(11日、第106回全国高校野球選手権兵庫大会2回戦 淡路三原2―8姫路工) 

 

 雨のなか、淡路三原の捕手の進藤斗真主将(3年)はマウンドを見つめた。視線の先には「ガッチガチに緊張してる」兄・進藤優人投手(3年)がいた。

 一回に死球を与え、長打を打たれた。すぐさま声をかけに向かった。「いつも通りでいいから」「今できることをやろう」

 2人は三つ子のきょうだいで妹がいる。斗真主将はわがままな性格、優人投手はせっかちな性格だといい、2人とも熱くなりやすいところが似ているという。

 幼稚園の頃から、2人でキャッチボールをしてきた。斗真主将は小学生の頃からずっと捕手、優人投手は外野手だった。

 バッテリーを組むきっかけは高校1年の秋。外野手だった優人投手は、後勇至監督から投手になるよう提案され、登板するようになった。

 当初、球速が100キロほどだったが、ウェートトレーニングなどをして体重を約10キロ増やし、球速は120キロに。昨秋に優人投手はエースになり、2人は本格的にバッテリーを組むようになった。登下校は一緒のことが多く、練習後も2人でジムに通う。自宅では、ほぼ野球の話しかしないという。

 兄弟だからこそ、「ほかの選手に言いにくいことでも、言うことができる」と口をそろえるが、言い過ぎてけんかをすることもある。ただ、優人投手は「自分の思ったサインを出してくれることが多い」と話す。

 2人で挑んだ最後の夏。優人投手は、この日もサインに首を振ることほぼなかった。ただ、四回までに6失点した。チームは四、五回に1点ずつを返したが、及ばなかった。

 試合後、2人は目を赤く腫らしていた。斗真主将は「厳しいことも言ったけど、ついてきてくれてありがとう。バッテリーを組めてよかった」。優人投手は「兄弟でバッテリーを組めたことは、一生忘れない思い出になりました」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(11日、第106回全国高校野球選手権秋田大会2回戦 秋田西1-4秋田修英)

 

 お互いの連係について聞くと、「送球すれば、そこにいて受けてくれますから」と、2人は同じように答えた。

 秋田西の宮腰晃汰二塁手と晃哉遊撃手(ともに3年)は双子の兄弟。小学2年から中学、高校と同チームで二遊間を組んできた。もう呼吸はぴったりだった。

 高校進学は別の学校を考えていたが、「実力テストの合計点もほとんど同じだった」という。結局、そろって秋田西で甲子園を目指すことに。語呂で「ふたご」と読める2月5日生まれ。運命めいたものがあった。

 2人の印象に残るプレーは六回だった。2死二、三塁で中前に抜けるかと思われたゴロ。三塁よりに構えていた晃哉選手が回り込んで追いつき、確実にさばいた。「送球も安定していた」と晃哉選手。晃汰選手も「ピンチだったので大きかった」。ベンチへ戻るとき、2人はグラブを合わせた。

 晃哉選手は三回、中前に同点打と打席でもいいところを見せた。「高校でもがんばれたのは、晃汰のおかげ」「晃哉と一緒で楽しかったです」

 すがすがしい、やりきった感を残してツインズは夏を終えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆JERAセ・リーグ DeNA3X―2中日(11日・横浜)

 中日は、勝利目前の9回に試合を振り出しに戻され、延長戦の末、敗戦。今季4度目のサヨナラ負けを喫した。

 1点リードの9回に通算150セーブに王手をかけた守護神・マルティネスが登板。先頭の梶原を空振り三振、関根を二ゴロに抑えて2死としたが、オースティンに四球を与えると、続く牧に右翼フェンス直撃の同点二塁打を浴びた。

 2―2の延長10回に斎藤が登板するも、先頭の佐野に中堅フェンス直撃の二塁打を許し、投犠打でなおも1死三塁。最後は京田に中前へのサヨナラ打を浴びた。

 チームは今季2度目の同一カード3戦3連敗。4位・広島までのゲーム差は4・5に広がった。立浪監督は「なんとか逃げ切らないといけない試合だった」と肩落としたが、「ライデル(マルティネス)もやられることはある。しょうがない。嫌な負け方だけど、切り替えてやっていくしかない」と責めなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バスケットボール男子Bリーグ1部(B1)の千葉Jは11日、パリ五輪代表の渡辺雄太(29)が加入すると発表した。米プロ協会(NBA)での6シーズン目となった昨季終了後、日本に活動の場を移すと表明していた。背番号は1。五輪後にチームに合流し、8月中にも記者会見を行う。
香川・尽誠学園高を経て、米ジョージ・ワシントン大に進学。2018~19年シーズンにグリズリーズで日本選手史上2人目のNBAプレーヤーとなった。その後はラプターズ、ネッツ、サンズなどでプレーした。
日本代表には高校時代から選出され、19、23年ワールドカップ、21年東京五輪に出場。千葉Jでは、長年にわたって共に代表を支えてきた司令塔の富樫勇樹(30)とチームメートとなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(11日、第106回全国高校野球選手権和歌山大会1回戦 熊野7―4星林)

 試合中、何度も跳ねた。満塁走者を背負った危機で。3点差を追う展開で仲間が同点、勝ち越ししてくれた場面で。最後の打者を打ち取ったところでも、ジャンプして仲間と抱き合った。

 星林打線につかまった。四回は、3安打を浴びたほか野選もあって逆転された。五回も長短打を集められ、一時は突き放された。

 それでもマウンドで笑顔を絶やさず、打ち取るごとにガッツポーズを見せた。「いつもはクレバーだが、周囲を盛り上げようと、あえて普段より大きく動いたのでは」と吉田茂監督。

