じた英国人俳優のGeorge Blagden(ジョージ・ブラグデン)のシーズン3(ファイナルシーズン)がプレミア公開されたようです。放映は10月6日予定。

 

Season Three of Versailles

 

「ベルサイユ」は母親を亡くしたばかり、傷つきやすい心を持った青年時代という、いわば彼の“暗黒期”から物語はスタート。

焦点となっているのは、政府と貴族と抑制して中央集権を強化するため、ベルサイユ宮殿の建築を決意する彼が、青年から大人の男に成長する過程。誰もが知っているフランスの絶頂期を築いた太陽王としてではなく、弱さや失敗など、一人の人間としてのルイ14世を描き出すことを目指しました。そういった側面は、自分でも特に表現したかったところでもあります

 

撮影の4週間前にこの役が決まったので、ヨーロッパ史上で最も有名な人物を演じるというのに、準備期間はほぼ週末の2日間だけ。それに、ルイ14世の影響力や知名度についてもよくわかっていませんでした。それを肌身で感じたのは、衣装合わせでフランスに行った時に、パリ=シャルル・ド・ゴール空港のトイレの壁一面に、小さな太陽王のモチーフが描かれているのを見たとき。もちろん、彼が世界に与えた影響も計り知れません。彼がモダン・ラグジュアリーの礎を築いたと考える人も多いようです

 

 

 

毎朝、撮影の準備に2時間くらいかかるんです。すごく暑い日があって、滝のような汗が顔に流れ落ちてきていたので、5枚重ねていた衣装のうち、下の3枚を脱いでもいいかどうか衣装デザイナーに尋ねたことがあります。下に着る服は見えないので問題ないと思ったのですが、ジャケットのシルエットがきれいに出なくなるからだめ、と却下されました。

衣装は暑いだけじゃなくて、たくさん飾りが付いているのですごく重いのですが、身に纏っていると堂々とした気分になれるのも確か。現代で言えば、サヴィル・ロウで仕立てた上質なスーツを着ているようなものでしょうか。

ハイヒールを履くと態度や姿勢にまで変わる、という通説は本当でした。撮影の終盤には、フラットシューズよりヒールのある靴のほうが履きやすくなっていることに気づいたくらいです

 

 

 

ウィッグについては、一長一短ですね。ウィッグをつけることで、フランス王にふさわしい威厳が出るところはすごく良かった。普段の僕がロングヘアじゃないことに驚く人も多いんです。

もし伸ばしたとしても、絶対あんなゴージャスな感じにはなりませんけどね。欠点は、インパクトがありすぎるところ。撮影現場に僕を訪ねてきた人たちは、そろってウィッグにばかり目がいっていました。

 

 

 

参照→【外部リンク

 

 

ベルサイユ (シーズン3) (2018)<TV> 出演  

ベルサイユ (シーズン2) (2017)<TV> 出演  
ヴァイキング ~海の覇者たち~ (シーズン3)
ベルサイユ (シーズン1) (2015)<TV> 出演  
ヴァイキング ~海の覇者たち~ (シーズン2)
ラスト・ワールド (2013)<未> 出演  
ヴァイキング ~海の覇者たち~ (シーズン1)

 

 

 

 

メアリー (スコットランド女王)ルイ14世の歴史的背景のつながりを説明します。。。

TV「クイーンメアリー」

 

 

 

メアリ-・オブ・スコット(メアリー・スチュアート。英国王位継承順位が上のメアリーの帰国に脅威を感じていた親類いとこ関係のイングランド女王エリザベス1世。夫と死別し命からがらスコットランドに戻った旧教徒のメアリーは新教徒指導者や貴族と対立し、王位を安泰にし地位を高めるため、自分の側近を殺したダーンリー卿と愛のない結婚をするも、戦いに破れ、エリザベスに首をはねられます。

メアリーの子ジェームズはスコットランド王として即位し、またエリザベス1世の死後は、イングランド王位をあわせ継ぎ、以後スコットランドとイングランドは同君連合を形づくり、18世紀のグレートブリテン王国誕生の端緒に。

終生未婚で、子孫を残さなかったエリザベス1世に対し、メアリーの血は連綿として続き、以後のイングランド・スコットランド王、グレートブリテン王、連合王国の王は、すべてメアリーの直系子孫で、 現在のイギリス王室の直接の祖先がメアリーの息子ジェームズということになるわけです。

 

Mary,Queen of Scots(最初の結婚は15歳と14歳)

