運動会が終わりました。

運動会が終わって花と風にかけた言葉は

「頑張ってたね~」
「かっこよかったよ~」
「すごかったね~」
「きれいだったよ」
「素敵だったよ」
「さすが○年生!!」
「一生懸命やってたね」
「練習の成果がでてたね~」
「すっごくニコニコしてたよ」
「去年よりすごく成長したね~」
「来年が楽しみだね」
「大きい声出てたね~」
「6年生になったら応援団するの?」
「最後まであきらめなかったね」
「お弁当もりもり食べてくれて嬉しかった!」
「ちゃんと見てたよ」
「一生懸命応援したよ」
「真剣にやってたね」

などなど。


もしかして、ビックリされましたか?

でも、これ一回だけではなくて、
何度もループします。

「いやぁ、でも頑張ってたわ~(大阪のオバチャン風・笑)」


たとえ、

「でも途中でこけたし…」

とか

「でもすぐ負けちゃったし…」

というネガティブな言葉が返ってきても、

「それでも、一生懸命やってたやん。
パパもママも見てたよ。」

というような感じです。


決して無理に誉めようとしているわけじゃないんですけどね。

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ココ、大事ひらめき電球

ホメてあげなくちゃ…という無理した気持ち
残念ながら、ちゃんと相手に伝わってしまうのですよね。



一方、観覧席で私の近くにいらしたおばあさん。

運動会の間、声高に話してらしたのが、

「あ~あ、負けちゃった!!」
「情けないわね」
「何やってるの」
「足、ひっぱっているね~」
「もっと頑張りなさいよ」
「ダメねぇ」


聞いている私の方が苦しくなってきましたガーン


うん、きっとそのおばあさんにも悪気はないのですよね。

ただ、そのおばあさんの生きている世界が、
そういった言葉に溢れているんだと思う。


人がつかう言葉は、
その人自身の世界を表しているといわれますが、
ちょっとそれを実感した出来事でした。


よく人の悪口をいわないようにとか、
愚痴をいわないようにとかいわれますけど、
そのキタナイ言葉を一番近くで聞いているのは、
自分自身の耳ですもんね。

脳は脳で、主語を理解できないといわれているので、
人の悪口いうと、自分が悪口いわれているのとおんなじだしね汗

http://matome.naver.jp/odai/2136590852040993701


自分で世界を変えられると思ったら、
言葉選びを変えてみてもいいんじゃないドキドキとかって思う。