“追記”
ヤクルト・石川雅規投手(44)が来季も現役続行することが13日、わかった。
今季は8試合に登板し、1勝4敗、防御率4.14。6月2日の楽天戦では5回を無失点に抑え、9年ぶりの“完封勝利”を挙げた。この白星は工藤公康(横浜)、山本昌(中日)、三浦大輔(DeNA)のプロ野球記録に並ぶ23年連続勝利となり、新人年からは史上初の快挙となった。
現在は2軍で若手選手らと汗を流し、昇格を目指して自らと向き合っている。目標の200勝までは残り14。球界最年長はボロボロになるまで腕を振り続ける覚悟だ。
この日、都内の球団事務所で引退会見に臨んだ2歳年下の青木は、引退の報告をした際に石川から「もう1年やろうよ」と引き留められたと明かした。青木は「多分、僕がいなくて寂しいと思うんで」と笑い、「そこは周りの選手たちがね、気遣ってほしいですね。僕の役目を若い選手がやってほしいと思うんで。あと裏方さんとか、なんとか石川さんを盛り立てて、ケツ叩いて頑張らさせて、頑張らせてくださいっていう感じです」とエールを送った。
ヤクルト・青木宣親が13日、都内の球団事務所で引退会見を行った。引退を決めた理由は「一番は自分の思ったようなパフォーマンスがファンに見せられなくなった」と説明。身近で支えてくれた家族への感謝や、21年間のプロ野球生活で「諦めなかった」ことを誇れることに挙げた。
会見の終盤にはチームメートの山田哲人内野手と村上宗隆内野手が登場。花束を贈ると、それぞれが先輩への思いを語った。
山田は入団時に現在青木が背負う23番をつけ、後にミスタースワローズの代名詞でもある1番をつけたことに触れ、「23番と1番という、たくさんノリさんの(背負った番号を)受け継がせていただきました。また、キャプテンも受け継がせていただきました。成績はもちろんですけど野球に対する姿勢、取り組み方というのはすごく勉強になったので、そういうところを後輩たちにもしっかり伝えて、継続できればなと思っています。お疲れさまでした」と感謝の言葉を残した。
一方の村上は言葉を発することができず、号泣。隣にいた青木も「俺も涙出てくる。やめてくれよー!」と話すと、両人ともに涙腺が崩壊した。
18年から宮崎で合同自主トレを行い、着実に成長。3冠王にまで上り詰めた村上は「とにかく行ききるっていう、とにかく結果を残し続けることが一番大変なのに、『その最初の第一歩目をすごく大事にしよう』と言っていただいて、今こうして僕がいますし、人ごとじゃなく、僕のことを愛を持って接してくれましたし、僕がまだ若くていろいろミスだったりとか、人間的にもダメなことをたくさんしてしまったときに、面と向かってたくさん叱って下さいましたし。表にはないところでたくさん叱っていただいたので、僕の道を正すというか、僕を人として愛を持って接してくれたところが一番かなと思います」と先輩への熱い思いを語った。
スカパー!ドラマティック・サヨナラ賞に8月度にオリックス・杉本裕太郎外野手(33)が選ばれた。
8月23日・ロッテ戦で杉本はプロ入り初のサヨナラ本塁打をマーク。「僕自身初めてのサヨナラホームランだったので、とてもうれしいです。選ばれてすごいうれしいです」と笑顔を見せた。
チームは現在、大逆転CS進出を目指し戦っている。本拠地開催試合もあと8試合予定されているだけに、再びサヨナラ打を打つチャンスはある。「またこのような賞をもらえるように頑張ります」と決意した。
ヤクルトは13日、青木宣親選手(42)が今季限りで現役を引退すると発表した。
青木は早稲田大から2003年ドラフト4位でヤクルトに入団。2年目の2005年には、打率.344で首位打者、さらにはシーズン200安打を達成し、新人王を獲得。
2011年オフに、ブルワーズへ移籍。その後はロイヤルズやアストロズなど、計7球団を渡り歩き通算759試合に出場した。
2018年にヤクルトへ復帰すると、21年にはチームの日本一に貢献。メジャーの6年間を含む21年間のプロ生活で、2723安打を放った。
ヤクルト・青木宣親外野手(42)が13日、都内の球団事務所で引退会見を行った。
終始笑顔で会見した青木が後輩の涙にもらい泣きした。会見の最後に山田と村上が花束贈呈。涙に暮れる村上の姿に「俺も涙出てくるよ~。やめてくれよ~」と涙腺が緩んだ。村上が「いい野球人生を歩めたり、いい人生を歩めたのは本当に青木さんと出会ったのが大きい。泣くつもりはなかったんですけど申し訳ないです。ありがとうございました」と感謝を述べると、涙で抱擁した。
会見で青木はメジャーから2018年にヤクルトに復帰して以降、後輩たちを指導してきたが「自分の方から話しかけていった。もうベテランなので、かけやすい立場ではないと思って、自分を知ってもらって、会話がはずむように何でも聞けるように距離を縮めていけるようにはしました」と説明。特に村上の存在については「年々成長していったので、今でこそ苦しんでいるけど、プロ野球生活では必要なこと。幸せな野球人生を送って欲しいなと思います」とエールを送っていた。
青木は2004年に早大からドラフト4位でヤクルトに入団。12年からはメジャーにも挑戦し、17年には日米通算2000安打を記録。18年から古巣・ヤクルトに復帰した。