 今大会から導入されたクーリングタイムも大きかった。太田投手は「気持ちは切らさないようにと、声を掛け合った」。吉田監督は「何も言わなくても、選手たちが話し合っていた」と、成長を感じていた。

 次戦は、昨年智弁和歌山に土を付けた高野山。「僕たちの目標は、監督をかっこよくすること。次もがんばりたい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(11日、第106回全国高校野球選手権青森大会1回戦 青森中央4-7むつ工)

 

 三度目の正直を果たした。青森中央の工藤克海(かつみ)主将(3年)は、達成感をかみしめた。

 中学で2度、野球部をやめた経験がある。1年のときは先輩との関係に悩み、2年で両ひざを痛め、「心が折れた」。

 ほかの部活動もしたが、仲間と白球を追う魅力は忘れられなかった。

 「高校であきらめたら、後悔する」。青森中央で再チャレンジした。

 主将になってからは、積極的に下級生に話しかけ、学年の壁を取り払った。配慮には、中1での経験が生かされている。

 守備では、要の捕手。むつ工との試合で、キラリと光るプレーがあった。七回、内野手の一塁への送球が大きくそれた。だが、捕手の基本ですぐ一塁カバーに入ったため、打者走者が二塁に進むことを防いだ。

 試合には敗れたが、笑顔を輝かせた。「すばらしい仲間と、大好きな野球をまっとうできました。高校で挑戦してよかった。自分に『よく頑張った』と言いたいです」

 中学での挫折を、高校で乗り越えた。その奮闘ぶりは、勝者の名に値するだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

FC東京が13日の新潟戦(午後7時開始)で今季3度目の国立競技場での主催試合を行う。

 改修後の国立で開催された試合は今季も浦和、鹿島から勝利を飾るなど、ここまで7戦無敗(6勝1分け)と無類の強さを誇っており、相性のいいスタジアムでリーグ3戦ぶりの勝利を目指す。

 また、同日は5万人超の来場者を見込んでおり、昨年の川崎戦(国立)で記録した、クラブ史上ホーム最多入場者数となる5万6705人に匹敵する可能性もあるという。

 豪華な演出でもこの一戦を盛り上げる。来場者先着4万人に「AO―AKA LIGHT THE NIGHT supported by きらぼし銀行」ステッカーを配布。このステッカーには青と赤の円形のフィルムが貼られており、スマートフォンのライト部分に張ることで、メンバー紹介や選手入場で国立が暗転した際に、青や赤に光らせてチームを鼓舞することが出来る。

 さらに、試合開始前の午後6時40分頃からは、東京都出身で歌手の木村カエラが特別ゲストで登場し、ピッチレベルメイン側でスペシャルライブを開催する。また、選手紹介や選手入場に合わせてフィールドエリアから青赤の炎と特殊効果花火を使用した演出も実施。7月以降の主催試合は「2024 TOKYO SUMMER NIGHT」と銘打たれているが、その最初の試合で勝利をつかみ、上位浮上へのきっかけとする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(11日、第106回全国高校野球選手権宮崎大会2回戦 延岡商1―4宮崎北)

 

 四回、二遊間にはじき返したゴロは守備範囲の広い遊撃手に捕られた。

 「間に合え」。一塁に頭から滑り込んだ延岡商の寺町真之介選手(2年)は、セーフになると右手を突き上げて喜んだ。大会屈指の好投手、宮崎北のエース塚洸介投手(3年)から、待望の先制点を奪った。

 大量点は期待できないと、1週間以上前から投球の映像を見て、狙い球を「一発で仕留める」意識で素振りしてきた。1打席目は球の伸びが想像以上で邪飛に倒れたが、四回は2死三塁で巡ってきたチャンスだった。「やってきたことが結果に出てうれしかった」

 4番を任されたのは6月から。打つときに体が突っ込む癖に気をつけていると、球が見え出し、打撃の調子が上がった。

 この日守った三塁は、チームを引っ張ってきた茂直樹主将(同)の守備位置。「3年生の思いも背負い、甲子園に行けるよう一球一球にこだわって練習したい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(11日、第106回全国高校野球選手権東東京大会2回戦 雪谷4―5二松学舎大付)

 延長十一回1死二、三塁、二松学舎大付の及川翔伍(2年)は、直球を待っていた。狙い通り来た球を振り抜くと、「よっしゃー」と大きくガッツポーズをした。甲子園出場校同士の2時間20分の熱闘に、終止符が打たれた。

 

 力尽きた雪谷。試合後、グラウンドで泣き崩れる選手がいる中、これまでチームを率いてきた、主将で三塁手の財津佑頼(3年)は平静を保っていた。「都立でも強豪相手にこんな試合ができて、今まで練習したことを証明できた」

 中学時代、クラブチームで軟式野球の全国大会に出場した。甲子園を目指すチームとして選んだのが都立の雪谷だった。

 高いレベルの野球を求めた。新チームが始動した昨夏、主将になると、バントだけを練習する時間を設けた。少ないと感じていた走塁の練習メニューも考え、「次の塁を狙う意識」を浸透させようとした。

 最後の夏の大会。初戦の相手は、二松学舎大付。私学の強豪に挑むのが、都立の役目と意気込んだ。

 11日の試合、雪谷は一時3点リードするなど、財津の思い描いた展開になった。財津は八回にベンチに下がった後も、チームを鼓舞し続けた。

 1点も与えられない九回裏には、伝令としてマウンドに走った。「全校が応援しに来てくれている。攻撃につなげるためにも、まず地に足をつけて守っていこう」。スタンドから大歓声が響く中、そう伝えると、チームメートの表情に笑顔が戻った。

