今日は母の日でしたね。

5月は、我が家にとってとても忙しい月です。

お祝いごともお悔やみごともぎゅぎゅっと詰まっている感じなんです。

先日、祖母の3回忌を終えたと思ったら、

今週末は、義父の命日が近いので、鳥取へお墓参り。

この時期になると、ぼんやりと祖母や義父が旅立ったときのことを思い出します。

先日も、母や夫と、

あの時はああだった、こうだったと想い出話をしていたところでした。

それに加えて今年は、私の大切な方のとてもとても大切な方が

続けて旅立たれるということがあって、

もう、本当に何といっていいのか分からず、

じっと胸の中に抱えておりました。

そんなとき、Chieさん のブログの中で、

「生と死とシナリオ」 という記事をみつけ、

それがとてもしっくりと心におちたので、

Chieさんにご了承いただいて、ご紹介させていただきますね。



故、小林正観さんが本で、

「死ぬことは不幸でなない。

 人は自分が書いたシナリオどおりに死んでいく。」と

書かれてたのを思い出しました。


大切な我が子の死、お友達の死、その子は、その使命として、

何を伝えたかったのか、何を伝えにこの世に存在したのか。


それに気付くこと、そしてその気付きをもとに、どんなことが

あっても悲しみを笑顔と強さと優しさに変えて生きて行くこと。


そういえば、義父も

「わしは死ぬ時はぽっくり逝って、お前らには迷惑はかけんっ!」

と、豪語してらして、本当にそのとおりに旅立たれました。


祖母は祖母で、いよいよという時には、

息子も孫も曾孫も、みんな顔を見せた後に、旅立ちました。


若くして旅立った友人たちも、

事あるごとに心に浮かんで、

私に様々なメッセージを投げかけてくれます。


子どもに還って逝ったもうひとりの祖母からも

教わることがたくさんあります。



なんで?どうして?

と思うこともたくさんあるのだけれど、

改めて、私の大切な人たちは、

死してなお、私にいろんなメッセージをくれ、

いろんなことを教えてくれます。



そしてまた、私も、

自分の死のシナリオをどこかで描いているのだと思います。


ちょっとそれが、うっすらとわかった感じ。


いや、まだ死にませんよ!

どうぞご安心あれ(笑)


だから、「いつ死んでも後悔のない人生を生きる」と常日頃いっておりますが、

きっとその終わりもどこかでみつめているのだと感じました。



今も、私の胸の奥で生きている大切な人たちへ

改めて、愛と感謝を☆