【モナコ公室】グレース・ケリー モナコへ出向 voyage to monaco | Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *

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私の大好きな 美しいもの、綺麗なもの、かわいいもの。 そして 美しい人、綺麗な人、可愛い人をご紹介したいです。
麗しい、美しい、 愛しいものを......
オードリーをはじめとするハリウッドセレブからダイアナ妃やグレース・ケリーなどの各国 王室・王族も。


美貌とそのエレガントでヒッチコックの映画などに多く出演し、ハリウッドで成功を収めたグレース・ケリー。1956年4月18日、ふたりは「世紀の結婚式」を挙げて、世界中を沸きに沸かせ、ジョン・F・ケネディは、「あなたはかつて、スクリーンの女王だった。そしていま、最も美しい、本当のプリンセスとなった」と祝福の言葉を贈りました。


1956年4月4日、雨。家族や友人達に見送られ、アメリカ・マンハッタンからレーニエ大公の待つ モナコ公国へ向かう外航定期コンスティチューション号に乗り込みました。8日間の航路の末モナコに到着します。

【モナコ公室】グレース・ケリー


渡航に船を選んだのは、グレース自身だったと言われます。

一人の時間を持ちたかったそうですが、コンスティチューション号はニューヨークからイタリアへの外航定期船でモナコへの寄港は臨時でした。

予約客をほかの船に移動させ、ケリーの家族親戚友人、など結婚式参列者90人に1等とキャビンクラスの客室を提供。報道陣や一般客も乗せて想像よりも騒がしい旅となりました。

モナコ港外に到着すると、レーニエ3世の船「レオ・ジュバンテ」号が歓迎の船とともに近づき、ケリーと愛犬オリバーを乗せ換えて公国へとエスコート。モナコに船の長旅で渡り、到着してから6日間、心ゆくまで夢のようなカクテルパーティーに夜会を楽むも、疲れがとれぬままに社交用事が次々と重なって式が近づくにつれ将来の不安が増していき数日で5キロも体重が落ちたそう。




この日のことをグレースはのちに

「出発の日、船は霧に包まれていたせいか、まるで自分がどこか知らないところに連れていかれる気がしました。これから何が起こるのかしら...霧の向こう側ではいったいどんな世界が待っているのかしらと。」」と回想しています。



【モナコ公室】グレース・ケリー

 

持参金は現在の価値にして約7億円、そして80を超えるスーツケースに大好きな洋服を持っていきました。 
グレース・ケリーが好んで着ていたのは、ディオール、バレンシアガ、ジバンシー、イブ・サンローランなど。当時のトップデザイナーはグレースに着てもらおうと競うように美しい衣装をデザインしていました。

イーディス・ヘッドもグレース・ケリーが一番のお気に入りだったそうです。 
 







1982年の今日9月14日。グレース・ケリーは自動車事故で53年の生涯を閉じました。(2週間後にはイングリット・バーグマンも67歳で亡くなっています。)そして息子のアルベール2世は53才で南アフリカ出身のシャルレーヌ妃と結婚。






2016年9月、グレースの育ったフィラデルフィアの家を息子のモナコのアルベール2世が計77万5千ドル(約8,800万円)でケリー家の邸宅を購入。もともと100万ドルの価値があったこの家はグレースの父ジョン・B・ケリーによって建てられ、1929年に完成。フィラデルフィア、イースト・フォールズ地区にある6ベッドルームの邸宅は、1955年、大公レーニエ3世がこの家でプロポーズした場所でもあり32歳と26歳のカップルが誕生した場所でもあります。



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