 だが、一歩及ばなかった。試合後の取材、財津は「やっぱり悔しい」。目に、うっすらと涙をにじませていた。=神宮

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(11日、第106回全国高校野球選手権西東京大会2回戦 世田谷学園12―0練馬工科 五回コールド)

 

 世田谷学園の打線は、「低反発バット」の影響を全く感じさせなかった。練馬工科から柵越えの本塁打を3本。8安打のうち7本が長打で、打撃で圧倒した。

 一回裏、3番海老沢遼人(3年)が右翼ポール際に先制の2点本塁打を放つと、三回裏には4番坂本勇希(2年)が右翼席に特大の2点本塁打。さらに四回裏、5番市川翔喜(3年)が左翼席に放り込んだ。

 都内で最多の人口90万人を抱える世田谷区にある同校。専用グラウンドがない野球部は、住宅に囲まれた小さな校庭で練習している。

 成瀬智監督によると、校庭は狭く、外野のネットが近い。守備練習が満足にできないため、打撃に力を注いできた。

 近隣住民への配慮も必要だ。練習ではなるべく大声を出さず、金属バットの音で迷惑をかけないよう、木製バットを使う。

 木製は金属よりも飛びにくい。「芯でとらえる意識がついた」と海老沢。今春から低反発の金属バットが導入されたが、「木製のように芯に当てれば飛ぶ。影響は感じない」と気にしていない。

 成瀬監督も「バットが変わろうが、打って点を取る野球スタイルは変わらない」。都心のハンデを力に変えた強力打線の夏は続く。=府中市民

 

 

 

 

 

 

 

 

 

六回、連打を浴びて2死二、三塁。マウンド上で調布南の松倉修人(3年)は、バックで守る「同僚」たちを信じた。

 

 調布南はチームを会社に見立てて運営している。その名も調布南ベースボールクラブの頭文字から「株式会社CMBC」。松倉は試合中、ベンチ内で「戦略部員」たちが何度も作戦を練っているのを見ていた。「相手が右打者なら内野手は三塁側へ」。5球目、甘めの直球を鋭くはじき返されたが、狙い通り、ライナーは遊撃手のグラブに収まった。

 CMBCは4月、加藤洋章(ひろあき)監督の発案で発足した。「広報」「人事」「戦略」などの各部に仕事を割り振り、部長は3年生が務める。社会とのつながりを生徒に実感してもらいたい――。そんな狙いがあった。

 主将の松倉は、各部を束ねる「本部長」。発足前、「主将でエース」の重圧に悩んでいた。投手陣の練習を見る合間にチーム全体に視線をやると、集中力の欠けた選手が目につく。練習試合でも、相手チームと比べて、動きがどこか指示待ち。投手陣も、チーム全体も「全部見なきゃ」と気負っていた。

 それが、会社制になると、各部が責任を持って行動するようになった。部長を通じて指示もよく通る。すると、試合中の動きも機敏になり、互いの信頼感も増した。

 この日もそうだ。試合前のミーティングで、「社内交流部長」が「スタンドのスポンサー(応援団)に喜んでもらう。これが自分たちの仕事だぞ」とはっぱをかけると、みんなの士気が高まった。戦略部も頼もしい。松倉は安心してマウンドに立てた。

 次戦の相手は、一昨年の選抜大会4強で、今大会もシード校の国学院久我山。松倉は「『大企業』との戦い、まずは戦い抜く」と言った後、笑った。「『下克上』のチャンス。これって会社の名前を知ってもらうには、うってつけですよね」=多摩市一本杉

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(11日、第106回全国高校野球選手権南北海道大会1回戦 函館大有斗6―3苫小牧中央)

 函館大有斗は九回、能戸優雅主将(3年)が貴重な本塁打を放ち、勝利を引き寄せた。「2点差では裏に何があるか分からない。投手を楽にしたかった」。初球を振り抜くと、打球は左翼の芝生席へ飛び込んだ。

 南北海道大会の開会式で、能戸主将は選手宣誓を務めた。せりふには、どうしても入れたい言葉があったという。「甲子園」だ。「仲間たちとさまざまな困難を乗り越えられたのは、小さい頃から憧れた甲子園という場所があったからです」。胸を張り、一言ずつかみ締めるように、宣誓した。

 約6時間後に始まった試合では、三塁打に本塁打と大当たり。三塁手の守備でも、難しいゴロをうまくさばき、最後はライナーを好捕して試合を締めくくった。「宣誓で自分の思いを口に出したことが、良いプレーにつながった」。笑顔で大活躍した一日を振り返った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バスケットボールBリーグ1部(B1)の千葉Jは11日、パリ五輪代表で、米プロNBAで日本人最長の6シーズンプレーした渡辺雄太(29)と2024~25年シーズンの契約で基本合意したと発表した。背番号は1。

 身長206センチの渡辺雄は香川・尽誠学園高卒業後に渡米。18年にNBAデビューし、3点シュートと守備を武器にNBA通算213試合に出場した。23~24年はサンズとグリズリーズに在籍し、4月に24~25年はBリーグでプレーすると表明していた。日本代表では昨夏のW杯でパリ五輪出場権獲得に大きく貢献した。

 千葉Jは20~21年にリーグ優勝した強豪。富樫勇樹が在籍している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「DeNA3-2中日」(11日、横浜スタジアム)

