(15日、第106回全国高校野球選手権埼玉大会2回戦 鷲宮14―1杉戸農)

 

 杉戸農の唯一の女子部員中山美羽(3年)は三塁側ベンチ横のボールパーソン席で試合の最後を見届けた。

 野球を始めたのは小学3年のとき。三つ上の兄に、人数が足りないという理由で野球の試合に誘われたのがきっかけだ。グローブをはめたこともなかったが、いきなり二塁手を任され、「意外と楽しかった」。中学時代は軟式野球で投手としても活躍した。

 ただ、高校では野球を続けるつもりはなかった。硬式でやれるか不安もあったという。それでも入学後、先生に練習会に誘われ、ノックを受けて気づいた。「やっぱり野球って楽しい」

 入部してからは、男子部員と同じメニューをこなしてきた。昨年の新チーム発足時は投手がおらず、練習試合では中山が投手を務めた。主将の山下基輝は「変化球も切れていて、試合を作ってくれた。チームになくてはならない存在」。栗林陽希監督は「実力的には、先発で上位打線を打たせたい選手」と評する。

 しかし、日本高野連の規定で、女子選手は公式戦に出場できない。今大会はボールパーソンとしてグラウンドに立った。試合中はファウルボールを集め、審判へ渡した。

 結果は8回コールド負け。「残念だったけど、近くで見たみんなの顔はいつもより生き生きしていた。感動しました」と中山。

 野球は続けないつもりだ。仲間たちと過ごした3年間を振り返り、「つらいこともあったけど、高校でも野球をやってよかった」と笑顔だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前夜のホーム福岡戦で今季リーグ戦初出場を果たしたJ1サンフレッチェ広島の青山敏弘が15日、広島市中区のエディオンピースウイング広島であったファン感謝デーで、感謝を伝えた。「皆さんの声援にびっくりした。いつもありがとうございます」。集まった過去最多の6526人のサポーターから大きな拍手を浴びた。

 入場の際には、参加した子どもによる選手紹介を受けて笑顔で登場。パス交換や写真撮影などでサポーターと積極的に交流し、自らスタンドに赴く場面もあった。多くのファンに囲まれ、一人一人と丁寧にハイタッチ。今後の活力を得た。

 広島一筋で在籍21年目の背番号6。「まだまだピッチで活躍するので、待っててください」。力強い言葉を残し、会場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(15日、第106回全国高校野球選手権徳島大会1回戦 板野1―2阿波)

 阿波の中川皓稀(こうき)選手(3年)が代打で出場し、貴重な一振りでチームのピンチを救った。

 「思い切り振ってこい」。1点を追う七回1死二塁、浜口照夫監督は代打の切り札の中川選手を打席へ送り出した。

 試合中盤に再三好機をつかみながら、得点につなげられなかった。「絶対打ってやる」。2球目の速球を力いっぱい振り抜き、中前へ運んだ。二塁走者が生還。スタンドは大歓声に包まれた。中川選手も一塁上で満面の笑みで応えた。

 チームは延長十回タイブレークの末に勝利。3年ぶりに夏の徳島大会の初戦突破を果たした。浜口監督は「中川のバッティングがなければ負けていた。よくやってくれた」。中川選手も「いろんな人たちの応援にこたえたかった。次の試合もタイムリーを打ちます」と意気込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

首位・巨人にゲーム差「0.5」で迫る2位・広島は3位・DeNAの好カード。6点を奪われる厳しい展開の中、4回にレフトを守る上本崇司選手が守備でスーパープレーを見せました。

DeNAの牧秀悟選手の第13号2ランホームランで0-6となった4回、2アウトランナー1塁の場面で打席に山本祐大選手を迎えます。マウンドは先発のアドゥワ誠投手。

その初球、インコースのチェンジアップを捉えた当たりはレフトへの深い打球に。これを上本選手が追いかけるとフェンスに打球が直撃するギリギリのタイミングでジャンピングキャッチ。上本選手の好守備に横浜スタジアムがどよめきます。

DeNAの三浦大輔監督がこのプレーに打球が先にフェンスに当たったか、リプレー検証を要求しますが判定は覆らず。好守備で3アウトとしました。

上本選手の好守備にファンからはSNSで「上本の芸術的なファインプレーに脱帽」「リプレーが流れる度に上本へ称賛の拍手が」といった声があがっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(15日、第106回全国高校野球選手権奈良大会2回戦 磯城野5―4県大付)

 

 1点を追う九回裏1死二塁、県大付の主将大西悠生(3年)が打席に入った。一打同点の場面で、ベンチから「キャプテンの腕の見せどころや」と声援が飛ぶ。左前にはじき返すヒットで、二塁走者は三塁へ。一塁で思わず拳を突き上げた。

 2022年に開校した県大付は、この夏、初めて3学年がそろった。

 入学直後、大西は野球部創設に奔走した。部活動の希望調査には迷わず「野球部」と書き、坊主頭の同級生を見つけては手当たり次第、「野球やらへん?」と声をかけまくった。

 そんな中、同じクラスの押川鼓南(3年)が声をかけてきた。「弟が野球やっていて、高校から野球をやってみたい」。中学まで押川はサッカー部だった。大西は「いきなり硬式野球で大丈夫か」と不安に思ったが、熱意に押された。