ドラフト時には「ヤクルトに指名されたい」と願い、海を渡る前には「また帰ってきてほしいと言われる活躍がしたい」と表情を引き締めた。また18年に古巣へ復帰した際には「この球団を愛している」と言葉にした。ミスタースワローズと呼ばれ、ヤクルトと相思相愛だった21年間。歴代5位の日米通算2723安打という誇りと結果を胸に、惜しまれながらユニホームを脱ぐ。
◇青木宣親(あおき・のりちか)1982年1月5日、宮崎県日向市出身。日向高から早大を経て2004年ドラフト4位でヤクルト入団。05、10年にプロ野球史上唯一の2度のシーズン200安打以上を達成した。11年オフに大リーグ・ブルワーズに移籍。17年に日米通算2000安打を達成し、18年にヤクルトに復帰した。06、09、17年WBC、08年北京五輪日本代表。175センチ、80キロ。右投げ右打ち。
村上と山田が花束贈呈に登場…青木の目にも涙
ヤクルトの青木宣親外野手が13日、都内で引退会見を行った。会見終盤には同僚の村上宗隆内野手と山田哲人内野手が登場し、花束を贈呈した。しかし、村上は登場から涙が止まらず。言葉を絞り出しながら「たくさん迷惑をかけたりしましたけど、こうしていい野球人生を歩めたりしているのはノリさんと出会ったおかげですし、本当に感謝していますし……」と思いを口にした。
青木は会見の中で、引退の決断時期や2009年に結婚した佐知夫人への感謝などを述べた。そして、1年目オフから合同自主トレを行い、今や球界の顔になった4番・村上についても言及。「年々成長していったので、今でこそ苦しんではいますけどそれもプロ野球生活の中では必要なことだと思っているので、これからの野球人生、幸せな野球人生を送ってほしいとは思いますけど」と話していた。
会見の終盤にはユニホーム姿の村上と山田が花束を持って登場。村上は終始、涙が止まらず、なかなか話出せずにいた。「たくさん迷惑をかけたりしましたけど、こうしていい野球人生を歩めたりしているのはノリさんと出会ったおかげですし、本当に感謝していますし……。全然言えないです。泣くつもりなかったんですけど申し訳ないです。ありがとうございました」と感謝を述べた。
青木からはプロ入りから目をかけてもらってきた。「とにかく結果を残し続けることが一番大事なので、第1歩目を大事にしようと教えていただいて今の僕がいますし、一言ではなく愛を持って接してくれました」と語った。続けて「僕がまだ若くていろいろミスだったり人間的にダメなことをしてしまったときに面と向かって叱ってくれた。僕を正すというか、人として愛を持って接してくれたことが一番かなと思います」と、良き先輩だったことも明かしている。
涙の後輩を見て、会見中は溌剌とした表情を浮かべていた青木の目にも涙が。目頭を押さえながら村上の言葉を噛み締めた。また、青木のメジャー移籍後に1番打者として歴史的な活躍を見せた山田も「23番と1番でたくさんノリさんを受け継がせてもらいました。キャプテンも。成績はもちろんですけど野球に対する姿勢、取り組み方は勉強になったので、そういうところを後輩たちにも伝えていけたら。本当にお疲れさまでした」と思いを明かした。
MINNEAPOLIS, MN - APRIL 11: A view of the lights at Target Field before the start of the game between the Seattle Mariners and Minnesota Twins on April 11, 2022 in Minneapolis, Minnesota. The Twins defeated the Mariners 4-0. (Photo by David Berding/Getty Images)
◆ 入団2ヶ月の新人選手を解雇
現地時間12日、ミネソタ・ツインズは傘下1Aに所属するデレク・ベンダー捕手(21)の解雇を発表。『ESPN』のジェフ・パッサン記者はマイナー公式戦での敗退行為が原因であると報じた。
ベンダーは今季7月のドラフトでツインズ6巡目(全体188巡目)指名を受けて入団。9月6日に行われたダブルヘッダー2戦目、捕手を務めたベンダーは対戦チームの複数の打者に対し、自チーム投手の球種を伝達。最終的に相手チームが6対0で勝利して地区優勝が決定。ベンダーの所属チームはプレーオフ進出を逃す結果となった。
所属チームは、相手コーチ陣の報告によりベンダーの行為を認識。同記者は「ベンダーの積極的な球種伝達は相手打者たちを驚かせ、相手チームから不正を疑われる行為は無かった」と記述。両チームの関与する八百長ではなく、ベンダー個人による敗退行為だったと見られている。
ベンダーは大学時代の3シーズン、144試合で打率.326、32本塁打、153打点をマークするも、プロ入り後は19試合で打率.200、2本塁打、8打点と低迷。同記者の調べによると、以前ベンダーはチームメイトに対し「早くシーズンが終わってほしい」と心境を漏らしていた。
自民党総裁選の9候補は13日、共同記者会見で、派閥裏金事件の真相究明に向けた再調査に関し否定的な考えを示した。
日本とアメリカ、インド、オーストラリアの4か国の枠組み「クアッド」の首脳会合が、バイデン大統領の私邸があるアメリカ・デラウェア州で開催されることになりました。
アメリカ政府は12日、日米豪印の枠組み「クアッド」の首脳会合を今月21日に東部・デラウェア州のウィルミントンで開催すると発表しました。
