褒める行為に疑問を持ってる日々。

ラジオを聞くようになったからだと思っている。

我が県は地方なのでラジオ番組のリスナーがほぼ高齢者と主婦さん。

 

それはいいのだけど内容がねぇ。

 

 

普通の事を大袈裟に褒める。

2年目の男性アナウンサーに甘すぎる。(別にイケメンではない)

「昨日頑張ってましたね」って普通にラジオ番組進行してただけやん。

 

 

ネットニュースの称賛の声相次ぐも気落ち悪い。

 

 

 

母性本能ってなんだろうね?

 

 

 

 

普通の事を大袈裟に褒める人の心理はどうなってるんだろうって疑問で検索してみた。

こんな記事がヒットした。下矢印

 

 

人を褒めてはいけない理由

「すぐに他人を攻撃する人」との正しい付き合い方を考える前に、まずは、こんな質問をしてみよう。

 

Q. あなたの部下が、ある困難なプロジェクトを大過なく完遂した。部下を成長させたいと願っているあなたは、この部下に対してどのような言葉をかけるべきだと思うか?

 

(1)よくやったぞ。おまえはえらい。
(2)組織のために貢献してくれてありがとう。感謝するよ。

 

一般的に、人を育てるには「褒める」ことが有効だと考えられている。誰でも褒められれば嬉しいから、1度褒められると、また褒められようと努力をするようになる。それこそ、人間の成長にほかならない……。

 

これは、人材育成のいわば「常識」だから、読者の多くは(1)を選択したのではないだろうか。ところがアドラー心理学では、「褒める」ことを徹底的に否定する。それどころか「叱る」ことも、そして「教える」ことさえいけないという。なぜ、人を褒めてはいけないのか。

 

理由は、「褒めることは相手の自律心を阻害し、褒められることに依存する人間をつくり出してしまうことになるから」だとアドラーは言う。「もう一度褒められたい」と願うことは、すなわち褒められることへの依存であり、褒められることばかりやろうとする姿は自律性を欠いた状態にほかならない。裏返していえば、人を褒めるという行為は、相手の自律性を奪って、コントロールしやすい都合のいい人間に仕立てようとしている行為だということになる。したがって、アドラー式に考えれば、正解は(2)ということになる。

 

アドラー心理学では、人を育てるには「上から評価して褒める」のではなく、「横から勇気づける」ことが有効だと考える。褒めることの正体は依存心を育て自律性を奪うという意味で「勇気くじき」にほかならないわけだが、では、人はどんなときに最も勇気が湧くかといえば、組織や共同体への貢献を「横から感謝された」ときである。こうした感謝を何度も受け取ることによってのみ、人間は自律的に成長していく勇気を獲得することができるとアドラーは言う。アドラーが賞罰教育=アメとムチの教育を徹底的に否定した理由は、ここにあるのだ。

(一部引用しました)

 

 

 

 

愛犬ちょこに褒めるのだけど全然喜ばない。

 

多分、本音じゃないと思われてるのかも。

 

 

本音で愛犬には向き合ってるよ。

人間には、優しく接しとけばいいんだよね。

 

だって今の世の中「優しい人」=「なんでも断らない外面いい人」だからね。

 

 

両親の言う「他人の言うこと鵜呑みにするな」が身に沁みる。

 

 

 

今朝、旭川の女子高生殺人事件について母と話していた。

 

 

犯人、出所明けだったんでしょう?

学生時代からいじめはするわで「悪魔」だったと。

 

詳細知りたい人は「旭川女子高生殺人事件」で検索してください。

色々酷いエピソードが出てきます。

 

 

「周りの大人は何もしなかったんだろうか?」って私。

 

「そこまで関わらんでしょう」って母。

 

 

結局「臭い物に蓋をする」んだよね。

 

 

母でさえこの考えだもん。

 

 

 

分からんでもないけどね。

 

 

 

褒めるって難しいね。