この世は意味付けられた世界で成り立っている。

意味付けされる根底には、すべて人間の都合しかない。

私達が何かを観たり聴いたり感じたりされ知覚されたものが合理化され意味付けられる。

しかし、それはあくまで私達人間の解釈に留まるのである。


私達が感じたものが同様に他の生物が感じるとは限らない。


私達人間と他の生物が共通していることと言えば、生存するための欲求である。

まあここでそれだけが共通しているとも言い切れないのも、これさえも人間の勝手な解釈なのかもしれないが。


しかし、ここで疑問が生じるのは他の生物と同じように人間も生存する為だけの欲求で満足し得るかという疑問である。


それだけで良いのであれば人間が何も人間として存在しなくてもいい話にもなる。

事実、人間はそれだけでは満足出来ないのである。


それ以前に、生存するための欲求だけ満たしていても、満足どころか『生』への疑問へとぶち当たる。


ただ、命を明日に繋ぐための『生』への『今』という現実に。


この事実は、人間がただ命を存続させるためだけに存在する命ではないことを証明する事実ではないかと思う。


人間は価値を見出したいのである。


だから、意味を求める。


逆に、意味のない世界が想像し得ようか?

それは、人間には恐ろしく恐怖なものになるだろう。


人間が人間としている以上意味があるのである。

それは、人間が人間として意味を求める限り。


そして、最終的に意味のあるものとする事は信用・信頼とでしか成り立たない。

意味を求めると言うことは、


『信じる。』


ことなのである。