アメリカのバイデン大統領、日本の岸田総理、インドのモディ首相、オーストラリアのアルバニージー首相が参加します。
バイデン大統領の私邸があるウィルミントンに外国の首脳を迎えるのは初めてで、ホワイトハウスは「4か国の首脳同士の深い個人的関係とクアッドの重要性を反映したものだ」としています。
会合では、中国を念頭に海洋安全保障やサイバーセキュリティなど幅広い分野での協力について話し合う見通しで、ホワイトハウスは「首脳らは戦略的な関係を強化し、『自由で開かれたインド太平洋』の構想を推進する」としています。
クアッドの首脳会合は去年5月に広島で開かれて以来で、今年予定されていたインドでの開催は次回に持ち越されました。
兵庫県の斎藤元彦知事は13日午前、県庁で記者団に「改革の歩みを止めるべきではない。私は続投したいという気持ちが強い」と述べた。
記者会見で涙を浮かべる斎藤知事(11日、兵庫県庁で)=増田博一撮影
県議会では、自民党などが斎藤知事に対する不信任決議案を19日に提案する方針を決定。全会派が賛成し、可決する見通しとなっている。
斎藤知事は「県民からの『斎藤知事ではだめだ』という声も 真摯 に受け止めるが、私は3年間やってきた歩みを続けたい」と語った。
ヤクルト・青木宣親外野手(42)が13日、都内の球団事務所で引退会見を行った。
終始笑顔で会見した青木が後輩の涙にもらい泣きした。会見の最後に山田と村上が花束贈呈。涙に暮れる村上の姿に「俺も涙出てくるよ~。やめてくれよ~」と涙腺が緩んだ。村上が「いい野球人生を歩めたり、いい人生を歩めたのは本当に青木さんと出会ったのが大きい。泣くつもりはなかったんですけど申し訳ないです。ありがとうございました」と感謝を述べると、涙で抱擁した。
会見で青木はメジャーから2018年にヤクルトに復帰して以降、後輩たちを指導してきたが「自分の方から話しかけていった。もうベテランなので、かけやすい立場ではないと思って、自分を知ってもらって、会話がはずむように何でも聞けるように距離を縮めていけるようにはしました」と説明。特に村上の存在については「年々成長していったので、今でこそ苦しんでいるけど、プロ野球生活では必要なこと。幸せな野球人生を送って欲しいなと思います」とエールを送っていた。
青木は2004年に早大からドラフト4位でヤクルトに入団。12年からはメジャーにも挑戦し、17年には日米通算2000安打を記録。18年から古巣・ヤクルトに復帰した。
ドラフト時には「ヤクルトに指名されたい」と願い、海を渡る前には「また帰ってきてほしいと言われる活躍がしたい」と表情を引き締めた。また18年に古巣へ復帰した際には「この球団を愛している」と言葉にした。ミスタースワローズと呼ばれ、ヤクルトと相思相愛だった21年間。歴代5位の日米通算2723安打という誇りと結果を胸に、惜しまれながらユニホームを脱ぐ。
◇青木宣親(あおき・のりちか)1982年1月5日、宮崎県日向市出身。日向高から早大を経て2004年ドラフト4位でヤクルト入団。05、10年にプロ野球史上唯一の2度のシーズン200安打以上を達成した。11年オフに大リーグ・ブルワーズに移籍。17年に日米通算2000安打を達成し、18年にヤクルトに復帰した。06、09、17年WBC、08年北京五輪日本代表。175センチ、80キロ。右投げ右打ち。
沖縄や奄美で局地的に強い雨 台風13号の接近前から影響
沖縄や奄美は昼前から活発な雨雲が次々に通過しています。まだ離れている台風13号の影響が少しずつ出始めていて、局地的な激しい雨に警戒が必要です。
今夜にかけて断続的な強雨や雷雨
沖縄本島から奄美大島にかけて東の海上から活発な雨雲が流れ込み、局地的に雨が強まっています。
一つ一つの雨雲はそれほど大きくはないため、強雨の継続時間は短いものの、雨雲の下では雷を伴った土砂降りの雨です。13時30分までの1時間には沖縄県那覇空港(安次嶺)で30.0mmの激しい雨を観測しました。
雨雲が通過した後は晴れ間の見えることがあるものの、次の雨雲が進んでくると、また雨が強まります。今夜にかけて断続的な強雨となる見込みです。
明日は台風本体の雨雲が奄美地方を通過
明日14日(土)は台風13号の中心が足早に近づいてきます。現時点では台風が奄美大島方面に進む予想です。
台風13号は中心に近い所に活発な雨雲を伴っていますので、進路に当たる奄美大島や徳之島などは昼過ぎから夕方にかけて雨のピークになります。台風の速度が速いため、強雨の時間はそれほど長くはないものの、ピーク時には1時間に80mm以上の猛烈な雨の降るおそれがあります。
瞬間的に30m/sを超えるような暴風も伴い外出が難しい状況になる見通しです。台風の最接近時は安全な所で過ごすようにしてください。
写真:ウェザーリポート(ウェザーニュースアプリからの投稿)
今日13日も真夏の暑さ 午前中から35℃超えの所も 広範囲の猛暑は来週前半まで
今日13日も東北南部から九州にかけてを中心に、強い日差しのもとで気温が上がっています。午前11時30分までに全国で最も気温が上がったのは大分県日田市で、35.3℃を観測。午前中から猛暑日となっている所があります。来週前半にかけても、東日本や西日本を中心に真夏のような暑さが続きそう。熱中症に厳重な警戒が必要です。
