みなさん、こんばんは。
katsuraです。
なんとかブログも続いて書けて、なにより。
再開すると宣言して、逆に重荷になったらら、どうしようかと思っていたのですよ。
さて。
小説をかくことがやりたいことと、先の記事に述べました。
どんな世界でもそうですが、自分が所属している場所が他の方にとって、まったく未知の世界であることは往々にしてあります。
けど、自分が未知でないことは、他人も未知でないと思うことも往々にしてある。
なので、自分が取り組んでいる「小説」について、書いていこうと思います。
今、小説家養成講座に通っていて、いろんなことを教わります。
と、同時に課題のあらすじや本編を書き上げて、提出して講評を受けて、という日々を送ってほぼ二年。
講座で紹介していただくお手本となる本や参考図書、すばらしい作品も読んで糧にします。
となると、読書は上記のような小説が自然、多くなりました。
ですが、先日ふとしたきっかけで漫画を手に取ったのです。
「凪のお暇」コナリミサトさん著 秋田書店。
もう面白くて面白くて。
夢中になって読むうちに、以前の癖を復活させました。
それは……、漫画の続きを妄想すること。
この癖は小説家養成講座に通う前に、独りで作品を書いていた時からのものです。
いやあ、結構楽しいものですよ。
特に次の巻が出ないときはこれでしのぐしかない!
と思うほど。
でも、気が付きました。
ストーリーを考えながら、愛おしさを感じる漫画の主人公をすぐ幸せな展開にすることに。
だって、漫画ではあんなに大変そうだから……。
否、大変でいいのですよ。
「そっちに行ったらダメ!」「そいつじゃない、そいつじゃまた痛い目を見る!」と、主人公にやきもきすることが物語をたどる醍醐味なのですから。
主人公が困れば困るほどいい。
これは鉄則です。
講座での教えを受けてもそう思うし、自分が書いていてもそう思う。
思いがけず、手にした漫画で以前の癖を思い出し、
だから、自分の書くものは、面白くなかったんだな、
と深く理解しました。
世界中の神話は、もれなく主人公が困る展開になっています。
ひどい目にあいながらも行動し、解決するのは、神々や英雄だろうと同じ。
そんな成長の過程を見たい(読みたい)のが、神話の時代からの人間の営みなのですから。
神話の時代から続く物語にかかわれるよう、今日も書いていく。