 監督探しは押川の提案だった。「弟の少年野球チームの寺井孝文監督にお願いしてみよう」。2人で寺井監督の家を訪ね、直談判した。「何とか試合出来る人数が集まりました。公式戦で勝てるチームを作りたいんです」。30分以上も話すなかで、寺井監督は「彼らが本当に野球をやりたいという思いが伝わってきた」と振り返る。

 公式戦初勝利を目標に挑んだこの夏の大会初戦。雨で2度中断し4時間39分の長いゲームになった。5点差をつけられたものの、八回裏、4本の長短打などで4点を返し、あと一歩まで迫った。

 「結果は悔しいけれど、いろんな人に携わってもらって野球ができたことに感謝したい」。試合後、大西は泣きながらそう話した。七回に代打で出場し、三振に倒れた押川は「一から野球部を作ることができて、最後はみんなが応援に駆けつけてくれて幸せだった」と涙ながらに話した。

 寺井監督は「大西も押川も自分の役割を自覚して、チームを引っ張ってくれた」とたたえた。

 「一緒に野球ができて最高だった。ありがとう」。大西は押川にそう告げると、2人は握手をして球場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

(15日、第106回全国高校野球選手権埼玉大会2回戦 川口青陵2―1川越)

 

 川越の課題は守備だった。失策で崩れてしまうことが多く、大会1カ月前の練習試合では、10以上の失策が出て14点差をつけられたこともあった。

 主将の上田純也(3年)は「このままでは夏を迎えられない」と監督と相談し、打撃練習を一時休止。チームは1週間以上、守備練習に徹した。その後、練習試合でのエラーは減っていき、もう崩れないと自信をもって今大会に臨んだ。

 この日の川口青陵戦は走者こそ出すものの、要所ではきっちり守って八回まで無失点に抑えこんだ。八回裏には、上田の右前安打と盗塁などからスクイズで先制した。「ようやく試合を動かせた」

 だが九回、守備にほころびが出た。失策で走者を出すと、犠打と内野安打で生還を許した。最後は暴投で逆転された。

 上田は試合後、「最後にミスが出てしまって勝ちきれなかったことは一番悔しい。でもみんなのおかげでここまでやってこられた。感謝の気持ちでいっぱい」と語った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆巨人・阪神OB戦 巨人3―2阪神(5回特別ルール=15日・東京ドーム)

 「伝統の一戦~レジェンズOB対決~」と銘打たれたOB戦。デーゲームの巨人―阪神の後に行われた中、大半のファンがスタンドに残り、観衆は3万5000人だった。

 巨人OBは中畑清氏、阪神OBは川藤幸三氏が監督を務め、両軍のレジェンドがズラリ。出場予定がなかった王貞治氏も激励のためにサプライズで駆けつけた。懐かしの登場曲、スタンドからは各OBの現役時代の応援歌も流れた。

 試合は2回に阪神OBが矢野氏の犠飛で先制。その後、3回に巨人OBが福王氏の中前適時打で勝ち越すなど、巨人が逆転勝ちを収めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆第106回全国高校野球選手権富山大会 ▽2回戦 富山第一7-1高岡工芸(15日・県営富山)

 2回戦が行われ、富山第一は7-1で高岡工芸を下し、初戦突破を決めた。140キロ右腕、和泉詩大(しいた、2年)が公式戦初登板で先発し、6回を無安打、無失点と好投。序盤は伸びのあるストレート、変化球を武器に圧倒すると、6回は90キロ台のスローカーブも多投し、相手打線を惑わせた。和泉は「初戦だったのでチームに勢いをつけたかった。緊張したけど、自分の持ち味を出そうと思いました」と明るい表情を浮かべた。

 お手本にする選手は、ドジャースの山本由伸投手。ワインドアップ時の足の使い方を参考にしたり、筋トレでは器具を使わず自重トレーニングを重視する。投球では、ボールのスピンにこだわり、回転数はチームトップの2400回/分をマーク。6月には自己最速の140キロをマークした。和泉は「スピン量が増えれば、ボールが落ちずに、打者の目線で上がってくるように見える。スピードよりスピンが重要」と話す。

 打撃でも期待されており、この日は6番打者として2安打、2打点をマーク。次戦はシード校の不二越工と対戦する。「次もピッチャー、打者としてチームに貢献したい。回転数にこだわりながら、142キロは出したい」と和泉。伸び盛りの2年生が、チームを勝利に導く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1世紀ぶり3度目となるパリ五輪は16日で開幕まで10日。15日は聖火リレーがパリ市内で行われ、観光名所の一つで映画の舞台にもなった老舗キャバレー、ムーラン・ルージュの前では踊り子たちが華麗なダンスでランナーを出迎え、集まった市民から大きな歓声が湧いた。

 聖火は14日のフランス革命記念日から2日間、パリ市内を巡り、15日は美しい街並みを一望できるモンマルトルの丘や五輪マークが装飾されたエッフェル塔、テニスの五輪会場で全仏オープンの開催地として知られるローランギャロスなどを回る。16日以降は世界遺産のベルサイユ宮殿などパリ郊外を巡り、26日に聖火台に火をともす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆巨人・阪神OB戦 巨人3―2阪神(5回特別ルール=15日・東京ドーム)