9月とは思えない暑さ 午前中から猛暑日の所も
今日13日も東北南部から九州にかけてを中心に、厳しすぎる残暑が続いています。午前11時30分までに、大分県日田市、福岡県太宰府市、兵庫県豊岡市の3地点で猛暑日を観測。福岡県の太宰府市では今年55回目の猛暑日と、過去最多の記録を更新し続けています。
福岡県太宰府市に限らず、今年は梅雨明けしてから暑さが和らぐ日が少なく、長期にわたって猛烈な暑さが続いている所が多いです。そして3連休から来週前半にかけても、真夏のような暑さはなかなかおさまりません。
来週前半まで夏の空気が優勢
3連休中は前線が東日本や西日本付近に南下してきますが、活動はそれほど活発になりません。雨は降っても局地的。晴れ間も出るため、東日本や西日本を中心に厳しい暑さが続きます。また、連休明けから19日頃にかけては、太平洋高気圧が再び勢力を強めてきそう。晴れる時間が長く、猛烈な暑さが関東から西の地域を中心に続くでしょう。
20日は秋雨前線の影響で雨の降る所が多く、この前線の北側では秋の乾いた空気を持つ高気圧が勢力を強める見込みです。このあたりから、真夏のような厳しい暑さが徐々におさまってきそうです。
猛暑は来週前半まで 来週後半は北や東の地域から暑さ少し落ち着く
3連休中は傘のマークがついている所も多いですが、この雨は局地的な雷雨が中心となりそう。晴れマークがついていない地域も多少日差しはあり、厳しい暑さが続く見込みです。連休明けの17日、そして18日は広い範囲で日差しが届き、東日本や西日本を中心に猛烈な暑さとなりそう。19日もまだ西日本を中心に厳しい暑さが続きますが、20日は広い範囲で雨が降り、徐々に猛烈な暑さはおさまってきます。来週後半になると、夏のような暑さの出口が見えてきそうです。
熱中症の症状とは?
来週前半にかけて、広い範囲で熱中症になりやすい状態が続きます。熱中症には様々な症状があります。
はじめは「手足がつる」「立ちくらみ」「めまい」「生あくび」「筋肉痛」「筋肉のこむら返り」などです。また、汗が止まらない、あるいは、汗が出ないなど「汗のかき方がおかしい」というものもあります。
他にも「なんとなく体調が悪い」「すぐに疲れる」というのも初期症状です。また、周囲の方から見て「イライラしている」「フラフラしている」「呼びかけに反応しない」「ぼーっとしている」といった、いつもと違う症状も、熱中症を疑うポイントです。
症状が進むと、「頭痛」「嘔吐」「虚脱感」「倦怠感」「集中力低下」「判断力低下」などが起こります。
応急処置をしても症状が改善されない場合は、すぐに医療機関を受診しましょう。自力で水が飲めない、応答がおかしい時は、ためらわずに救急車を呼んでください。
公職選挙法違反と政治資金規正法違反の罪で略式命令を受けた堀井学元衆議院議員の有罪が確定しました。
堀井学元議員は、2023年までの2年間に、選挙区内の有権者52人に対し、香典や枕花などあわせておよそ60万円分を違法に寄付したほか、安倍派のパーティー券をめぐる裏金事件でも、2021年までの3年間のキックバック分、あわせて1700万円あまりを収支報告書に記載しなかったとして、先月、東京地検特捜部に公職選挙法違反の罪と政治資金規正法違反の罪で略式起訴されました。
これを受け東京簡裁は、罰金100万円、公民権停止3年の略式命令を出しましたが、堀井元議員は、期限までに正式な裁判を開くよう求めず、有罪が確定しました。
堀井元議員は今後3年間、全ての選挙に立候補できなくなります。
マンチェスター・シティの財務規定違反疑惑に関する審理がいよいよ開始されるようだ。12日、『BBC』や『スカイスポーツ』など複数のイギリスメディアが伝えている。
2008年にアラブ首長国連邦(UAE)の投資家によって買収されて以降、世界屈指の資金力で強化を進め、欧州屈指の強豪へと成長したマンチェスター・シティ。2016年に稀代の名将ジョゼップ・グアルディオラ監督が就任してからは無類の強さを誇っており、イングランドのトップリーグ史上初の4連覇を含む8度のプレミアリーグ優勝やチャンピオンズリーグ(CL)制覇など数多くの成功を収めている。
しかし、昨年2月にプレミアリーグは同クラブについて「多数の財務規定違反の疑い」があるとの公式声明を発表。2009年から2018年までの9年間に渡って正確な財務情報を提供しなかったことによる財務規定違反の可能性が浮上しており、告発件数は合計115件に。さらには5年間に渡って欧州サッカー連盟(UEFA)のファイナンシャル・フェアプレー規則に抵触していた疑いやプレミアリーグの調査に全面的に協力しなかったことなども報じられている。
合計115件という件数の多さから精査に時間を要していた同事案だが、いよいよ独立委員会による審理が現地時間16日より開始されるようだ。報道によると、審理は10週間に渡って行われる見込みで、判決は早くても2025年初頭に下される見込みとのこと。しかし、告発の件数と調査すべき情報量の多さから、独立委員会の最終決定の公表が2025年3月またはそれ以降までずれ込む可能性もあるという。
なお、審理の結果によっては降格や勝ち点剥奪、過去のタイトル剥奪など厳しい処分が科される可能性もあるが、マンチェスター・シティはこれまで一貫して疑惑を否定している。仮に勝ち点剥奪等の処分が発表された場合でも、クラブ側が控訴する可能性が高いため、実際に処分が適用となるのは2025年春以降になることが濃厚だと『スカイスポーツ』は報じている。