 劇的なサヨナラ勝ち直後のDeNA・戸柱の動きが注目を集めた。2-2の延長十回1死三塁、京田が中前へサヨナラタイムリー。ベンチから飛びだしたナインが京田をもみくちゃにして祝福。遅れて現れた戸柱は氷がたっぷり入ったウオータークーラーの水を京田にぶっかけたが、誰にもかからず未遂に終わった。

 戸柱は9日にオースティンが延長十一回にサヨナラ本塁打を放った際も同様に氷水をかけようとしたが、真上に上がった水が自分にかかってしまう失態を犯していた。

 それだけにこの日はテレビ中継で「戸柱バントはきれいに決めましたが水は空振りです」と実況された。SNSでも「思ったように水が飛ばなかった戸柱草」「バントは決めたけど水は空振りの戸柱w」「水をぶちまけただけかよ」とツッコミが入った。

 もちろん、京田のサヨナラ打の直前に、無死二塁の場面で初球に絶妙な送りバントを投前に転がし、走者を三塁に進めたのは戸柱。「仕事師!!ナイスバント!!!」「仕事きっちり」「めちゃ良きバントやった」「1球で決めましたね」と賛辞の嵐だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

第106回全国高校野球選手権福井大会(県高校野球連盟、朝日新聞社主催)の開会式が11日、福井市のセーレンスタジアム(県営球場)であり、全28校が参加した。試合は13日から同スタジアムと敦賀市総合運動公園野球場で始まる。(鎌内勇樹)

 開会式では28校の選手たちが校名のプラカード、校旗に続いて3列になって堂々と入場行進した。昨夏の福井大会を制した北陸の小矢宙歌主将(3年)が優勝旗を返還した。

 

 県高野連の竹本俊穂会長は「大好きな野球を心から楽しみ、仲間との絆を胸に、高校生らしいはつらつとしたプレーで甲子園を目指し、多くの人に元気と感動を与えてください」とあいさつ。県教育委員会の藤丸伸和教育長は「自分を信じ、仲間を信じ、対戦相手をリスペクトし、支えてくれた皆さんへの感謝を忘れず、ベストを尽くしてください」と呼びかけた。

 朝日新聞の乗京真知・福井総局長は、大会歌の「栄冠は君に輝く」を作詞した加賀大介さんが、けがで右足を切断して野球ができなくなった経緯を紹介し、「皆さんが栄冠を捧げたい『君』は誰ですか。大会を終えた時、胸を張って堂々とありがとうと言おうじゃありませんか。主人公は皆さんです。はつらつと思い切ってプレーしてください」と激励した。

 式では高校野球の発展に尽くした指導者に日本高野連と朝日新聞社が贈る育成功労賞の表彰もあり、竹本会長から金津の斎藤滋監督(57)に表彰状が手渡された。(鎌内勇樹)

■「一番熱い夏に」と宣誓

 選手宣誓は、福井工大福井の笹島夕聖主将(3年)が務めた。「自分の言葉でしっかりと文言を考え、成長した姿をみせたい」と準備し、壇上に立った。

 すっと背筋を伸ばし、「野球ができる感謝の思いを背負い、この大会に参加する全員の思いを一つにして、福井大会を(全国で)一番熱い夏にします。全力で白球を追い、感動と勇気を与えることを誓います」と力強く話すと、スタンドの観客や各校の控え部員らから大きな拍手が送られた。

 開会式の後、笹島主将は「スタンドにいる親やおじいちゃんの顔が不安そうに見えたので、しっかりうまくやろうと気を引き締めた。100点の出来でした」と話した。(鎌内勇樹)

■司会の2人、晴れ舞台をサポート

 開会式の司会は、藤島の黒川葵さんと、奥越明成の石田英美里さんが務めた。はっきりとした発声で、落ち着いて式の進行にあたった。

 2人は希望者から抽選で選ばれた。重責を果たし、黒川さんは「詰まるところを何度も練習してきました。選手たちの晴れ舞台をサポートできてうれしい」と語った。石田さんは「あまり緊張せず、思った通りにできました。よいアナウンスで選手たちがいいスタートを切れるように、1週間前から練習しました」と話した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(11日、第106回全国高校野球選手権石川大会1回戦 翠星1―8金沢北陵)

 「大きいやつ、打ってきます」

 翠星の斎藤海里主将(3年)は朝、そう話して家を出た。

 開幕試合。先攻の1番打者として初回、今大会最初の安打を放った。三回の次打席は2点を追う展開で「どんな球でも打とうと思った」。ストレートを振り抜いて三塁打となり、続く古川煌太選手(1年)の内野安打で本塁を踏んだ。

 ただ、翠星はこの1得点のみ。七回にも内野安打を放って二盗を決め、2死満塁へと好機を広げたが、得点はならずコールド負けが決まった。走って戻りながら「終わったな」と悟った。相手の校歌を聞くうちに、涙があふれた。

 小学2年から続けてきた野球。打ち込むのはきょうで最後のつもりだ。就職活動が待っている。「地道な経験がこれからにつながれば」と話した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(10日、第106回全国高校野球選手権宮崎大会2回戦 小林0―10富島)

 四回表、交代した相手エースに連続で三振をとられ2アウト。「自分の持ち味であるフルスイングをしよう」。打席に立った小林の元宙大(はじめ・そら)主将(3年)は、外の真っすぐの球を反射的に打ち返した。

 

 思ったような打球にはならなかったが、一塁に全力疾走して内野安打に。この日のチーム2本目のヒットで意地を見せた。

 昨秋、新チームの選手は9人。「試合の時は相手チームの人数に圧倒されて、チームに元気が出なかった。自分たちの野球ができないという思いがあった」。冬の間、きついトレーニングでも声を掛け合って、「とくにメンタルを鍛えてきた」という。