 OB戦を制したのは、巨人だった。

 阪神が2回に前阪神監督の矢野燿大さん(55)の左犠飛で先制した試合だったが、3回に巨人が反撃。翌日に67歳の誕生日を控えた篠塚和典さん、現巨人編成本部長の吉村禎章さん(61)、江藤智さんの3連打で無死満塁から、続く福王昭仁さん(60)の打席で相手マウンド・藪恵壹さんの暴投で同点とした。

 福王さんが中前タイムリーを放って勝ち越し、さらに続く清水隆行さん(50)の犠飛で点差を広げた。阪神は最終回の5回に西岡剛さん(39)のタイムリーで1点を返したが、反撃もそこまでだった。特別ルールでリードしていた巨人の攻撃は5回裏にも行われた。阪神のマウンドには藤川球児さん(43=スポーツ報知評論家)が立った。2死無走者から、巨人OBチームの監督を務める中畑清さん(70)が打席に立ち、左前安打を放ってみせた。

 レジェンドたちの名場面映像が何度も試合中に流れた。3回の得点機では、藪さんの前に打席に立ったのは、前巨人監督(現オーナー月特別顧問)の原辰徳さん(65)。映像は1994年6月14日の東京ドームでの伝統の一戦。当時1年目だった右腕を相手に、左アキレス腱断裂から復帰1号を放った原さんの映像だった。映像後の対戦結果は、二直だった。

 4回途中には、大型ビジョンに阪神ベンチに駆けつけた岡田彰布監督の姿が映し出され、場内が沸いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

タレントの大沢あかねさんが日本ハム-楽天戦に登場

■日本ハム ー 楽天(15日・エスコンフィールド)

タレントの大沢あかねさんが15日、エスコンフィールドで行われた日本ハム-楽天戦に登場。イニング間に行われる「きつねダンス」をファイターズガールとともに披露し、盛り上げた。

茶髪にジーンズ姿の大沢あかねさんは、きつねの耳カチューシャ、しっぽをつけて登場。キレのあるダンスをノリノリで披露した。

大沢あかねさんの祖父は1976年から1984年まで日本ハムの監督を務めた大沢啓二さん。豪快な口調で「大沢親分」と呼ばれてファンから親しまれていた。情報番組での「喝!」「あっぱれ」のフレーズでも知られていた。

「パーソル パ・リーグTV」が公式X(旧ツイッター)に「大沢あかねさんとファイターズガールの『あっぱれ!!』なきつねダンス」として映像を投稿した。

「ファイターズ50周年シリーズ」のイベントで登場したあかねさんは、試合前には始球式を務め外角に大きく外れる大暴投。コントロールは「喝!」だったが、ダンスではまさに「あっぱれ!」の動きを披露していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全国高校野球選手権大会の出場校を決める地方大会は15日、各地で行われ、宮城では昨夏の甲子園大会で準優勝した仙台育英が東北に2―0で勝って準々決勝に進んだ。今春の選抜大会準優勝の報徳学園(兵庫)、同4強の中央学院(千葉)は4回戦進出。

 2年連続出場を目指す履正社(大阪)、花巻東(岩手)は3回戦に駒を進めた。和歌山では昨夏代表の市和歌山が今春の選抜大会に21世紀枠で出場した田辺に敗れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆第106回全国高校野球選手権 東東京大会▽3回戦 二松学舎大付9―5岩倉=延長10回タイブレーク=(15日・神宮)

 二松学舎大付・岡部雄大内野手(3年)が延長10回タイブレークで公式戦初本塁打となる満塁本塁打を放ち、岩倉相手に劇的勝利。今大会ノーシードの強豪が2戦連続のタイブレークを制し、4回戦に駒を進めた。

 打った瞬間、球場がどよめいた。延長10回無死満塁の場面。「外野の頭は越えるかな」。本人もこう思った打球は右翼手の頭上も外野フェンスも越え、スタンドへ。着弾を見届けると何度もガッツポーズを繰り出した。「打った記憶がない」という野球人生初のグランドスラムで、高校入学後、公式戦での初アーチ。片井海斗内野手(3年)も「練習でも(本塁打は)見たことない。ビックリ」と口にした一撃だった。

 序盤に5点を先攻するも追いつかれる苦しい展開。「下級生が頑張って投げていたので、上級生として打ってやらないと」という強い気持ちが本塁打を生んだ。ホームランボールは「(戻ってきたら)家で宝物にします」と声を弾ませた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「伝統の一戦~レジェンズOB対決~ 巨人3-2阪神」(15日、東京ドーム)

 阪神・岡田彰布監督が試合途中に阪神OBが陣取る三塁側ベンチに入った。

 四回裏2死からスクリーンに青いシャツを着た私服姿の岡田監督が映し出されると阪神ファンから大歓声がわき起こった。ベンチでは登板を終えた江本さんの隣に座り笑顔をみせた。

 岡田監督はデーゲームの巨人戦で快勝。一度宿舎に戻り食事をした後、再び東京ドームに姿を見せていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

(15日、第106回全国高校野球選手権京都大会3回戦 京都両洋7―0同志社)

 

 七回裏2死走者なしで打席に入った同志社の主将・清水悠生さん(3年)は、木製のバットを手にしていた。初戦の木津戦では、延長タイブレークの十一回に勝ち越しの二塁打を放っている。

