めずらしくコーチング的なタイトルですぞ
先程、無事?長崎シリーズを書き終えて、
ちょっと補足。
(まだ長崎シリーズかいっ!っていわないで~)
香織さんが開催してくださった「遺言カフェ」
一緒に過ごしている時に、
「はい、遺言ターイム」ってな感じで、くじびきのごとく
masumiさんと私でお題をひいていきました。
私は普段から、いろいろと
自分のお葬式の時はあーしてほしい、こーしてほしいと
プランを考えておりまして、
それも夫に伝えています。
だから、でてくる大概のお題は、
「あ、これはもう○○って決めているの~」
というようものもあり、
それにまつわる夫とのエピソード(意外と好評?・笑)を
ご披露していたのですが、
中にひとつだけ、どうしても答えがでなくて、
宿題として持ち帰ったものがありました。
神戸に帰ってきてから、その答えが分かりました
そのお題とは「自分の戒名は何がいいですか?」というもの。
これも、自分がどういう人であった思われたいかというところにも
つながる問いだと思います。
で、でてきた私の答えは・・・
「私が仏教徒ではないから」
すごくシンプルでした。
さっそく、香織さんにメールしました。
香織さんも「なーんだ、そういうことだったんですね!」と。
”戒名”という概念そのものが、日本人の多くが仏教徒だろうという枠なんですよね。
いやいや、日本にだってクリスチャンもいるだろうし、神道の人もいるだろうし、
イスラム教徒の人だっているかもしれない。
ちょうどPFA(サイコロジカフ・ファーストエイド)の中でも、
被災者の望む宗教でのケアというような内容があったので、
特に反応してしまったのかもしれません。
故人や親族の望むような形で供養してあげることが、
心のケアにもつながるのです。
(PFAのシリーズの記事の更新も、追々していきますね)
それまでの話の中でも、
私は死んだら海に散骨してほしいといっていたのです。
誤解のないようにいっておきますと、
私は神様仏様が好きですし、信仰心も持っているほうだと思います。
それに対して、夫は無宗教・無神論者らしいです。
いや~、神様ぐらい信じようよ~。
無神論者だったら、神社に初もうで行かなくてもいいじゃん~とか思うのですが。
なのに夫は、「私が死んだら海に散骨してね」というと、
お寺のお墓に入ってほしいといいます。
(いや、だから無宗教なんじゃ・・・?)
何でも、「ちゃんとここにいてくれるっていうカタチがないとさみしいやん」らしいです。
夫は無宗教らしいから、散骨にも賛成してくれるだろうというのは、
私の思い込みの枠だったようです・・・。
こんなふうに、日常の中でも自分では当たり前と思っている枠が、
たくさんあるものです。
この枠の中にいると、
他の人の考えていることが、
ありえない!理解できない!どうしてそうなるのかがわからない!
ということになります。
どうぞ、あなたが心の中で「ありえなーい!!」と叫ぶことがあったら、
自分の中に、何かしらの枠がないかどうか振り返ってみてください。
きっと、新しいものの見方ができるはずです。
人は皆、それぞれの価値観の中で生きている