渋谷の氏神様、「金王八幡宮」 | 猫好き、シン・レオの鳥撮り&日記

渋谷の氏神様、「金王八幡宮」

10月16日の土曜日は、用事があって渋谷まで出掛けました。

用事は2時くらいに終わったんで、歩いて渋谷駅に向かって歩いていると、

大きな鳥居が見えました。

で、神社好きなので行ってみると、


(こんのうはちまんぐう)

という神社でした。


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↑参道の道路にまたがる大きな鳥居です。


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↑こちらの門は、江戸時代中期の建立だそうです。


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社殿は江戸時代初期の建立で、

社殿と門は、渋谷区指定の有形文化財です。


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↑こちらが社殿です。

江戸時代には、竹千代(徳川家光)の守役の青山忠俊と春日の局が

三代将軍就任を祈願し、

徳川家光が三代将軍に決定した時に、寄進したそうです。


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↑社殿に施された彫刻も見事なものでした。


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金王八幡宮(こんのうはちまんぐう)は、寛治六年(1092年)、

渋谷氏の祖、河崎基家により鎮祭され、基家の子、重家がこの地に館を構えて以来

渋谷氏の氏神として尊崇されました。

重家は、堀河帝より、「渋谷」の姓を賜り、これが渋谷の地名の発祥とされる。



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↑金王丸御影堂

渋谷重家は子供が無く、この神社に祈願したところ、子供を授かりました。
その子、金王丸は、源義朝に仕え、保元の乱に出陣し、

平治の乱ののちに出家して土佐坊昌俊となり、
源義朝の霊を弔いました。
また、源頼朝の鎌倉幕府開幕にも尽力し、
のち、義経討伐に参加し討ち死にしました。


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金王丸御影堂には、保元の乱の折、

母に残した自らの姿を彫刻した木造と、

金王丸が所持した「毒蛇長太刀」が保存されています。


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↑金王桜(こんのうざくら)


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源頼朝が金王丸の忠節をしのび鎌倉の館から移植したそうです。

長州緋桜という種類で、一枝に一重と八重が入り混じって咲く珍しい桜です。


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↑こちらは鎌倉時代に作られた御神輿です。

都内に現存する御神輿では最古のものです。

江戸時代初期に、金王八幡神社の氏子であった青山百人組の人達が、

鎌倉八幡宮の大祭に参詣の折り、八幡宮の神輿を担ぎ出し

そのまま持ってきてしまったと伝えられているそうです。

台座四尺、高さ八尺、重量百貫…金王八幡宮の説明書きの札より