 「後悔を残したくない。思い切りいこう」

 内角に鋭く食い込む球を繰り出す京都両洋のエースを相手に、同志社の打線は苦しんでいた。監督の助言を受けて、清水さんはここまでの2打席は金属バットで臨んでいたが、快音は出ていなかった。

 回ってきた3度目の打席。終盤を迎えて5点差の劣勢では、最後の打席になるかもしれない――。そう思うと、振り込んできた木のバットに手が伸びた。

 初球を振り抜くと、ゴロの打球は遊撃手の方へ転がった。一塁にヘッドスライディングしたが、及ばなかった。

 打ち取られたが、自分の選択に、悔いはない。

 わかさスタジアム京都は、一度はプレーしたいと3年間願ってきた場所だ。最後の夏に、憧れのグラウンドの雰囲気を楽しんだ。「最高でした」。清水さんはそう言って、笑顔を見せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「DeNA-広島」(15日、横浜スタジアム)

 お笑いタレント・みやぞんが始球式に登場した。

 みやぞんは元高校球児で、当時はエース兼4番として活躍。本格的なフォームから豪快な投球を見せたが、惜しくもホームベース付近でワンバウンドした。

 投球後、「マウンドに行くまでは『おーし、行ったるぞ』って感じだった。それで捕手を見たら、その時点で頭が真っ白になって誰に投げて良いか分からなくなった」と大観衆を前に緊張が走ったことを明かし、「手は震えていまして、もう投げる時、わけ分からなくなって、それでショーバンする、非常に情けないなと感じております」と苦笑。「始球式のボールもらったんですけど、土がついておりまして、それを戒めにします」と恐縮した。

 みやぞんの「みや」から背番号「38」のユニホームをまとい、頭髪はDeNA・三浦大輔監督ばりにリーゼントでキメて登場。「三浦監督にあいさつしたんですよ、そしたら帽子をとって、『ごめんね、きょうはリーゼントじゃないんだよ』って謝られたんですよ。それくらいリーゼントの絆は深いんだなって感じている」と話していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(15日、第106回全国高校野球選手権和歌山大会2回戦 田辺6―0市和歌山)

 

 球威は衰えなかった。

 138球目、最後の打者を狙い通り、高めの141キロで空振り三振に。田辺のエース寺西邦右(ほうすけ)(3年)は笑みを浮かべた。

 「強豪校相手に完封できてよかったです。最初から全力で飛ばしました」

 昨夏の代表校、市和歌山を6安打に封じた。この日、最速は143キロを計測。春先から2キロ伸びた。

 田辺は今春の選抜大会に21世紀枠で出場した県立の進学校だ。選抜1回戦で、昨秋の明治神宮大会覇者の星稜(石川)に2―4で惜敗したが、寺西の力投で終盤まで互角に戦った。

 「間違いなく、いい財産になった」と田中格監督。だが、甲子園での善戦を「満足」では終わらせなかった。チーム全員が「もう一度甲子園に行きたい」と口にして練習に励んできた。

 大舞台を経験したことで、近大付、興国(いずれも大阪)、尽誠学園(香川)といった強豪と練習試合をしても、物おじしなくなったという。

 寺西ももちろん、その中心にいる。体幹トレーニングに力を入れ、体重は春から2キロ増えて80キロに。普段のキャッチボールから「指先に球をかけること」を意識するようになり、直球、変化球に磨きをかけてきた。

 2001年に選抜の21世紀枠ができて24年。同じ年の夏の甲子園に帰ってこられたのは、01年の宜野座(沖縄)と10年の山形中央の2校だけだ(中止の20年をのぞく)。

 「夏も絶対に出ます。甲子園に出るだけでなく、甲子園で活躍したい」と寺西。難敵を倒し、好スタートを切った。=紀三井寺

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大相撲名古屋場所・2日目」(15日、ドルフィンズアリーナ)

 再入幕の若隆景(荒汐)は狼雅(二子山)を厳しい攻めで押し出し、初日を出した。幕内では右膝前十字靱帯(じんたい)を損傷しながら勝った昨年春場所13日目以来479日ぶりの白星。表情こそ変えなかったものの「やっと戻って来たなという気持ちです」と話す言葉に実感がこもった。

 昨年4月に靱帯の再建手術を受け、3場所連続で全休。関脇から幕下まで番付を落として昨年九州場所で復帰し、4場所かけて再入幕を果たしていた。「早く幕内の土俵でとりたいという思いでやってきた」と振り返った若隆景。慣れ親しんだ幕内の感覚を思い出しつつあるといい「また明日に向けて、気を引き締めてやっていきたい」と意気込みを新たにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幕下上位で大迫力の熱戦が繰り広げられ、館内が大興奮に包まれた。両力士が同時に土俵下へと落下する光景に、観客は思わず口をあんぐり。視聴者も「めっちゃ盛り上がった」「とにかく凄まじい」「執念すごい」と手に汗を握っていた。

 