9月20日に開幕するアクションスポーツ世界最高峰の戦い「XゲームズCHIBA2024」。
地上波・日本テレビとBS日テレの大会中継を盛り上げる応援サポーターに、パンサーの3人と満島真之介さんが就任することが発表されました。
■パンサーのコメント
尾形貴弘さん
「Xゲームズ大好きです!トリオ組んだばっかりの頃、ネタの打合せするときはBMXで行っていましたし、スケボーは中学生のときやっていました!日本人もすごいけど、ナイジャ・ヒューストンって選手がいて、超格好いいんですよ!ナイジャも出るので生で会えたら嬉しい!海外のメダリストもたくさんくるので、そこも大注目です!」
向井慧さん
「僕は見たことも体験したこともない知らない世界なので、今回生で見られるのが非常に楽しみです!」
菅良太郎さん
「僕は家のTVが4分の1しか映らないっていう謎の壊れ方をしていたせいでパリ五輪を見られていなくて…なので今回生で見られるのが楽しみです!」
■満島真之介さんのコメント
「まさか僕に声がかかるとは思ってもいなかったので、すごく嬉しかったです!Xゲームズは昔からアメリカの実況動画とかを見ていて、いつもワクワクさせてくれる大会です。世界選手権とかオリンピックとは違って、フェスのようにみんな楽しんでいるのも魅力ですね」「ルールとか難易度が分からなくても、単純に『すごい!』『ワーッ!』とお客さんの目が輝く。そして技が決まったら、次の選手も、その前の選手も全員が喜んでいるんです。こんな場所ある?と、とても幸せな気持ちにさせてもらえます。世界が目指す平和ってこれだよねって...そこがアクションスポーツの一番の魅力だと思います!」
パンサーの3人は21日(土)、満島さんは22日(日)に会場の幕張メッセから盛り上がりをお届けします。
【X ゲームズCHIBA2024】
9月20日(金) ~22日(日)千葉・幕張メッセにて開催
地上波日テレ等で連日放送
ダブプロレス所属のプロレスラー、レイパロマのデビュー24周年興行「PALOMA EXPO」が9月29日、広島市の広島マリーナホップで開催される。
メキシコで単身デビューして今年で24年。「集大成のプロレスを見せたい」として選んだ相手は秋山準だ。レイパロマは「時代の流れかもしれいないが、最近のプロレスを見ていると、どこか和気あいあいとして厳しさが足りないように感じている。秋山選手と対戦することで、本来のプロレスが持つ厳しさであったり、ヒリヒリとする緊張感が伝わってくる試合を見せたい」と意気込む。シングルマッチ60分1本勝負で激突。いつもはハチャメチャなエンターテインメントでファンを楽しませるレイパロマだが、今回の秋山戦はこれまでとはひと味違う姿が見られるかもしれない。
秋山もSNSで「沢田研二のス・ト・リ・ッ・パーが頭の中に流れてきてる…。(レイパロマの)入場曲が頭の中で流れてくるという事はシュミレートが始まり、いい試合になるという事なのだが…今回はどうなるのか!?楽しみにしています!」とコメント。名勝負が繰り広げられるのは間違いない。
普段はプロレスラーとして活躍する傍ら、広島市内でメキシコ料理店「アカプルコ」も経営するレイパロマ。今大会は自身初の自主興行となり、「これまで一緒頑張ってきた仲間たちと楽しい大会にしたい」と話す。盟友でもあるGUNSOや佐藤光留、ダブプロレスの後輩でもある開本貴洋ら総勢24選手が参戦して大会を盛り上げる。チケットは好評発売中。お問い合わせはDM(nidojiro26@gmail.com)。またはアカプルコ(TEL082.554.5822)。
8月25日まで行われた「第18回全日本中学野球選手権大会 ジャイアンツカップ」の舞台裏に密着する「青春弁当いただきます!中学生の甲子園 ジャイアンツカップ2024」(日テレ系関東ローカル、後3・55)が14日に放送される。今大会で準優勝した奈良・橿原磯城リトルシニア出身で過去に同大会に出場した巨人・岡本和真内野手や京本真投手、DeNA・度会隆輝外野手がVTRで登場する。
番組では中学球児たちのお弁当に注目。岡本和も中学時代を振り返りながら、「今思えば朝早く起きて弁当を作るというのは大変だと思うので、すごい感謝しています」などと話している。また、アーティストで俳優の関口メンディーが青春サポーターとして、元女子プロレスターでタレントの北斗晶がナレーションで出演する。
ヤクルト・青木宣親が13日、都内の球団事務所で引退会見を行った。「100点満点。幸せな野球人生でした。やり残したことがない」と、すがすがしい表情で21年間のプロ野球人生を振り返った。
今後については未定としながらも、第二の野球人生について「今は漠然としてますけど、これだけ野球をやっていて、野球がいまだに好きなので絶対野球関係の何かの仕事をするかな」と話し、「監督はやってみたいですよ。野球絡みは全部興味があるので」と、将来的な指導者としてチームに戻ることを熱望した。
引退を決めた理由については「一番は自分の思ったようなパフォーマンスがファンに見せられなくなった」と説明。身近で支えてくれた家族への感謝や、後輩への思いを語り、約1時間の会見を終えた。
