みなさん、こんばんは。

 

katsuraです。

 

さて、タイトルにある、

「棺を蓋いて事定まる」。

古くからある言い回しとでもいいましょうか、

意味は、

「死後になってはじめてその人の真価が決まる」

(出典:岩波国語辞典 第四版)

 

えー! 生きている間に評価してやんなよ、

と思うかもしれませんけどね。

 

それでも、亡くなった後、

にじみ出るその方の真価は、

なかなか味わい深いものだと、

私は思います。

 

で、父の場合です。

 

この間、母と過ごしていた時、

母が失敗を悔やむようなことを口にしました。

何か他愛のないことだと思うのですが、

母が嘆きますので、

「人は理想通りに生きられるものではない」

と、私は言ってみました。

 

その一般論めいた文句を言いながら、

こうした箴言めいたことを口にするのは、

父がよくやっていたなあ。

そんな感慨に浸りました。

 

箴言とは、ある種シニカルな面を持ち、

冷徹なまでの人間観察から飛び出す言葉だったりもします。

 

「我々の美徳は、ほとんどの場合、

偽装した悪徳にすぎない」(ラ・ロシュフーコー)

のようにね。

 

けど、自分が言動をまねてみると、

父の意図がはっきりと浮かび上がりました。

なせ私が口にしたかというと、

嘆く母親に対して慰めたかったのです。

 

一般論めいたように発言しながらも、

また、そのように「直接に傷に触れない」ようにもして、

慰められたなら、

という意図がこもっていました。

 

その意図を自覚すると同時に、

父もまたこうした発言をしていたのは、

「直接に触れる」ことを控え、

それでも手を差し伸べようとしたのかもしれない、

と思うようになりました。

 

生前には感じ取れなかったことですね。

 

人が亡くなると、

生きている時には

想像もしなかったことが出てきて、

驚くことがあります。

 

なぜ驚くか、

なぜ気が付かないか、

というと、

普段、私たちはみんな死ぬことを

忘れて生きているからなんでしょうね。