 春には新たな部員も加わり、「勝てるチームになった」。迎えた夏はシード校との初戦。「相手がどこだろうと自分たちのプレーをする」と臨んだ。初回に点をとられてもベンチで「ここからだ」と声を掛け合い、守備につくとセンターから「落ち着いていこう」「アウト一つずつとっていこう」と仲間に向かって声を出し続けた。

 三回までに9点の差をつけられながらも、四回は気持ちを切り替え無得点に抑え、最後までしっかり守る自分たちのプレーができたと振り返った。チームとともに、「自分自身も主将をやらせてもらって選手として、人間として成長できた」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(10日、全国高校野球選手権兵庫大会2回戦 東播磨5―2夢野台)

 

 夢野台の城戸柾輝捕手(3年)は、捕手としては珍しい左投げだ。

 一回から塁上の走者にプレッシャーをかけた。

 無死一塁、打者はバントの構えを見せたが、低めに外れ、ボール。一塁走者が飛び出しているのを見て、「行ける」と一塁に素早く送球してタッチアウトにした。練習で繰り返してきたプレーだ。

 一回は、2死一塁からの二盗も二塁送球で刺した。四回と五回にも二盗を阻止した。

 相手は2021年春の選抜大会に出場し、足を絡めた野球で知られるシード校の東播磨。甲子園の映像をユーチューブで研究し、準備をしていた。

 本塁から一塁への送球は、右投げよりも投げる際に支点となる右肩(右投げの場合は左肩)を一塁方向に向けやすいため、素早くできる。

 反対に、三塁送球は右投げより遅れる。さらに「左投げの捕手」が少ない理由には、走者へのタッチが左手にミットをはめている右投げよりも遅れてしまうというのがある。

 四回は二盗を防いだ一方で、三盗を許した。そのあとの味方の失策で勝ち越し点を与え、試合は後手に回ってしまった。

 試合は負けた。ただ、城戸捕手は「不便なこともあったが、(左投げで)良いところもあった。(左投げ捕手は)可能性としてはできると思う」と話した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中日が痛恨の逆転負けを喫した。1点リードの九回。守護神マルティネスが2死からつかまり同点とされると、延長十回に斎藤が打たれてサヨナラ負け。立浪監督は「ライデル(マルティネス)もやられることはある。それはしょうがない」と語った。
悔やんだのは攻撃陣について。1点を追う四回に2得点して試合をひっくり返したが、その後は好機をつくりながらも追加点を挙げられなかった。「やっぱり最後、こういうゲームになってしまった。嫌な負け方だが、切り替えていくしかない」と前を見据えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(11日、第106回全国高校野球選手権千葉大会2回戦、木更津高専3―4大網・大原・九十九里・茂原樟陽=延長10回タイブレーク)

 

 息詰まる展開が続いた。

 試合が終盤にさしかかると雨雲が球場を覆う。

 緊迫した試合が続く中、八回裏に木更津高専のエース福原夏輝(3年)は2死満塁で押し出しの四球を与えた。「気持ちが先走った。自分の心の弱さが出た。仲間に申し訳ない」

 「逆転するぞ」。ベンチに戻ると、表情が暗い福原を励ます仲間の姿があった。九回表、2死から佐藤孝輔(3年)が三遊間を破る安打で出塁した。

 仲間の諦めない姿に福原も奮起。両手を挙げてチームを鼓舞した。

 その後、失策や盗塁で二、三塁となり、暴投で同点に。福原はベンチを飛び出し、生還した佐藤と抱き合った。「ラッキーではあったけど仲間の全力プレーの結果だと思う」

 なおも三塁の好機だったが、雨脚が強くなり、フルカウントで試合が30分間中断した。再開後に追加点は入らず、勝ち越しはならなかった。

 試合は延長十回タイブレークに突入した。十回表に1点を取って、臨んだマウンド。「全て三振にとってやる」と意気込むも、連打を浴びて逆転負けを喫した。その場でひざをつき、肩を落とした。「何も考えられなかった」

 出だしは好調で、七回まで1失点の好投を続けた。しかし、最後は体力切れで制球が定まらなかった。

 それでも、今大会初のタイブレークで、接戦を演じた。

 「みんなでつないで、励まし合って、良い試合はできたと思う。最高の仲間をもった」。晴れやかな表情でそう話した。=県

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(11日、第106回全国高校野球選手権南北海道大会1回戦 立命館慶祥11―0苫小牧工)

 遊撃手の守備位置につくと、帽子を取り、グラウンドに向かって深々と一礼する。苫小牧工の泉田豪生主将(3年)が、昨夏から始めたお決まりのしぐさだ。毎試合、毎回、必ず、する。

 「エラーが多かったので、基本を見直そうと思って」。野球ができることへの感謝と、良いプレーができるようにという願い。「躍動させてくれ」と祈る。一球への集中力が増したのか、エラーは減ったという。

 この日の試合、一回、二回と飛んできたゴロを、堅実にさばいた。だが、チームは三回、大量点を失い、その後も流れを取り戻せなかった。「束になって襲いかかる力で、相手がまさっていた」

 10年ぶりの南大会出場で、初戦突破はならなかった。「この壁は後輩たちに破ってほしい」。遊撃手の後輩には、あの「おまじない」も引き継ぐつもりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

(11日、第106回全国高校野球選手権埼玉大会1回戦 羽生実・羽生一・児玉・深谷0-11所沢商)

 

