両院議員総会まで開いて石破氏に「首相ヤメロ」、「敗戦の責任を取れ」とやっているのは自民党だが、実を言うと石破氏の続投は既定の方針で、総会云々はいわば禊(みそぎ)で、自民党議員は8月以降の政権に対しては存在感を誇示、恩を売っているだけではないだろうか。この期に及んでも次期リーダーの姿形さえ見えない様子を見るに、そう思う。

※ 80年談話が踏み絵になっているように見える。石破氏が首相の座に固執する人物なら、談話の取り止めとトレードオフで続投することを考えるだろう。それに実際に辞められると自民党も困るのではないか?

 私としては石破氏には別に辞めてもらってよく、麻生太郎(84歳)が次をやりたければやればよいだろう。就任する時にはご高齢あるいは半病人で、辞める時には病人か半死人、あるいは死人と決まっているからだ。麻生氏、あるいは茂木氏も国葬の前渡しということで生前葬も済ませてから首相就任すれば?



 そんな話はさておき、立民の小川氏の本については3分の2まで読了した。前は読んでいなかったので、「特に感銘を受けなかった」と通り一遍の回答しかしなかったが、ある程度読み進むと、10年前の本とはいえ、どうも「参謀タイプ」の人ではないようだ。政治家としてはエマニュエル・マクロンに近いものがある。

 

 

 


 全部は読んでいないので批評は差し控える。それに本が書かれた2015年とはコロナやウクライナ・ガザ戦争、AIの普及と世界も大きく変わった。なお、外国人問題に対する氏の主張は現在の主流派の意見とは真逆のものである。

 ただ、本でも触れられていた職能や収入の二極分化については、特に社会的孤立の問題については提案がないこともない。氏は終身雇用制や厳格な解雇法理などこれまで日本社会を成り立たせてきた要素に原因を求める傾向があり、それは私も同意だが、いつまで経っても政権の足掛かりさえ築けない立民と同じく、問題提起が正しくても、原因を伝統的要素に押し付けすぎている嫌いがある。

 なぜ社会的孤立かというと、この問題は実は日本など先進国より発展途上国の方でより顕著なことがある。理由は農村社会の影響を強く残した多産と都市化による社会の歪み、貧困や教育の不足、それによる育児放棄やネグレクトなどだが、途上国では孤立は労働力人口の2~3割に達する。

 北欧など人口が少なくても高い生産性を挙げている国がセーフティーネットと職能の再教育に熱心で、それで大学では造船工学を専攻した労働者も生涯のうちにITや金融、漁業など様々な職種を渡り歩き、それが可能な制度設計になっていることは氏も指摘しているが、孤立の原因が社会的機会と教育機会の不足という点では、現在の我が国とこれら途上国とでは原因も結果も一致していることがある。

 これが何を意味するかというと、従来、我が国の問題として捉えられてきた問題のいくつかについては、特に他国と原因と結果を同じくするものについては、我が国だけで対処しなくても良いということである。これでだいぶ気が楽になる。

 情報をスマホに頼る途上国の窮民と、参政党やNHKなどネットグルに唆されて政治不安要因を作り出す非正規の氷河期世代とは、いる場所が違うだけで、情報の受け取り方も行動も似ていないこともない。ヒマの用い方も、途上国はカラシミコフ銃だが、我が国ではネットテロやSNSでの誹謗中傷などである。後者にカラシミコフ銃を持たせたら、躊躇なく市井や政治家に発砲するのではないか?

 問題の解決については、それでも途上国の方が我が国より平易だろうとは思える。通貨価値もあり、同じ1万円を使うなら、途上国の方が我が国よりより多く(2~3倍、あるいは10倍)のことができる。

 途上国で彼らがスマホに頼るのは、それが唯一の情報知得手段だからだが、より偏屈で精神的に捩れ曲がった氷河期ニートはそうではない。なので、平易な方から解決に取り組むのが良い。先にも述べた通り、氷河期ニートに使う1万円は、彼の国では10万円である。より多くのことができ、より効果的な手段を用いることができる。

 これは双方にメリットのある枠組みになる。途上国では労働力の質の改善と社会的孤立の解消が期待でき、おそらく出生率にも好適に作用する。我が国はこの問題につき、現地で多くの知見とノウハウを得ることができ、加えて、身元が保証された信頼できる外国人を移民として受け入れることができる。現地で得たノウハウを社会改良に用いれば我が国の社会の質も向上する。日本で機会のない人間が海外に出て活躍することもはるかに平易になる。

 特定の外国人の受け入れや定住化を中国人など他の外国人より優先することは、その国の国内政策の問題で、ここで外国人を我が国との関わりの程度で差別したからといって、国際的に非難される筋合いはないものである。国内における反発もはるかに摩擦少なく小さいものが期待できる。

 国を跨いだ問題というと、環境問題とか地球温暖化など分かりやすい問題がまずイメージされるが、そういった問題を引き起こすのも人間である。もう少し視野を広げてみれば、共同して対処できる問題はまだまだあるように見えるが、これを国民に説得するにはまず成果を挙げることが肝心である。

 こういう話だと、年齢的に若く、知力体力に恵まれた国際海外援助隊員みたいな面子がまずイメージされるが、これは援助ではなく戦略であり、施策の内容を考えれば、必ずしも日本人が出張って現地指導の必要もないように思える。方策は様々が考えられる。

 A国とB国で共通する課題を見出し、共通する内容を強調し解決策を示唆することはそれなりの規模の人員を雇用すべき、立派な戦略的機関の仕事である。地球ないし人類問題対策庁など提案してはどうか。作ればそういう機関は(国連を除けば)我が国にしかないから、我が国が全人類のその種問題のメッカとなる。ただし、国連と違い、まず我が国の国益に奉仕する点が異なる。

 今回は割と取り組みやすく見える「社会的孤立」に的を絞ったが、個人的には小川氏の(数多い)提案には首肯できる部分が少なくない。が、これを空中楼閣ではなく実現可能な提案にするには、上に書いたようなことも考えた方が良いのではないかと思った。まずはNPOなど国に面倒を掛けない在り方から、次いでより大規模な施策に耐えられる理論的基礎の構築を。別に野党だからやって悪いという話ではない。