桜の木の話がある

自分が何者か分かるのであればそれはそれで良し。分からなければ分からないでそれで良し。

自分が自分であるならば自分に託せるか託せないかだけだ。

桜の木が桜の木だろうと無かろうと桜は、時間など気にせずすべき事を当たり前の如く淡々とこなし花を咲かせる。

桜の木にとって桜の花が咲くことは当たり前だから、桜の木として成り立つ。


桜の木が他の花を咲かそうものなら、苦しむかもしれない。

本来咲くはずのものを敢えて他のものを咲かそうと思ったのだろうからそれだけの意図や必要性があるのだと伺える。

そう、その必要があるのであればきっと桜は他の花も咲かすことも出来るだろう。


又は、その桜の木が他の花を咲かすことを自ら知っている可能性もある。
よほどの意図があったか、単なる気まぐれかは知る由もないが。


これは、人に例えても同じだろう。