幕下二枚目・大青山(荒汐)と幕下二枚目・北磻磨(山響)の一番。立ち合い後、大青山が強烈に突き放すと北磻磨も果敢に攻め、すぐに激しい突き押しの応酬となった。両者一歩も譲らない攻防戦は最後、大青山が右上手を取ったところ、北磻磨が頭をつけて下手を取りながら前に出ていき、互いに投げを打ち合いながら土俵下へと落下していった。大迫力の一番に客席からは悲鳴のような歓声が発生し、大きな拍手も沸き起こった。なかには驚きのあまりあんぐりと口を開ける観客もいた。

軍配は北磻磨に上がったものの、際どい決着に両者体が出るのが同時ではないかと物言いがつくことに。協議の結果、同体とみて取り直しとなった。取り直しの一番では、大青山が立ち合いから一気の攻めを展開。突き放して押し倒しを決め1勝目の勝ち星を上げた。敗れた北磻磨は1敗目を喫した。

大青山と北磻磨の熱戦に、ABEMAの視聴者からも「めっちゃ盛り上がった」「ベストバウト」「とにかく凄まじい相撲だった」「執念すごい」「同時にフェードアウト」「すごいw」と手に汗握るコメントが相次いで寄せられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このほど球団のスペシャルアドバイザーに就任したOBのデストラーデ氏が15日のオリックス戦(ベルーナドーム)前の練習を視察した。

 選手がつくった輪の中で「皆さんの助けになりたい。集中力を切らさず自分を信じてやってほしい」などと選手を激励。アギラー、コルデロといった中南米出身選手のサポートが主な任務だが、本塁打王3度、打点王2度など輝かしいキャリアを生かして日本選手にもアドバイスしていく考えだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(15日、第106回全国高校野球選手権兵庫大会2回戦 県伊丹5―3県尼崎)

 

 県伊丹は、1点差が続く接戦を、九回2死三塁からの4連打で3点を奪って突き放し、県尼崎に快勝した。

 途中から4番に入った千葉喜晴選手が3本のファウルの後、右中間に三塁打。続く前嶋哲司選手、杉田優介選手の連続安打の後、板山魁成選手の二塁打で3点目を挙げた。

 試合後、保田聖翔主将は「リードされていたが負けることは考えず、どうやって勝てるかを考えていた」と話した。次戦の相手はタイブレークを制した須磨翔風。開会式では選手宣誓をした保田主将は「自分がチームをまとめるというより、全員でチームを作ってきた。もう一度自分たちの野球を確認して臨みたい」と胸を張った。

■部員不足から挑んだ夏、勝利目前で… 県尼崎

 県尼崎は七回に逆転し、1点リードのまま九回を迎えた。マウンドには力投を続ける左腕村上虎次郎投手。左手親指の皮がめくれるアクシデントを抱えながら2死2ストライクまで追い込んだ。

 「絶対に抑える」。力を込めた直球が高めに浮く。それを相手は見逃してくれなかった。三塁打を浴び、そこから3失点。勝利が逃げていった。

 試合後、「自分のせいで勝てなかった」と泣き崩れるエースを、福田大翔主将はかばう。「後ろから見ていて、いつも以上に腕が振れていた。村上がずっとこのチームを支えてきてくれた。ナイスピッチングだった」

 春季大会は部員不足のため出場がかなわなかった。その後懸命な勧誘が実り1年生が入部。夏にこぎつけた。

 半沢拓実監督は「苦しい時期を経験しながら、よくここまで成長してくれた。今までで一番声が出ていて、気迫あふれるベストゲームだった」と選手らをねぎらった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

プロゴルファー渡邉彩香ら3選手がソフトバンク‐ロッテ戦の始球式に登場

■ソフトバンク ー ロッテ(15日・みずほPayPayドーム)

15日にみずほPayPayドームで行われたソフトバンクーロッテ戦のセレモニアルピッチに、プロゴルファーの渡邉彩香、佐久間朱莉、後藤未有の3選手が登場。揃ってノーバウンド投球を披露し、球場を沸かせた。

大東建託グループ主催で、7月18日~21日にザ・クイーンズヒルゴルフクラブ(福岡県糸島市)で開催される「大東建託・いい部屋ネットレディス」に3選手が出場することに合わせ、セレモニアルピッチが実施された。

ソフトバンクのユニホーム&キャップをかぶりマウンドへ。マウンドの手前からとなったが、全員が見事なノーバウンド投球を披露。大きな拍手を浴びた。

昨年に続く投球となった渡邉は「去年は情けない投球だったので。リベンジの機会をいただけてありがたかったし、試合に向けていい経験になりました。今年はなんとかキャッチャーに捕ってもらえるくらいの球を投げたかったので。そこはよかったです」と笑顔をみせた。

また佐久間は「全く練習できていなかったので、今日、急に野球ボール買ってきてもらって公園で練習しました」と“告白”。それでも無事に大役を果たし、さすがの運動神経の高さをアピールした。

 

 

 

 

 

 

 

 

(15日、第106回全国高校野球選手権埼玉大会2回戦 浦和4―0春日部東)