東京2025世界陸上(東京・国立競技場)開幕まで1年となった13日、都内で「1 Year To Go !」のイベントが行われ、女子100メートル障害で東京五輪代表の寺田明日香(ジャパンクリエイト)、男子400メートルの日本記録保持者で今夏のパリ五輪代表の佐藤拳太郎(富士通)らが登壇。寺田は「東京五輪でたくさんの方々に見ていただけなかったことが、世界中の選手が寂しかったと思う。世界陸上でリベンジ出来たらと思っています」と笑顔で話した。
2009年ベルリン世界陸上に出場した後、13年に一度は引退したが、18年から現役復帰。19年ドーハ世界陸上、20年東京五輪、23年ブダペスト世界陸上と代表歴を重ねてきた。今年は目標だったパリ五輪出場を逃したが、「このままフワッとやめていくのも心の残りになるんじゃないかなと思いますし、いろいろな方々に感謝を伝え切れていないとも感じます。感謝の形をどういう風に表現するかを考えている中で、一つ、世界陸上を目指すことも形としてはあるのかなと思っています」と明かす。
意欲は徐々に湧いてきているといい、「20、30、40パーセントくらい、ジワジワと上がってくればいいなって思っています。家族はプッシュ、プッシュっていう感じです」と笑った。
世界陸上は25年で20回目を迎える。日本での開催は1991年東京、2007年大阪に続き3回目となる。
「一日一日をやってきたので、気付いたら21年、凄い早く時間が過ぎた」
ヤクルトの青木宣親外野手が13日、都内で引退会見を行った。冒頭で「お忙しい中お集まりいただいてありがとうございます。2024年のこのシーズンを持ちまして引退することを決意しました。たくさん質問してください」と話し、1時間弱にわたって報道陣の質問に丁寧に答えた。日米通算21年間の現役生活に別れを告げる42歳の一問一答は以下の通り。
――決断した今の思いは。
「ホッとしています」
――理由とタイミング。
「決断したのは最近ですね。シーズン途中からなんとなく今年で最後かなと思っていた。そんな中で終盤に考えが変わるかもとそこの隙間はつくっていたんですけど、気持ちが変わらなかったので決断しました」
――それは体的な問題か技術的な問題か。
「一番は自分が思ったパフォーマンスをファンに見せることができない」
――球団に伝えたのは。
「本当に最近です。数日前です。球団からの言葉? お疲れさまと」
――ヤクルトで15年間、この時間はどんな時間。
「21年間ということを思うと凄く長いように感じるんですけど、ただ本当に一日一日をやってきたので、気付いたら21年、凄い早く時間が過ぎた気がしています」
――支えとなった原動力は。
「そうですね……。いろいろな思いを持ってプレーをしていたんですけど、やはり家族の支えは大きかった」
高津監督に報告「お疲れさまという感じでした」
――家族には。
「妻には早い段階で伝えていたんですけど、娘には本当に最近です」
――反応は。
「泣いていましたね。やはりプレーをいつまでも見ていたかったでしょうし、子どもに伝えるときが一番つらかったですね」
――感謝の言葉は。
「妻にはいつも支えてもらっていましたけど、特に米国に行った6年間は異国で大変な思いもしましたし、苦しいときもいつも支えてもらったので、奥さんにもすごく感謝しています。当然子どもたちの存在と言うのも自分にとって野球にやるにあたって活力になる気持ちがいつも芽生えていたので、子どもたちを見るたびに。いつまでも現役でやっている姿を見せたかったですけど、そこは泣いているのを見てもう1年やっていいのかなとか、そんな気持ちも少しはなりましたけど」
――一番印象に残っていることは。
「21年もやっていたので本当にいろんなことがあったんですけど、ワールドシリーズ出たこともそうですしWBCで優勝したこともそうですし、でもその中でやはりヤクルトで日本一になったこと。それが一番自分の中で心に残っています」
――3年前の日本一について。
「入団した時からヤクルトにいて、愛着があったので、そんな中去っていく形で米国でプレーしてまた帰ってきて、やはり心残りだったのはヤクルトで日本一になっていないこと。それが達成できて、自分としてはその辺でちょっと、ほぼほぼ自分のやりたいことは達成したなと、そんな気持ちもありました」
――監督、選手への報告はしたのか。
「そうですね。一部ですけどしています」
――高津監督からは。
「お疲れさまという感じでした」
2学年上の石川へ「相談することも多かったし、助かったことがたくさん」
――日本復帰後、後輩たちへどういう思いで接していたのか。
「自分の方から話しかけていきました。なかなかベテランなので若い選手から話しかけやすい状況にはないと思って、自分から話しかけて自分を知ってもらってそこから会話が弾むように、なんでも聞ける雰囲気をつくって距離を縮めてはいきましたけど」
――村上とは1年目オフから合同自主トレ。成長する姿を間近でどう見ていた。
「年々成長していったので、今でこそ苦しんではいますけどそれもプロ野球生活の中では必要なことだと思っているので、これからの野球人生、幸せな野球人生を送ってほしいとは思いますけど」
――石川さんの存在。反応は。