 埼玉大会の開幕試合は、「プレー!」という力強い声で始まった。

 バックスクリーンを指さしながら、力強いかけ声が球場に響かせたのは、球審の森田真紀さん(47)。現在の県内の高校野球では唯一の女性審判で、夏の大会の開幕試合で女性が球審をするのは初めてだ。

 森田さんは、さいたま市岩槻区の公立中学で保健体育の教諭をしている。父が会社の野球部の監督、母がソフトボールの審判という野球一家で育った。「ボールはいつもその辺に転がっていて、遊びと言えば野球でした」。

 ただ、女子が野球をできる環境がなかったことから、中高はソフトボール、大学では軟式野球に打ち込んだ。

 審判デビューは約20年前。初めて勤務した高校で硬式野球部の練習を手伝うなかで、チームの役に立ちたいと始めた。産休や育休も経験しながら、高野連の審判部に支えられて続けてきた。「グラウンドに立って、あの場所でしか作れない緊迫感を一緒に作り出せることに幸せを感じます」と話す。

 試合後、「緊張しました。女の子が見ていて格好いい、野球を続けるとこんな道につながるんだよというのを示したいと思ってやりました」と振り返った。

 夢はいつか甲子園で審判をすることだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(11日、第106回全国高校野球選手権佐賀大会2回戦 神埼5―0唐津工)

 

 八回裏1死。これが最後の打席かもしれない。唐津工の1番川崎琉良(るい)主将(3年)の頭に、そんな思いがよぎる。

 相手エースの横手投げから繰り出される最速でも120キロ前後のボールを打ちあぐね、ここまでチームの安打は5番中山航成選手(2年)の二塁打だけ。

 出塁率の高さを買われ、昨夏の3番から1番に打順が変わった。塁に出ることが期待されているのは分かっていた。

 「内を捨てて外の球を狙え」。チーム全体への監督の指示はこうだったが、球を選ぶとかえって打てないたちだ。「とにかくストライクゾーンに甘く入れば打つ」とバットを構えた。三回には相手中堅手の好守備に阻まれセンターフライになったが、打てるという手応えも感じていた。

 初球を振り抜くと、打球は中堅手の手前に落ちた。一塁でガッツポーズも笑顔も見せず、打席を見つめた。「つないでほしい」と祈った。だが、これがチーム最後の出塁になった。

 昨夏もレギュラーの三塁手として活躍。秋の新チームから主将を担う。この日はエースがけがで出場できず、序盤から失点が続いた。チームにあせりが生まれ、失策や走塁ミスも出た。

 それでも、最後までチームを鼓舞し続けた。長打を打たれた後に自らタイムを取ってマウンドに歩み寄り、「やるだけやってこい」と投手を励ました。チームは持てる力を出し切れず完封負けしたが、「主将の務めは全うできた」と思う。

 試合後、野球部の一人ひとりの肩を抱き、背中をたたいて、「ありがとう」と言った。自分と同じようにレギュラーで試合に出た後輩もいる。「来年は絶対やってくれると思うので、よろしくお願いします」と、保護者らに頭を下げた。

 野球は兄と一緒に、少年野球の監督を務める父伸宏さん(49)から教わった。主将になったときは「大丈夫か」と心配されたという。応援にかけつけた伸宏さんは試合後、「主将として100点。自慢の息子です」と涙ぐんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バスケットボールのB1、千葉ジェッツは11日、渡邊雄太選手とB.LEAGUE2024-25シーズンの選手契約が基本合意に至ったと発表しました。

渡邊選手は、2013年に尽誠学園を卒業後、セントトーマスモアスクールを経て、NCAA1部のジョージ・ワシントン大学(アメリカ)へ進学。同校を卒業後、2018年にはNBAグリズリーズと契約し、日本人2人目のNBAプレーヤーとしてコートへ立ちました。

その後、NBAで6シーズンにわたり4チームでプレー。新シーズンからは、日本への帰国とBリーグでプレーすることを表明していました。

千葉ジェッツは、現在、日本代表の富樫勇樹選手などが所属していて、新シーズンからチームメートとなります。なお、背番号は『1』に決まっています。

渡邊選手は自身のSNSを更新。「また新たなプロバスケ人生を日本で一からスタートすると言う事で、背番号は『1』にしました。新しい環境での旅の始まりに本当にワクワクしています!」と投稿しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パリ五輪後の8月記者会見へ

米プロバスケットボール(NBA)で2023-24年シーズンまでプレーした日本代表・渡邊雄太が11日、来季はBリーグの千葉ジェッツでプレーするとクラブが正式発表した。自身のインスタグラムでも契約を報告。背番号は1となる。パリ五輪後の8月に記者会見を実施する予定。

渡邊はインスタグラムで「この度千葉ジェッツと契約させていただきました。また新たなプロバスケ人生を日本で一からスタートすると言う事で、背番号は『1』にしました。新しい環境での旅の始まりに本当にワクワクしています! 今後も応援よろしくお願いします!」と投稿。背番号を選んだ理由を明かした。

クラブ公式サイトでも「2024-25シーズンの選手契約が基本合意に至りましたのでお知らせいたします」などと発表され、加入の経緯やコメント等については8月中の記者会見で明かされるとしている。

29歳の渡邊は日本人最長となる6季、NBAでプレー。23-24年シーズンは2年契約を結んだサンズで開幕。ネッツ時代に同僚だったスター、ケビン・デュラントとの共闘が期待されたが、出場機会を増やせなかった。2月にはトレードでグリズリーズに移籍。3月に負傷離脱して以降は22試合連続で欠場したままシーズンを終えていた。