 

1558年4月24日、メアリー・オブ・スコットはフランスアンリ2世と母はカトリーヌ・ド・メディチの長男で、王太子であるフランソワと結婚式を挙げます。

同年11月17日にジェームズ5世の従妹に当たるエリザベス1世がイングランド女王に即位すると、アンリ2世は「庶子であるエリザベスの王位継承権には疑義があり、メアリーこそ正当なイングランド王位継承権者である」と抗議。エリザベスを激怒させます。

7月10日にアンリ2世が亡くなると、王太子がフランソワ2世として即位し、メアリーはフランス王妃となりました。またローマ教皇を含む多くのカトリックは、実際にメアリーがイングランド女王であると考えていました。1560年12月5日、フランソワ2世が16歳で病死。子供ができなかったメアリーは、翌1561年8月20日にスコットランドに帰国。

フランソワの死後、フランスではカトリーヌ・ド・メディシスが摂政となりフランソワの弟、シャルル9世、アンリ3世が王位につきます。カトリーヌの死の8ヶ月後にアンリ3世はカトリック修道士に暗殺され、ヴァロワ朝は断絶。

ナバラ王アンリがアンリ4世として即位し、新たにブルボン朝が開かれます。

 

 

 

カトリーヌ・ド・メディシスの次女クロードは、姉エリザベート、兄の婚約者であるスコットランド女王メアリーとともに育てられましたが、12歳でロレーヌ公シャルル3世の妃に。

クロードは分別ある娘で母の意に反し、妹マルグリットにナヴァール王アンリ(のちのアンリ4世)と結婚するのは危険だと忠告していました。

三女として生まれたマルグリット(1553-)は宗教対立を解消するため、ナバラ王アンリ、後のフランス王アンリ4世と結婚することになりますが、結婚後すぐにサン・バルテルミの虐殺が発生。1589年にアンリ3世が暗殺された後、ナバラ王アンリはアンリ4世としてフランス王位に就きます。

 

1599年に2人は正式に離婚その後アンリ4世は、マルグリットの母方の遠縁であるメディチ家のマリー・ド・メディシスと1600年、マリーが27歳の時に、再婚。1601年、待望の世継ぎであるルイ13世を出産。

スペイン王フェリペ4世王妃イザベル、サヴォイア公ヴィットーリオ・アメデーオ1世妃クリスティーヌ、オルレアン公ガストン、イングランド王チャールズ1世王妃アンリエット・マリー(ヘンリエッタ・マリア・オブ・フランス)などを出産しました。チャールズ1世はジェームズ1世の次男なので、メアリーオブ・スコットの孫になります。

チャールズ1世とアンリエット・マリーには息子にチャールズ2世ジェームズ2世の2人、孫にメアリー2世、ウィリアム3世、アンの3人の君主がいます。

 

チャールズ1世の息子チャールズ2世はルイーズ・ケルアイユとの間に出来たリッチモンド公、バーバラ・パーマーとの間に出来たグラフトン公の系統は、スペンサー伯爵家と婚姻を重ねてダイアナ元妃に至ることに。

ジェームズ2世はアラベラ・チャーチル(サー・ウィンストン・チャーチルの娘でマールバラ公ジョン・チャーチルの姉)との間に庶子ヘンリエッタを残しており、その家系はスペンサー伯爵家と婚姻を行いダイアナ元妃に至ることに。1981年のダイアナ妃とチャールズ王太子の結婚、翌年のウィリアム王子の誕生により294年振りにジェームズ2世の血筋はイギリス王室に甦えりました。

 

 

マルグリットは離婚後も、アンリ4世やその一家との関係は、友人として良好で特にアンリ4世とマリー妃との子であるルイ13世を可愛がり、館と領地を遺贈。1615年5月27日のマルグリットの死で、ヴァロワ家の血統は庶流を除いて完全に絶えました。そしてルイ13世は父王アンリ4世の暗殺により幼くして即位。

ルイ13世

 

1615年11月24日、14歳でスペイン王フェリペ3世のアナ王女(アンヌ・ドートリッシュ)14歳と結婚。これはカトリック勢力のフランスとスペインとの軍事的及び政治的同盟を固める伝統に従った王室間結婚。妃はルイ13世の母后マリー・ド・メディチから無視されたり、夫の不仲も。

 

