医療の進歩に感謝。

 

 

白内障の手術を受けた。

当主は本年還暦を迎えるとはいえ一応現時点で59歳なので、白内障の発症は年齢的に早いほうだそうだ。

かかりつけの眼科医は、白内障にも若ハゲ……もとい、若白髪…みたいなもんがありますと事もなげにいう。

 

当主の多々ある弱点の中でも、ひときわ災禍が集中するのが『眼』である。

 

小学校2年生の時分には、すでにメガネを要していた。中学に上がる頃にはレンズがかなり分厚くなっていたから、おそらく、その時点で視力は0.1を下回っていたと思われる。また、老人病として知られる『飛蚊症(ひぶんしょう)』の症状もすでに顕れていた。

 

高校に進学してコンタクトレンズを装着するようになると、その快適さから自分が強度近視であることを意識しなくなり時は流れたが、2007年の新潟県中越沖地震のTV報道を機に災害弱者となる危機感が膨張し、間髪入れずレーシック手術に挑んだ。

 

この時すでに43歳。

 

 

 

 

ご存知のとおりレーシック手術とは、眼球表面の角膜をレーザー照射で削り屈折率を調整することで視力を回復させる術式である。

自由診療のため費用は100%自己負担だ。

 

その費用については当時から玉石混交で、技術面を含めてクリニック選びは実に悩ましかった。

当主は、いろいろと調べた上、「実績豊富」と謳われている札幌駅北口の『錦◯眼科』で施術を受けた。たしか、院長執刀の場合両眼で45万円ほどだったかと記憶しているが、先ほど同院のサイトをチェックしたら、「30万円 → 18万円」と大幅にディスカウントされていた。競争の激化ゆえか。

ただし、院長執刀によるプラス10万円は変わらないようだ。

 

ここでは同院の評価は避けるが、正直、脳みその一部である眼をイジるにしてはなんともお手軽というか、まあ、実にそっけない施設環境だったというのが率直な感想である。

 

当日、同じ時間帯に手術を受けた患者はゆうに10名を超えていたと思う。クリニックの待合のパイプ椅子に全員集合で座らされ、たぶん瞳孔を開く薬剤を順次点眼されてひたすら自分の順番を待つ。

手術室によばれるとリクライニング式の台上で横にされ、あとはマシンがプログラムされたとおりにレーザーを照射する。レーザーが照射されると、ジ…ジ…ジ…というイヤな音とともにタンパク質の焦げる匂いが漂う。

 

すでに15年以上前の話で記憶が定かではないが、両眼の手術に要した時間はせいぜい15分程度ではなかっただろうか。

…とはいえ、目ん玉をいじられるというのはたいへんに恐ろしく、いまこの瞬間大地震に見舞われたらどうしよう…などと、つい、しょうもないことを考えてしまう。

 

手術が終わると、手術前に待機していた待合とは別の通路のようなスペースのパイプ椅子に座るよう指示され、しかるのち簡単な診察を受け、その日はそのまま帰宅だ。1週間程度、透明なプラスチック製のゴーグル着用を指導される。

 

 

 

 

…とまあ、このような具合に、レーシック手術は患者にとっては超一大イベントだが、クリニック側からすれば完全な流れ作業で、1ロット単価45万円×10人を一日3回転させるとすると一日あたりの売上は少なくとも1,350万円で月商はおよそ2億7,000万円、年商は32億4,000万円……などと、下衆な皮算用もしたくなるというものだ。

 

どこで手術を受けるかは別として、当主はレーシック手術を決断してよかったと思っている。

ただ、視力は劇的に回復したものの、コンタクト矯正と比べると両眼の見え方に差異が生じ、どうも動体視力が低下したように感じた。実際、テニスプレイ中の違和感は、最後にコートに立った日まで改善することはなかった。

 

また、レーシック手術から13年ほど経過した一昨年あたりから、突如視力が低下しはじめた。とくに薄暗いところでの見えづらさが顕著で、大型ホームセンターで商品を探すのが難儀に感じるようになった。