4月20日にはインスタグラムで生配信を行い、「メンタル的なこと」もあり休養していたことを明かすとともに、24-25年シーズンはBリーグでプレーすることも明言。移籍先が大注目されていた。

5月16日に登壇した日本代表の新ユニホーム発表会では「NBAではなかなかプレータイムがもらえなかったので、単純にバスケがしたくてウズウズしている。ようやくバスケができるんだ、という気持ち」と正直な思いを明かしていた。今夏のパリ五輪代表にも選出されており、左ふくらはぎの肉離れからも順調に回復中。まずは史上初のベスト8を目指す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

プロバスケットボール男子、B1リーグの千葉ジェッツは11日、NBAで日本人最長6シーズンを戦った渡辺雄太と契約で基本合意したと発表した。地元の香川・尽誠学園高卒業後、海を渡った渡辺にとって初のBリーグ参戦となる。開幕カードは10月5日の宇都宮戦で、会場は新たな本拠地となる「ららアリーナ東京ベイ」。

 渡辺は2023~24年シーズンをNBAのグリズリーズで終えた。4月にインスタグラムでライブ配信を行い、「来季からは日本に帰ってプレーをさせていただきます」と表明。NBAでは、キャンプ契約や、無保証など“崖っぷち”から何度もはい上がり、通算213試合に出場。「20代の間は絶対逃げないと決めていた。1ミリも後悔はない」と晴れやかに語り「バスケがとにかくしたい」と語っていた。

 帰国後の会見では、Bリーグでのプレーについて「僕を本気で欲してくれるチームに全力を注ぎたい」とし、「次、決めたチームで引退するくらいまでやりたいと思っている。(再び)アメリカ挑戦や、他の国でもとは考えていない。次契約するチームと、そこで長くプレーできたら」と話していた。

 Bリーグのオフ期間には、獲得オファーを明言したクラブもあれば、一切公表しなかったクラブも。“争奪戦”が繰り広げられた。

 ◆渡辺 雄太(わたなべ・ゆうた)1994年10月13日、香川県出身。29歳。小1からバスケを始め、米ジョージ・ワシントン大卒業後の18年7月、グリズリーズとツーウェー契約し、同年10月に日本人2人目のNBAデビュー。20年ラプターズとツーウェー契約、21年4月には本契約。22~23年はネッツ、23年からはサンズ、途中でグリズリーズに移籍。21年東京五輪代表。22年に久慈暁子アナウンサーと結婚。206センチ。98キロ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バスケットボールBリーグ1部の千葉Jは11日、パリ五輪代表で、米プロNBAで日本人最長の6シーズンプレーした渡辺雄太(29)と2024~25年シーズンの契約で基本合意したと発表した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第106回全国高校野球選手権石川大会(朝日新聞社、石川県高校野球連盟主催)が11日、幕を開けた。県立野球場での開会式には44チーム(44校)が参加。グラウンドや野球道具も奪った能登半島地震を経て集った選手たちが、手拍子にあわせて力強く行進した。

 

 午前10時、雨上がりの球場に遊学館吹奏楽部のファンファーレが鳴り響く。昨夏の優勝校・星稜を先頭に選手らが入場行進した。

 元日の地震で特に大きな被害を受けた奥能登地域のチームが入場すると、ひときわあたたかな拍手が送られた。

 国歌と大会歌を独唱したのは遊学館合唱部の中沢心音さん(3年)。熱戦を控える球場を、透き通った歌声で包んだ。3連覇がかかる星稜の芦硲(あしさこ)晃太主将(3年)が優勝旗を返還した。

 開会にあたり、県高野連の居村吉記会長は能登半島地震に触れた。「被災された方々に思いを致さずにはいられません。多くの方からご支援をいただいた。今こそ、思い切り野球をやりましょう」とあいさつ。朝日新聞の津川章久金沢総局長も「全国の皆さんが応援してくれています。堂々と前を向いてプレーしてください」と述べた。

 力強い声で司会を務めたのは鹿西の北川由奈さん(3年)と能登の佐藤来未さん(3年)。北川さんは「今年は地震があったけれど元気な姿でやってほしい」との思いだったという。自宅が被災し、避難生活を送ったという佐藤さんは「みんな全力でプレーできたらいいな」と語った。

 決勝は、日程が順調に進めば27日に県立である。入場料は大人800円、高校生100円、中学生以下は無料。(小崎瑶太)

■感謝の思いで選手宣誓

 野球ができること、この場所に立っていることに、感動しています――。七尾東雲の高山昴主将(3年)の選手宣誓はそんな言葉で始まった。

 「能登半島地震が発災し、多くの尊い命が奪われました。当たり前の生活が送れず、余震の恐怖にひたすら耐える日々が続きました」

 七尾市の自宅も断水。水の確保にも奔走した。

 チームでただ一人の3年生。宣誓は、下級生からキーワードを出してもらった。「被災したみなさんに希望を与えられたら」との思いを込めた。

 支援への感謝を述べ「全力プレーを通して全国の皆様に、勇気と希望を届けることをここに誓います」。(小崎瑶太)

■エースナンバーで始球式

 石川大会開幕試合の始球式。石川県珠洲市にある飯田のマネジャー南芽依さん(3年)は、エースに借りた背番号1のユニホーム姿でマウンドに上がった。外角低めに直球を投げ込むと大きな拍手に包まれた。

 元日の地震で輪島市町野町の自宅も被災し、祖父母とともに神奈川県の親戚宅に避難。徐々に活動を再開した野球部の練習にも加われず、「マネジャーとして選手の近くで仕事ができないことがつらかった」。