 春日部東の背番号1をつけた福田遥大(3年)がマウンドに立ったのは、4点差をつけられたまま迎えた九回表2死だった。

 先発の滝沢柊介(3年)は二回に満塁本塁打を浴びたが、四回以降は無安打に抑えていた。九回から継投した杉田寛(3年)も、2人を凡退に打ち取った。

 「夏はお前だ。流れを持ってきてくれ」。日下部直哉監督は、そんな場面で福田を送り出した。

 フルカウントからの6球目。思い切り腕を振って投げた高めの直球で右飛に仕留めた。ベンチはこの日、一番湧いた。

 昨夏の大会、福田は2年生ながらほとんどの試合で先発。この年の公立校で唯一ベスト8に入ったチームの立役者でもあった。

 しかし、今年4月に肩を痛め、春の地区代表決定戦にも出られなかった。1カ月以上投げられない日が続き、焦る気持ちを抑えながら下半身の強化やランニングを黙々とこなした。そんな中でも滝沢や杉田とは、「夏は俺たちで勝とう」と声をかけ合ってきた。滝沢は「福田が後ろにいてくれるので、満塁ホームランを打たれた後も落ち着いて投げられた」と話す。

 九回裏、打線は2死満塁まで迫ったが、あと1本が出ずに負けた。日下部監督は「3人の継投が春日部東のベストの形。よく頑張った」と振り返った。

 福田には、卒業後も野球を続けたいという思いがある。最後の1死だけ登板させたのは、けが明けで無理をさせたくないという判断でもあった。福田は試合後、「もっと投げたかった」と悔しさをにじませた。そして「3人で投げられて幸せでした。この悔しさは、今後に生かします」と前を向いた。

 

 

 

 

 

 

 

(15日、第106回全国高校野球選手権愛知大会3回戦 西春7―1知立東)

 6点のリードを許した八回2死二塁。知立東の捕手、森玉一輝選手(3年)はミットを高めに構えた。決め球は「高めのまっすぐ」。3人目の投手小松真輔選手(3年)が力のある直球を放るとバットが空を切った。3年間、小松選手と目指していた「理想通りの空振り三振」だった。

 この日、失策なども絡み、森玉選手も継投した3投手の良さを引き出せなかった。試合に敗れたが表情はすがすがしい。「やり切った良い球が来て、うれしかった」。一緒に頑張った仲間に感謝を伝えたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

巨人の球団創設90周年を記念して15日、「伝統の一戦~レジェンドOB対決~ 巨人―阪神」が東京ドームで行われた。

試合開始前には「レジェンドスペシャルスターティングメンバー」が発表された。「1番・柴田」「2番・高田」「3番・原」に続いて「4番・ファースト王」とアナウンスされると、デーゲームで行われた巨人―阪神戦から残った観衆から大歓声が起こった。

出場予定選手に名前がなかった王貞治ソフトバンク会長(84)は巨人ベンチからスタンドへ手を振った。「激励のためかけつけてくださいました」と説明されると、場内は再び大歓声に沸いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7月12日に開幕した、夏の高校野球・福島大会。週末に繰り広げられた熱闘の試合を振り返る。
相馬高校のエース・寳佑真(たから ゆうま)投手と原町高校の主将・小泉直大(こいずみ なお)選手は、3年前東京オリンピック・野球の始球式でバッテリーを組んだ。この2人が、最後の夏に「対戦相手」として試合に臨んだ。

最初の直接対決は寳投手に軍配

1回表、ノーアウト1塁で迎えた最初の直接対決。この時の心境を原町高校の小泉主将は「打てるなという気持ちで打席に入った。なんとか打ってやろうという気持ちだった」と振り返る。しかし、結果はダブルプレー。相馬・寳投手に軍配があがる。

チャンスを作りたい原町

試合は2回裏、相馬高校の打線が繋がり一挙に6得点。反撃したい原町高校は、寳投手を前にチャンスを作ることができない。
そして5回裏。相馬高校が2点を追加すると打席には寶投手。犠牲フライで、相馬高校がコールド勝ち。10対0で原町高校を破った。

寳くんはやっぱりすごい

試合後、原町高校の小泉直大主将は「寳君はやっぱりすごいなというのが、一番の印象でした」と語った。一方、相馬高校の寳佑真投手は「原町高校の気持ちや相双の気持ちというのを持って、次の試合戦えればいいと思います」と話した。

相双対決を制した相馬高校は、17日に勿来工業と福島成蹊の勝者と対戦する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バイエルンに所属するFWトーマス・ミュラーが15日、自身の公式YouTubeチャンネル(Thomas Müller)にて一本の動画を公開。ドイツ代表からの引退を正式に表明した。

 

 1989年9月13日生まれで現在34歳のミュラーは、2010年3月3日にヨアヒム・レーブ監督の下で代表デビューを飾った。自身初の大舞台となったFIFAワールドカップ南アフリカ2010で5ゴールを挙げて得点王に輝くと、その後も前線の主軸として活躍。FIFAワールドカップブラジル2014では全7試合の出場で5ゴール3アシストをマークし、ドイツ代表の24年ぶり4回目の優勝に大きく貢献した。

 その後は一時的に招集から遠ざかった時期があったものの、2021年夏に就任したハンジ・フリック前監督、昨年秋に就任したユリアン・ナーゲルスマン監督の下でも主力級として活躍。今夏のEURO2024に臨むメンバーにも名を連ねたが、1-2で敗れたスペイン代表との準々決勝がラストマッチとなった。14年間に渡りドイツを牽引したミュラーは、歴代3位となる国際Aマッチ通算131試合に出場。ここまで挙げた45ゴールも代表歴代6位タイの記録となっている。

