「八甲田山の日」

1902年のこの日
八甲田山へ雪中行軍に
出かけた兵士210名が遭難した
冬の八甲田山は本来は
冬の重装備が必要だったが
指導部の無謀さから兵士は
軽装のまま行軍を開始したため
猛吹雪の中で道を失い寒さと
飢えと疲労の為に遭難して行った
25日になって199名の
死亡が確認された

「真白き富士の嶺の日」
1910年のこの日神奈川県の
逗子開成中学の生徒12人が
学校のボートで乗り出し
七里ヶ浜で遭難して全員が死亡した
この遭難は社会的事件として
新聞で大々的に扱われた
この悲報に接した鎌倉女学校の
教諭・三角錫子が「七里ヶ浜の哀歌」を
作詞し、この歌は全国で愛唱された。