 リモートで授業を受けたが、放課後になると「(みんなは)これから部活をやるんだな」と歯がゆかった。

 3月、仙台育英(宮城)に招かれて練習に訪れたチームと地震後初めて合流。4月の始業とともに飯田に戻り、ひび割れたグラウンドで選手をサポートしてきた。

 始球式には、責任教師から紹介されて応募した。小学生のころに地元のクラブの監督だった父の壱朗さんに誘われ、野球経験もある。この日の一球に向け、珠洲市内の体育館で練習したという。

 「この場で野球ができること、普通の生活が送れるのは周りの支援のおかげ。感謝の気持ちを込めた」と南さん。投球は「100点中90点」と顔をほころばせ、最後の夏を「全力で楽しみたい」と話した。

 

 

 

 

 

 

 

 

(11日、第106回全国高校野球選手権新潟大会2回戦 万代0―11新潟江南)

 

 「バックを信頼して落ち着いて投げろ」

 一回裏、いきなり1死満塁のピンチ。万代の主将由藤彰人(3年)は三塁からマウンドに駆け寄り、先発の佐藤碧(あお)(1年)に声をかけた。

 佐藤は次打者を三振にとる。その次こそ四球で押し出しを許したが、最少失点で切り抜けた。新潟江南は6月の練習試合でたった1点差で負けた相手。追い上げは可能だった。

 だが、佐藤は二回も捕まる。死球後に3連打されて追加点を許し、降板。試合後半から登板するはずだった由藤が急きょ継投することになった。

 肩をつくっていなかった由藤も捕まった。四死球などで4点を奪われ、試合を決定づけられた。

 入学してからずっと部員不足だった。試合には他校と組んだ連合チームで参加した。

 それが今春、佐藤ら1年生が10人入部。「新しい時代を創(つく)る」をスローガンに掲げ、副主将の早川勇生(3年)と久々の「大所帯」をまとめた。

 新潟大会は3年ぶりに単独で出場する公式戦だったが、目標の8強は遠かった。

 ただ後輩たちは来夏も単独で出場できそうだ。「後輩には万代野球部の歴史を作ってほしい」。すがすがしい笑顔で由藤は言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

(11日、第106回全国高校野球選手権南北海道大会1回戦 立命館慶祥11―0苫小牧工)

 

 立命館慶祥には札幌円山の夏をひときわにぎわせる1年生部員6人がいる。野球部員で結成された応援団、通称「Y団」だ。

 「Y団」あがりの佐藤仙一選手(2年)が公式戦初先発で、3打数2安打1打点と活躍した。

 165センチの小柄な体で、周囲からの愛されキャラ。1年の頃、「Y団」で球場を沸かせた。今春は「Y団」の指導役を任された。

 「気迫のこもったプレーは3年生もみな認めている。見ていて気持ちがいいくらい『気持ち』をみせる選手」(滝本圭史監督)。相手右腕に対して、左打者の佐藤選手を起用した。

 「経験はないが、気持ちは負けていない。絶対結果は出せる」そう信じて打席に向かった。打撃は冬の間、YouTubeでプロ選手の打ち方を研究し、強化。飛距離も伸びていた。

 「次は土日で観客も多いと思うが、恥ずかしがらずに全力で跳んで応援して欲しい」

 Y団の大峠広人・学年団長(1年)も「春一緒にスタンドで応援していた人が活躍するのはうれしい。みんな全力で応援したつもりだが、仙一さんの応援には誰よりも気持ちを込めてしまった」とはにかんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

DeNAがサヨナラ勝ちで3連勝とし、2位に浮上した。1―2の九回2死一塁で牧の適時二塁打で同点。延長十回1死三塁で京田が決勝の中前打を放った。5番手の森原が2勝目。中日は3連敗。九回にマルティネスが追い付かれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

DeNA3―2中日(セ・リーグ=11日)――DeNAが逆転勝ちで同一カード3連勝。九回、牧の適時二塁打で追いつき、延長十回に京田がサヨナラ打。中日は、四回の高橋周の同点打も報われなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

○ DeNA 3x - 2 中日 ●
<14回戦・横浜>

 11日に放送された『ニッポン放送ショウアップナイター DeNA-中日』で解説を務めた谷繁元信氏が、DeNAの守護神・森原康平について言及した。

 DeNAは1-2の9回に牧秀悟の適時打で同点に追いつき、10回から登板した森原が中日打線をわずか8球、3人で片付けた。その裏、先頭の佐野恵太が二塁打で出塁すると、戸柱恭孝が送って、京田陽太がサヨナラ打を放った。

 谷繁氏は「森原がきっちり抑えたことも、9回裏に追いついた流れを繋げたことだと思うんですよね」と森原の投球を評価した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(11日、第106回全国高校野球選手権新潟大会2回戦 上越総合技術2―5長岡大手)

 上越総合技術の背番号20、小川陸(1年)は三回1死一塁、5点差を付けられた状態で救援登板した。「緊張したけど、やるしかないと思った」。3年生捕手阿部圭吾のリードに従い、追加点を許さず、四回は1人の走者も出さなかった。

 五回は無死三塁のピンチに立ったが、続く3人をいずれも外野フライに打ち取り、自分の役割を終えた。「物おじせずに、やるべきことをしっかりできる」と高沢亮太監督。

 現在の身長は160センチ。「体がまだ育っていないので、たくさん食べて、コースをしっかり投げ分けられるピッチャーになりたい」。はっきりした口調で話した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


※一部勝手にコピペ&割愛いたしました🙇💦



※また、敬称を省略させていただきました🙇💦💦