「周りを見渡しても、同じくらいの年齢は石川さんだけだったので、その辺はヤクルトのいい時も悪いときも知っているような近い先輩なので相談するときは石川さんが多かったし、石川さんがいてくれて助かったことがたくさんあります。『もう1年やろうよ』って言っていたんですけど、自分が決断したことなので」
――ファンに伝えたいこと。
「ファンの声援は大きくて、特にヤクルトのファンの方の声援って真心のこもった声援という印象を持っています。あったかさを感じるような、選手からしたら本当にありがたい声援ばかりで、自分にとっては、だからこそ頑張ろうと思いましたし、何とか期待に応えたい気持ちでいつもいました」
――神宮球場。
「18歳で上京してから神宮球場で試合をするということは、初めてプロの球場で試合したのが神宮球場でしたし、六大学のときからずっと使っていましたから、この神宮の雰囲気で凄く好きで、運よくヤクルトに拾ってもらってそこでプレーして、本当に愛着のある球場です」
――野球人生に点数をつけるとしたら。
「100点満点です。苦しいこともいいことも全て。いいことばかりでは自分の人生楽しくないと思うので、やはり苦しみながら結果を残して、だからこそうれしいし、そうやって自分を高めることができた。凄く大きく成長していったような気がするので。間違いなく入団した時よりしっかりした考えを持って毎日生活できていたと思う」
――どんな野球人生だったか。
「本当に幸せな野球人生だったと思います。やり残したことがない状況で現役生活を終わることができた。本当にこれまで関わってくださった皆さんに本当に感謝しています」
第二の人生は「いまだに野球が好きなので野球関係の何かをするだろうな」
――これからのチームに伝えたいこと、残したいこと。
「自分ができるという自信とか情熱とか、そういったものは必ず持っていてほしいです。これだけの大観衆の前で毎日プレーするのがどれだけ大変なことかっていうのはあるんですけど、そういう気持ちがないと毎日毎日スイッチを入れられないと思うので、そういう気持ちが大事なんじゃないかなと思います」
――第二の人生イメージは。
「今は……漠然としていますけど、これだけ野球をやっていていまだに野球が好きなので、絶対に野球関係の何かをするだろうなというのはあります。野球絡みであれば。本当に野球が好きなので」
――21年間貫き通せたもの、こだわり続けたこと。
「諦めなかったことですかね。無理だなとか、人が無理だとか言っていても自分さえ信じていれば大概のことは叶うと思っているので。もしかしたらこの状況はもうだめかもしれないというところから何とか粘って踏みとどまったシーンが多くあった。やはり諦めなければどうにかなるんだなというのはありました」
――思い浮かべるシーンは。
「一番と言われると本当に難しいんですけど、なんとなく自分のキャリアを見たら順風満帆に見えるかもしれないですけど大変な思いをしてきたので。あのプレーがなければとか、そういうプレーがなければ自分はこの場にいなかったみたいなことがたくさんある。そういう場面場面での勝負所。そういうものが野球のみならず人生いくつもあると思うんですけど、それをうまく自分のものにしていった。苦しい時期と言われても、全てがこの世界で生き抜いていくためにやってきたことなので、一番と言われるとちょっとすみません」
――支えになっていた言葉、大事にしていた言葉。
「諦めないとか、そういったことは思っていたことですね」
――野球を始めたときの自分に言葉を掛けたい誇れることは。
「諦めなかった。どれだけ諦めていないんだって話ですね(笑)。本当に諦めていないかもしれない。今思いました、ありがとうございます」
村上&山田がサプライズ登場で花束贈呈「関係が結構深い。2人には感謝」
――花束贈呈の村上が涙を流して感謝の思いを伝えた。
「関係が結構深い。外で見えている以外のところで接することが多かったから思い入れも人一倍。当然(山田)哲人もミスタースワローズを背負って、はじめ23番をつけていたのもそうだし凄く縁を感じるし、その後キャプテンをやりたいといって引っ張ろうという気持ちが出ていましたし、いろいろな面であの2人に感謝しています」
――これからのスワローズを背負って立つ期待。
「自分の行動とか言動でいろいろやってきたので、ああいうことをやったほうがいいとか分かっていると思う。場面で考えて行動していけばいい。自分から何をしていけばいいとか、そういうことはない」
――ヤクルトへの愛。
「縁があったってことですよね。世界中にこれだけいて出会わない人は出会わない。会ってここでプレーして、米国行ってもまた帰ってきて、感謝しかないですよね」
――どういうところが好き。
「入ったときからメリハリがあるというか、皆さんが持っている印象のまま。やるときはやるし、かといってみんなで楽しんでいる。学校のような雰囲気もある。そこは童心にかえるというか、クラブハウスに行くと、ギスギスした感じより職場が楽しい方がいいし、明るく前向きにしやすい環境がヤクルトにはあると思うので、それは自分も伝統として受け継いできたつもりだし、いい伝統として受け継いでいってほしい」
――家族にかけた言葉は。
「パパもママもあきらめなかったよと言いました。奥さんもたぶん、どうしてもため込んでしまうようなタイプだったので、なかなかストレスがあっても自分にはそれを見せないように心掛けていたのを感じたし、そういう姿を見て子どもたちもそういうふうに育っていくと思うし。だから自分に負けないようなそういう大人になってくれと伝えました。
