寂しさ・虚しさを我慢し抑えれば抑えるほど、人はその分心細くなりネガティブになり依存的になる。



そして、その寂しさ・虚しさを誤魔化せば誤魔化すほど心に角が立つ。



これを解消出来ない理由としては、劣等感と素直さに欠けることにある。



そのような状況と傾向にある人が、これを解消するには対象が必要になってくる。



そして、対象は自分にとって解消出来るものかジャッジされる。



そのような状態にある者が寂しさから解放されるには、ほとんどの場合『対象』に掛かっているのである 。



ここでの『対象』を『選択』する際の判断基準は非常に感覚的・直感的なものになってくる。



しかし、このように寂しい状態にあると感覚や直感が働く際の判断基準が危ういものとなっている。



と言うのも、同じ寂しさ・虚しさを共有しあえる者同士が引き寄せあう可能性が非常に高いからである。



そうなってしまうと、どう言うことが起きるかというと、



『傷の舐め合い』

『グチの言い合い』

『不満・陰口・噂話』



等が当然のように繰り広げられる。


このような事は、何を意味するのかというと、



『自分にもあるはずの劣等感を、他人の劣等感を棚に上げて嘲笑う事である。』



こうして、解消されたかと本人は錯覚を起こす。


その証拠に、『スッキリ』している。


これは、私自身も経験済みなので良く分かる。



しかし、真の解消はされておらず、又『寂しさ・虚しさ』は知らず知らずのうちに蓄積していく。



そして、偽りの解消が一種の中毒症状・快感となる。



中毒症状はどこかで絶たない限りは持続し続けるのである。



このような関係性は、みじかな場所では職場関係等で良く見受けられる。





そして、又別のケースとしては、依存心が強い状態にあるので非常に騙されやすく利用される危険性がある。


この場合は、同じような者同士が引き寄せ合い強い者が利用するケースである。


強い者が上手いこと弱い者に対して要求を飲んでもらう。



ここでの弱い者は、



『構ってもらえる』

『役に立っている』



と言うような思いを抱く。



しかし、これも利用されている限りすべて錯覚となる。



そして、強い者弱い者に関係なく、お互い都合の良いように利用するケースも存在する。


お互い都合の良い時だけ甘えて、都合の悪い時に冷たくあしらい、時には傷つけ合う。


変な仲間意識があり、どちらかが第三者の攻撃の対象となった時には最初は庇うのだが(もう一方が攻撃・否定されることによって自分にされていると感じるため、自己正当化をはかるため)都合が悪くなるといとも簡単に見捨てる傾向にある。


このような状態は進歩の無い


『共依存』


状態となる。


この関係性は、客観的に観た時に、非常に不気味な関係性に見えるのが特徴である。



ここで私が疑問に思うのが、そのような営みをいつまでつづけるのか?



と言う疑問である。



すべてを否定する気はない。そうなってしまうこともある。



そして、そこには真の信頼は無い。



何か都合が悪いと皆危険を察知して離れ合う関係性にある。


その先にいったい何があるのか考える必要がある。