 

 

 

 

やむを得ずメガネを新調して凌いでいたのだが、後に眼科を受診して判明したのがレーシック手術後の「視力の戻り」だ。

術後15年も経つと、視力が再低下する例が珍しくないという。

そんなこと、手術の際に説明されただろうか。もしくは、当時はまだそのような症例は報告されていなかったのか。

 

いずれにせよ、レーシックの予後には賞味期限があることを認識したほうがよさそうだ。

まあ、それを差し引いたとしても強度近視経験者にとって裸眼で自立できるというのは大きな安心材料であり、大災害が頻発する昨今、着の身着のままでも避難できる備えは講じておきたいものだ。

 

眼科の受診で思いがけなかったのは、軽度の緑内障の発症を宣告されたことだ。

緑内障は、視神経の障害により視野が狭くなり、最終的には失明してしまうというコワイ病気である。

特に強度近視のヒトは、緑内障に罹患しやすいということだ。

幸い、早期発見の場合、眼圧を下げる点眼液によって進行を抑えることができ、実際、ここ1年、症状は悪化をみていない。

 

緑内障は進行中でも自覚症状がほとんどなく、気付いたときには処置なしになることが多いそうなので、40歳を超えたら1年に1回は眼科を受診するのが無難だ。

 

 

 

 

…、で、やっと白内障の話である。

緑内障罹患の宣告と同時に白内障も指摘された。当主の眼はまさに袋叩き状態だ。

 

当初、かかりつけ医からは「この程度の白内障なら手術のリスクのほうが高い」と説明され、とりあえず様子をみることになった。

とはいうものの、視界は悪化する一方で、これはレーシック後の視力戻りと持病の飛蚊症のハイブリッドに、さらに白内障が拍車をかけているのではと考え、相談の上、手術を決定したものである。

 

同クリニックには手術の設備がないため、手術可能な施設を紹介してもらうことになった。

紹介状を手に赴いたのは、残念な観光地で有名な『札幌市時計台』にほど近い、『時計◯記念病院』である。

 

同院サイトを調べたところ、1986年に循環器系の病院としてスタートしているようで、施設はそれなりに老朽化しており、さらに過密状態の都心部でウルトラC的に施設を拡充したせいか、診察から病棟、さらに手術室へと移動するためには、その都度エレベータで上下したり渡り廊下を渡ったりしなければならない。もっとも、数年後には今後開発される札幌駅東口に移転するらしい。

 

移転後に手術を受けたかった。

 

 

 

 

同院の特徴は、手術待ちの期間が短いということのようだ。

実際のところ、かかりつけ医の紹介状を手にしたのが昨年の10月末、同院の初診が同11月末、手術が本年1月末だから、決断から手術完了まで3ヶ月間ほどで済んだわけだ。聞くところによると、手術まで半年以上待たされる場合もあるという。

 

こういうややこしいことは、早く済ますに越したことはない。

 

両眼の手術にあたり、基本は入院だが、日帰りという選択肢もあった。

入院の場合は完了まで4日間(3泊4日)、一方、日帰りは片眼の術後より1週間のインターバルを設定するので、のべ8日間を要する。

カラダは健康なのに、入院中はワインも飲めず、さらに病衣着用で4日間も幽閉されたら間違いなく体調を崩すと思われたため、ここは躊躇なく『日帰り』を選択した。

 

手術当日、病院に赴くと、まずは病室に案内された。

白内障の手術患者専用に用意された病室らしく、同室のおじいちゃんもすこぶる元気で、病室特有の重たい空気がなかったのは救いだ。

ここで病衣に着替えて横になっていると、定期的に看護師さんが現れ、複数種類の点眼液をさして去ってゆく。やがてクスリの効果で瞳孔が開かれ、視界がぼやけてきたので、読書はあきらめて、おじいちゃんの間断なく続く独り言と大音量の『暴れん坊将軍』を子守唄に、ひたすら寝て待つ。

 

