どの様な時に恐怖を感じるだろうか?
これは人様々だろうけど、人間である以上そう個人差は無い。

突き詰めていけば似たり寄ったりである。

自分が何故その時恐怖を感じたのかと疑問に思ったりすることも余り考えたりもしない

そもそもそれが自然なものだと思っているから。

かと言って、その感情は不快なものであって本来あまり感じたくないものである。

何故そのような感情を感じさせる必要性があるのか。

これは単純に、今の自分にとっての都合により捉え方が変わる。

それは、快・不快である。

自分の中にある受信機が瞬時に判断しているのである。

又それは何故判断が下されるのかというと、自己防衛反応が働くからである。


ただ、それは生命の存続に繋がるものとなる。

本来人間は保守的な生き物なのだと思う。

不快を突き詰めていくと、それは無知に当たる。

では何故、無知が恐怖なのか?
それは分からないことだからである。

恐怖とは人間の決して体験することの出来ない、そしてわかり得ないもの、つまり死に直結するものだと考えられる。

極端な話し、命に関わる事態に陥った場合

危険を避けることが生命を存続させるか?

戦いを挑んで勝った上で生命を存続させるか?

危険を避けられず生命を途絶えるか。

戦いを挑んで負けて生命を途絶えるか。

このことから言えることは、どちらにしろ挑戦だと言うこと。

決断を下さなければいけないという事。

避けることに偏見が世の中にはあるが一つの選択肢と言う事実に過ぎない。

戦って勝って生き残ったから素晴らしいわけでもなく、逃げて生き残ったから素晴らしいわけでもない。

その過程にいおいてあなたがどう考えどう感じたかという事が最も重要なことなのだ。

極端だが、生きるか死ぬかは結果に過ぎない

勿論本来、生命に関わる争い・戦争は在ってはならないという前提での話しである。

しかし、この世に起きた事、又起き得ることは全く起きないとは言えない。

そもそもが生き続けていることが当たり前じゃない。

しかし、生き続けられることが当たり前になりつつある現代で、

逆に何故生き続けられているか考えたことがあるだろうか?

よく考えれば大体の人は分かるはずである。

本来、生と死は紙一重。

だから、人は恐怖を感じる。

それが人間の潜在意識にあり、本能である。


改めて恐怖とは何だろうか。

恐らく人間には死の恐怖が心の底にあり、その死こそが恐怖へと繋がるものになる。




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