――子どもたちの反応は。
「たぶん忘れるんじゃないか。泣いていて聞いていたのかどうなのか。大人になったときに聞いてみようと思いますけど。
自主トレで若手へ「ことあるごとに『お前たちが引っ張ってくれよ』と」
――長いキャリアの中で引退を考えたことはあったか。
「引退を考えたことはなかったですね。体に関してはトレーニングからケアから本当にやってきたので、そこにはいつも自分の体にアンテナを張って毎日過ごしていたので、体が悪くないそうになることはあっても最後バチっといかない。だから怪我せずここまでこられたんだろうし、小さな怪我をしても大きな怪我はしない」
――若手が成長する姿を見て。
「今年に入るときにもしかしたら最後かもしれないと自分の中でも思っていたので、自主トレのときからことあるごとに『お前たちが引っ張っていってくれよ』と言っていましたけど。洗脳するじゃないけどずっと言い続けるという感じで、少しは頭に残っていると思うんですけど。まあ残っているといいですけど」
――宮崎のファンに。
「応援してくださった方がたくさんいると思う。今日もメールがたくさん来たので地元の方も応援してくれていたと思うし現役でのプレーをもう見せられないのは残念ですけど、これからも地に足をつけて生きていきたい」
――はい上がる原動力。
「自分がこうなりたいという目標があったので。プロ野球選手になりたいと本気で思っていたので、それがあったから頑張れた。高い目標を持ってそこに自分は進んでいった。だからこそ諦めなかったし、自分に負けない気持ちでいました」
――野球に携わりたいと言っていたが指導者も選択肢か。伝えたいことは。
「そうですね。そのときに自分がどういう立場になっているかもあると思うんですけど」
――石川へのエール。
「たぶん僕がいなくて寂しいと思うので、そこは周りの選手たちが気遣ってほしいですね。僕の役目を若い選手がやってほしい。あと裏方さんとか。何とか石川さんを盛り立てて、ケツを叩いて、頑張らせてください。たぶんケツは叩けないと思うので石川さんに対して、でも叩いても許してくれそうな人なので勇気を振り絞ってほしいと思います」
監督への興味は「やってみたいです。野球絡みは全部興味ある」
――ボロボロになるまでやる選択肢はなかったか。
「自分は自分のパフォーマンスがなかなか出せない。今年の成績、数字を見ても示しがつかないなというのがあったし、後輩たちに。後輩たちも若い子たちも成長しているのは凄く感じたのもあるし、今の状況からすると来年もしプレーしたら代打一本なので、そうしたら自主トレから自分があんなに追い込めるか考えてしまって追い込めないなと。それくらいオフに自分を追い込めるトレーニングをしていたのでそれは無理だなと言うのがありました」
――日常のプレーで幸せに感じられたもの。
「勝負を決定づける一打の後のファンの反応とか。コロナのとき人がいれられなかった。ああいうときに凄く感じたんですけど、球場の雰囲気って本当にファンがつくっているものだとあのときほど感じたものはなかった。歓声が自分にダイレクトに伝わる瞬間が幸せな瞬間でした」
――黄金時代の選手から引き継いだスワローズイズム。
「雰囲気がたぶん、よその球団を知らないですけど、よその球団と違う感じがあると思う。それは球団の特徴として必ずあった方がいいと思う。職場は楽しい方がいいし、かといって日本一になったりもしているわけだからそれが間違っていないと証明している。黄金時代もあったわけだから、やるときにやるという雰囲気を見せられればそれがヤクルトのカラーだと思うので」
――米国だとフルタイムのお父さんになりたいという人もいる。
「それもありですね。野球も大切だけど、子どもといる方がもっと大切だと僕は思っているので、どっちをとると言われたら家族をとります。やりたいこと? 会える機会は現役のときは半分遠征に行っていたりしたら少ないので、今までより会える気もしますけどね」
――ファンは来年コーチで戻ってきてほしいと思っている。
「その辺は打診がないとね」
――監督への興味は。
「やってみたいです。監督はやってみたいです。野球絡みは全部興味あるので」
「成績を見てもよく頑張ったなという成績は残せている。一番とかない」
――コメンテーターをやれば引っ張りだこ。
「コメンテーター、本心じゃなく言わないといけないこともあるだろうから(笑)。大変ですよね、あの仕事。もしやるってなったら本気でやります。そのときはね」
――誇れる数字は。
「それがあまりなくて。すごいんですよね? 良かったです、って感じです。成績を見てもよく頑張ったなという成績は残せているので、それで満足です。一番この数字がとかはないです」
――地域振興など考えていることは。
「何も考えていないので、ただそういったことも興味はあります」
――ハイレベルで頑張り続けても野球を好きでいられる理由。
「自分にとって野球が生きがいみたいになっているので、理由って言われても。本当に好きな人に理由ってなくないですか? 理屈ってないです。好きだから好き、みたいな。ヤクルトでの野球が好き? そうかな、それもあるかな」
※一部勝手にコピペ&割愛いたしました🙇💦
※また、敬称を省略させていただきました🙇💦💦