温泉で有名な伊東市の市長が学歴詐称していたということで話題になっているが、「東洋大学卒業」が騙るに値する学歴なのか、少なくとも選挙中に連呼して当選に寄与するものには見えないだけに、現にそんな主張はしていなかったようだし、それは詐称は悪いが、話題にするほどのことかと思わせる。
彼女の学歴については大学に照会するなり卒業証書を見せれば済む話であるが、例えばキャンパス生活があまり意義のあるものでなく、むしろ不快な経験であった場合、卒業証書を破り捨てて廃棄していることも考えられる。
卒業証書は見たことはないが、権利証(現在は登記識別情報)なら、目の前で破り捨てて破棄したという事例なら見たことはある。そういう場合は本人確認というやや面倒な手続が必要だが、詳しくは聞かなかったものの、怨讐は深いものがあったはずである。伊東市の市長の場合も、そういうものが絡んではいまいか。
※ こうなるとプライバシーの問題にもなるので、「公人だから」という理由一本で吊し上げ(公選法235条)にして良いものかということになる。
ここでハタと気づくのは、学歴はともかく、政治家は実績が大事のはずで、ここでこの市長につき、彼女の「業績」を語る言葉が何も思い浮かばないということである。よく調べれば、それは何かあるだろう。しかし全体として、政治家としての彼女を立体的に表す言葉が絶対的に不足しているのである。
事績を表す言葉は簡潔なものでなければならない。簡潔でなければ受け止めることができず、これには単に文理的な意味だけでなく、事実に裏打ちされた公平な評価と言語体系(システム)が必要だ。だが、こと政治については、そういうものが皆目見当が付かないのである。支持政党に尋ねても分からないのではなかろうか。
見当がつかないばかりでなく、むしろ意識的に開発してこなかったのではないかとさえ思わせる。例えばつい先日、ある政治学者のサイトでどこかの学者が参政党の支持者のことを「被害者意識コンプレックス」と揶揄する言動があった。彼らが立憲民主党を支持するのは別に良いが、私としては彼らのワキの甘さが気になった。
なぜワキが甘いかというと、「被害者」認定するなら、そういう人間に想定される行動について、この社民党のインテリにはまるきり想像力に欠けていたからである。もし参政党の支持者が「被害者」というなら、本物の「被害者」、犯罪被害者や交通事故の被害者を見てみるがいい。それは正当な要求もあるが、嵩に掛かるとはこのことで、被害者であることを良いことに明らかに不当な要求、圧力を掛けてくる例などザラだ。少なくともこういう「被害者」が、受けた被害以下の要求しかして来ないことはまずありえない。
これに比べれば、参政党の「被害者」たちの行動は、大体において礼儀正しく、主張も控えめで、「被害者」としては誠に殊勝だとは現在でも言えるものである。先のガクシャも「被害者意識」などと言の葉に載せるなら、想定すべきは参政党支持者の寛容さに甘えるのではなく、「本物の」被害者が取るはずの行動とその対策についてだろう。
ここでは選挙に正当性の契機に関わる前国家的、自然法的な部分が絡むことが問題になる。これは罰金を払えば良い交通違反切符の世界ではなく、一言で言えば何でもありである。刑罰の歴史など紐解いてみれば良いだろう。もっとも原始的な形態は引き渡しとなぶり殺しであった。処罰感情や損失を「政治的責任」では充足し得ず、賠償も機能しないというなら、それも仕方あるまい。
それをされないと思っているあたりですでに言葉の誤用があるし、本物の参政党にしても、アメリカでトランプがやっていること以上のことはたぶんしないと思うから、これは「被害者意識」あるいは「コンプレックス」という言葉を充てることが間違っているのである。違う表現を用いるべきだ。
が、ここで気づくことになる。政治運動を説明しようにも、日本語のこの項目にはポッカリと穴が空いており、実に貧しい語彙しかないことに。その上、知らず知らずのうちに安保闘争時代の術語など使ってしまい、これは誤解され、さらにまずいことになってしまうことさえある。「忖度」という言葉が人口に膾炙したのも、裏を返せば、この分野における実用的な言葉の少なさの裏返しである。
いずれにしても、伊東市の女性市長に非凡な事績があったとしても、10年後ならともかく、現在の時点で端的に説明する言葉がないことは確かだ。「被害者意識」にしても、明らかに不適切な当てはめであるにも関わらず、言葉と現実との食い違いは粗雑に無視してきたのが実情だ。そしてこのことが問題だとは、今のところ、識者は誰も思っていないようだ。
「誤解です」は東大生の常套句である。公務員試験とか司法試験なら「撤回します」で済むだろう。だが、胸ぐらを掴まれ、首筋に刃が突きつけられている状況でそれが言えるか。自分の語彙力の少なさと思慮の浅さが生死に関わることになったなら、ヘナヘナと妥協するより仕方がないのではないか。ここでは「誤解」も「撤回」も許してはいけないのである。もし政治家がそれを発したなら、その人物には投票すべきでない。
※ IS(イスラム国)などをイメージすると良い。
実の所はどうなのかと思ったので、先週の日曜討論で立民代表として出演していた小川淳也氏が本を書いたというのは取り寄せて読んでみることにした。別に私は彼の主張や政策には関心はない。政治現象や民衆現象を正しく捉え、的確に表現し得ているかということのみ関心があり、たぶん出演者の中では折り目正しい秀才で、知力も相当であろう彼にして、古めかしい語彙で、陳腐で珍怪な表現しかできないというのであれば、見たところ番組には彼以上の論客はいなかったようなので、後は推して知るべしということになる。怠慢の罪は重い。