 代表引退に際し、ミュラーは動画内で次のようにコメントしている。

「すべてはここペールのピッチから始まったんだ。サッカーに対する僕の大きな情熱。14年以上も前にドイツ代表として初めてピッチに立った時は、こんなことになるとは夢にも思わなかった。偉大な勝利と苦い敗北。時に打ちのめされて、再び立ち上がる。世界最高の選手たちと競い合い、素晴らしいチームメイトとともに数え切れないほどの忘れられない瞬間を過ごした」

「131試合に出場し、45ゴールを挙げた。そして今日、代表チームに別れを告げる。ワールドカップとEUROに4度ずつ出場し、ワールドカップのトロフィーを掲げ、ピッチ上でみんなからの愛を感じ取ることができた。母国のためにプレーできたことをいつも誇りに思っているよ」

「僕たちは一緒に祝い、時には一緒に涙を流した。全てのファンと代表チームにメンバーに感謝を伝えたいと思う。応援ありがとう。今年のEUROの熱狂と喜びを胸に、2026年のワールドカップへの道を歩んで欲しいと思う。僕はピッチ上の選手ではなく、スタンドのファンとしてそうするよ。さようなら、そしてまた会おう!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇プロ野球セ・リーグ ヤクルト4-1中日(15日、神宮球場)

今季最長となる8連敗と、苦しい状況が続いていたヤクルトでしたが、中日に勝利し連敗をストップしました。先発のヤフーレ投手は6回1失点で4月29日以来となる5勝目をあげました。

ヤクルトは2回、先頭打者の村上宗隆選手がフェンス直撃のツーベースで出塁すると、オスナ選手もヒットで続き1、3塁のチャンスを作ります。この場面で中村悠平選手がレフト線へタイムリーツーベースを放ち、先制点をあげます。さらにリードを広げたいヤクルト打線は2、3塁から山田哲人選手にもセンター前タイムリーが飛び出し追加点。その後も1点を加え、この回3点を手にしました。

先発のヤフーレ投手は打たせてとる投球で4回まで無失点の好投。5回に連打でノーアウト1、3塁のピンチを招きますが、代打・石橋康太選手のサードゴロ間による1点のみに抑え、最少失点で切り抜けます。

追加点が欲しい打線は8回、先頭の村上選手が四球を選び出塁。さらに2盗を決めチャンスを作ると、1アウト2塁から中村選手がこの日3安打目となるセンター前タイムリーを放ち4点目。このまま逃げ切り連敗を8で止めました。

 

 

 

 

 

 

 

 

◆JERAセ・リーグ DeNA6―1広島(15日・横浜)

 広島は、投打に精彩を欠いて敗れた。引き分け以上で首位奪還だったが、DeNAと入れ替わる形で3位に後退した。先発・アドゥワが4回まで毎回の6失点(自責5)と序盤で勝負は決した。5点差以上の敗戦は6月12日の敵地・西武戦以来だった。新井監督は「逆に切り替えやすい」と、淡々と敗戦を受け止めた。

 新井貴浩監督の試合後の主な一問一答は以下。

 ―アドゥワ投手は課題の立ち上がりから失点した

 「ちょっと真ん中、真ん中に集まっているような感じに見えた」

 ―試合の中で修正できなかった

 「いろいろ自分で分かっていると思う。映像を見返して、自分の感覚とすり合わせながらやってもらいたい」

 ―次回登板は

 「今終わったばかりだから。ピッチングコーチと相談して決めたいと思います」

 ―あの展開になると打線も難しい

 「まあまあ、ね。いつもいつもピッチャーが頑張ってくれているから。こういう日もあると思う。逆に切り替えて、明日臨めるかなと思います。久しぶりでしょう、こういう試合は。いつもピッチャーが頑張ってくれているので、1試合だけでどうこうはない。逆にしっかり切り替えて明日の試合に入っていきたいです」

 ―大量ビハインドの中で上本選手の懸命なプレー(左翼フェンス際の好捕)もあった

 「そうやね。全力プレーが彼の持ち味。あの守備も素晴らしいプレーだったと思います」

 ―4安打のうち小園選手がマルチ安打

 「タイミングがしっかり取れている。自分の間合いでスイングできていると思います」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「伝統の一戦~レジェンズOB対決~ 巨人3-2阪神」(15日、東京ドーム)

 10年ぶりに行われた巨人と阪神の歴代のスタープレーヤーがずらりとそろった一戦。巨人-阪神の公式戦後に行われた試合を3万5000人が見守り、巨人OBが福王氏の勝ち越し適時打、清水氏の犠飛などで接戦を制し、デーゲームの“借り”を返した。

 試合では二回に阪神の4番掛布氏と巨人のエース、江川氏のライバル対決が実現し、大盛り上がり。三回には巨人・吉村禎章氏が右前打を放ったが、打った直後に転倒するアクシデントが。足を気にしながら、一塁までなんとか辿り着き、ベンチに向かって「×」マークを出し、代走を要求。怪我へのハラハラもありながらの試合だった。

 巨人は先発の上原氏が快投。前監督の原氏は華麗な守備でみせた。阪神は最終回に監督を務めた川藤氏が代打登場したが、バットに水吹きかけパフォーマンスの後に打席に入り、初球を豪快に空振り。倒れ込み、自ら代打を送った。その後、田淵幸一氏の安打などでチャンスを作り、1点を返したが、あと1点届かず、巨人の勝利が決まった。