1624年にルイ13世はリシュリューを首席国務卿(宰相)に任命。イングランド王チャールズ1世の寵臣であるバッキンガム公ジョージ・ヴィリアーズはお忍びでフランスを訪ね、リュクサンブール宮でのバレエを観劇し、そこに女神役で出演した王妃アンヌに一目惚れしたとか。1625年に王妹でイングランド王妃のアンリエット・マリーをイングランドへ連れ帰るためにフランスを再び訪れた、バッキンガム公と王妃アンヌが恋に落ちたとうわさされています。

王妃がバッキンガム公へ贈ったダイヤの胸飾りがリシュリューの手の者に盗まれるも、バッキンガム公が港湾を封鎖させ、代わりに精巧な模造品を王妃に送り返したという事件が、ラ・ロシュフコーの回想録に記述されておりこれらの話は大デュマの小説『三銃士』の題材に。

 

その後アナ王女(アンヌ・ドートリッシュ)王妃は23年間の結婚生活と4度の流産を経て、37歳ごろとなる1638年に後のフランス・ルイ14世となる男子を出産。次男のフィリップを39歳で出産。ブルボン王家の血統が守られました。

ルイ13世の崩御により、4歳の王太子がルイ14世として即位。

 

ルイ14世

朕は国家なり」と言ったとか、贅を尽くしたベルサイユ宮殿を作り、スペイン継承戦争を起こしたり、王朝の最盛期を築き、太陽王(Roi-Soleil)と呼ばれた国王。

父の死後、幼くしてフランス国王に即位。1651年ルイ14世が成人に達して母アンヌの摂政は終わるも、彼女はマザラン枢機卿が死去するまで政治的影響力を保持し続け、アンヌも65歳で死去。ルイ14世は22歳のとき、宰相マザランが亡くなった後、突如、権力志向をあらわに出して別人のように尊大になったということです。

スペイン王女スペイン・ハプスブルク家(アブスブルゴ家)出身マリー・テレーズ・ドートリッシュ21歳と結婚。(父はスペイン王フェリペ4世、母はフランス王アンリ4世とマリー・ド・メディシスの娘イサベル・デ・ボルボン。)

 

Marie-Thérèse d'Autriche

Marie-Thérèse d'Autriche

 

13世紀から20世紀までヨーロッパで栄えたハプスブルク家といえば突出した下顎に静脈が透けて見えるような白い肌。マリーハプスブルク家独特の小さく短い唇をもっており、とぼしい表情をより寂しいものとさせたとか。国王との間には3男3女が生まれるも、長男ルイ(グラン・ドーファン、ルイ15世の祖父)以外は夭逝し、マリーも1683年に44歳で死去。

 

 

マリーにとって夫であるルイ14世の父(ルイ13世)は母方の伯父、同じく夫の母は父方の伯母と近親の血族結婚を繰り返したスペイン・ハプスブルグ家。1700年、カルロス2世の死によりその宗家は絶えました。

 

カルロス2世の死後1701年2月にフランスの太陽王ルイ14世が孫のアンジュー公フィリップをフェリペ5世としてスペイン王に即位させると、これに対抗したオーストリアは皇帝レオポルト1世の次男カール大公をスペイン王に推しました。数次の中断を挟みながら、スペイン・ブルボン家は現代のフェリペ6世まで続くスペイン王家となりました。

 

フランスではルイ14世の曾孫(はやり病を生き残った1710年生まれの三男)がルイ15世として即位。
 

 

アナ王女(アンヌ・ドートリッシュ)

アンヌはフランス文化に慣れずスペインの習慣のまま生活を続けました。とても美しい手をしていたそうです。彼女の嫁入り道具としてスペインからフランスにチョコレートが入ってきたそうです。息子のルイ14世も1661年、チョコレート好きのスペイン王女マリー・テレーズ(マリア・テレサ)と結婚し、フランスでは上流階級からチョコレートが広まったとか。

14歳で異国へ渡り結婚し、成人後に愛人が一人もいないという珍しいフランス国王と不仲になり、不妊・流産にはさまざまな要因が絡み合い、当時産めない女性は肩身の狭い思いをしたと容易に想像できますが37歳で初産、39歳でも出産と、当時としてはかなりの高齢出産にもあたりすごいことです。

記録されていることによると14世紀後半から15世紀にかけてのフィレンチェでは、上層市民の女性の初婚年齢はほぼ17歳、下層市民の女性は19歳から20歳となって、もし17歳で結婚した女性はこの時代平均して7~10回の出産、そのうち成人するのは半分の時代だったそうです。