待機すること3時間半。

いよいよお呼びがかかり、看護師さんに付き添われてエレベータで昇ったり降りたりしながら手術室へと向かう。

消毒区域に入ると、付き添いの看護師さんから手術室の看護師さんへと身柄が引き渡され、パイプ椅子で待機されられる。それを待っていたかのように、手術を終えたばかりの患者がごつい眼帯をして手術室から出てきた。

 

…やはりここでも流れ作業の様相を呈している。

 

 

 

 

手術室内の段取りは、きわめて事務的に進行した。

ただ、レーシックのときとは違い、眼球は入念に洗われ、手術部位周辺を広範囲に消毒され、さらに眼の部分のみ穴が穿たれたカバーが顔にかけられた。これだけで「おれは手術を受けるのだ」という緊張感が増す。

 

しかし、そんな複雑な気持ちをよそに、執刀医の自己紹介すらないまま、手術は唐突に開始された。

 

所要時間はおよそ30分。レーシックよりもだいぶ長い。

術中に痛みはないのだが、かなり眼球をいじり回されるので、激しい違和感はある。

医療機械の作動音、眼球内部のなにかを削っているような感覚、執刀医の指示らしき発言、さらには助手さんか誰かの談笑する声も聞こえてくる。

 

とにかく早く無事に終わってほしい。

 

永遠にもかんじる30分間を経て、ごつい眼帯を装着されて手術室を後にすると、

通路にはすでに次の患者がパイプ椅子に所在なく座っていた。

やはり流れ作業であったか…。

 

術後はまた病棟に戻り、容態の経過観察をかねて1時間ほどベッドで安静を求められる。

きっちり1時間後にはお会計を済ませて帰宅となり、その日の検診などはない。

 

実にあっけない。

 

手術後は翌日の検診まで眼帯着用で顔を洗うことさえも禁じられているが、食事制限は特にない。

片目のままではTVを観るのも億劫だったので、ワインをがばがば飲んで早々に寝てしまった。

 

 

 

 

翌日は朝イチから検診。

受診票を手に隻眼で心細いまま検査室に入ると、測定機器(オートレフラクトメータ)の前に座らされ、看護師さんにの手により眼帯があっさりと取り去られた。

正直、なんらかの瑕疵により「目を開けたら真っ暗」みたいなことも想像して怯えていたので、ふつーに視野が開けたのには大いに安堵した。

 

視力測定の結果は1.2。

なにより、水晶体の白濁によりうすらぼんやりしていた視界が、うそのようにクリアになった。

いやはや、医療の進歩に感謝である。

 

 

…というわけで、なにやら手術レポートのようになってしまったが、予定通り1週間後にはもう片方の目ん玉もいじり回され、白内障手術は無事に終了した。

ちなみに、かかった費用は、前後の検査も含めて両眼で10万円(3割負担)に満たない程度だった。

 

ところが、術後1週間ほど経過したころからなにやら視界に薄膜が張ったように見づらくなってしまった。

すわ、手術失敗で再手術か。

 

…とアセったが、緑内障の罹患者が白内障の手術を受けた場合、眼圧が異常に高くなる例があるとかで、当主の場合は眼圧上昇により角膜に軽い炎症が出て一時的に見づらくなっているとのこと。

眼圧を大きく下げる点眼液を処方してもらい、その後快復した。

 

…というか、カルテを共有してるんだから、緑内障患者の術後ケーススタディをちゃんと説明してほしかった。

一時はマジで絶望したのだからして。

 

 

 

 

そんなこんなで、白内障の1件は落着した。

いまのところ、持病の飛蚊症を除いては視界良好で、実に快適な日々を過ごしている。

やはり、裸眼で生活できるって素晴らしい

 

これで飛蚊症の手術も簡便にできるようになればさらにハッピーなのだろうが、残念ながら当主の存命中にそれが実現することはないのだろうな…なんて思いつつ、このところの暖気にしぼんできた雪山と、青空に映える白樺の森を、裸眼で眺めて悦に入る今日このごろなのである。