 なおその後、巨人の五回裏の攻撃も行われ、監督を務めた巨人の中畑氏と阪神の守護神・藤川球児氏の対決も実現。中畑清氏が左前打を放った。最後は藤川氏と高橋由伸氏が対決。左飛で試合は終了した。

 また阪神・岡田監督が試合途中に阪神OBが陣取る三塁側ベンチに入り、青いシャツを着た私服姿の岡田監督が映し出されると阪神ファンから大歓声がわき起こった。

 試合後、かつて“火の玉ストレート”と呼ばれた藤川氏は最速127キロだった自身の投球を振り返り「限界です」と苦笑い。それでも「子どものときにみていた選手と対戦ができるので、僕達にとっても楽しい。岡田監督も来てくれたしね。みんな喜んでます。監督の試合じゃない表情が見られて」と、充実した表情で話した。田淵氏は安打に「バットに当たっただけやないかい。ボールが3つに見えたよ」と振り返り、「江川ともベンチで話して、堀内もいる。中畑も原も。みんな集まって、懐かしい選手と会って、昔話するのいいね」と笑顔だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

プロ野球誕生から90年の節目を記念した巨人と阪神のOB戦が15日、東京ドームで行われ、歴代最多868本塁打を誇る巨人OBの王貞治さん、シーズン401奪三振の最多記録を持つ阪神OBの江夏豊さんら球史に名を残す選手が集結した。巨人―阪神後に実施され、約3万5千人のファンが声援を送った。

 王さんはプレーしなかったが「4番・ファースト、王」がアナウンスされると大歓声。車いすに乗った江夏さんの登場には球場が沸いた。巨人のエースだった江川卓さん、阪神の4番を務めた田淵幸一さんや掛布雅之さんらも元気な姿を披露した。

 巨人と阪神のOB戦は2014年以来、10年ぶりに行われた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(15日、第106回全国高校野球選手権千葉大会3回戦、千葉敬愛2―6中央学院)

 

 春の選抜4強の中央学院のスタンドがいつにもまして揺れていた。

 三回裏に水嶋悠(3年)の適時打や颯佐心汰(3年)の2点本塁打などで3点を先制した。

 スタンドの部員らが肩を組み、段違いで交互に横に揺れながら歌う「サクラ大戦」の応援歌が流れたが、いつもと違った。声量が出ていて、息を合わせて横に大きく揺れて、大きく体を反っていた。

 チャンステーマ「シダックスファイヤー」や校歌でも迫力のある応援を見せた。

 応援団長を務める部員の手倉森蕾音(れお)(3年)は初戦の応援に満足いかなかった。「(選抜の)報徳学園戦はすごい良かったのに、(千葉大会の)初戦は気合が入っていなかった」。試合後に先生や外部の指導者らへ相談し、翌日に部員らにお願いした。「目の前で頑張っている人を応援できないのは納得いかない。どうにかついてきてほしい」

 そして迎えたZOZOマリンスタジアムでの応援だった。「応援できるチームは応援されるチームになると思う。酸欠になるくらいやろうと話した。まだまだ足りません!」

 全国の頂に挑むチームの応援席も、上を目指している。

 

 

 

 

 

 

 

 

(15日、第106回全国高校野球選手権石川大会2回戦 石川高専3―1金沢北陵)

 

 チームの好守に両手をあげて喜び、好機を逃せば天を仰いで悔しがる。金沢北陵のエースで4番の越田鉄平投手(3年)は感情を前面に出す。

 主将で5番の宮崎宗知捕手(3年)は冷静な声かけが持ち味。2人は対照的なバッテリーだ。宮崎捕手を高校野球に導いてくれたのは同じ中学出身で別のチームに所属していた越田投手だった。

 宮崎捕手は中学時代に野球をやめていた。高校でも入部するつもりはなかったが、「一緒にやろ」という声かけに背中を押された。

 2年秋からバッテリーを組んだ。明るくひょうきんな越田投手といつもまじめな宮崎捕手。試合前に「いい顔して戦おう」と呼びかけた深見大輔監督の言葉を体現するようにエースは表情を変え、相方の緻密(ちみつ)なリードで被安打5に抑えた。

 2点を追う九回2死二塁で越田投手に打席が回った。「絶対に次の宮崎に回す」。3球連続、全力でバットを振った。いずれも大きな空振り。

 最後に相手捕手が球をこぼすのが見え、一塁に全力疾走し頭から滑り込んだ。しかし判定はアウトで試合終了。審判に促されるまで立ち上がれなかった。

 3年間を「切磋琢磨(せっさたくま)してお互いに高めあえた」と振り返る宮崎捕手。越田選手は「最高のパートナーです」と語った。

 

 

 

 

 

 

 

 

OB戦を前に撮影に応じる元阪神の江夏豊さん(前列左から2人目)、元巨人の王貞治さん(同4人目)ら=15日、東京ドーム

 

 

 

 

 

 

 

 


※一部勝手にコピペ&割愛いたしました🙇💦



※また、敬称を省略させていただきました🙇💦💦

 

 

 

 

 

 

 

 

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