先にストーカー男と乙女の比喩でウクライナ戦争を論じたが、トランプ政権は停戦につき従来とは異なるアプローチを取っている。バイデン政権は加勢であった。が、トランプ氏の「ディール」は一部には見るべき所もあるものの、政権の知識のなさ、トランプ氏自身の戦略眼の欠如により、進展は捗々しくないものになっている。

 先の検討で戦争を止揚するにはウクライナを援助するのみならず、ロシアの視線を「逸らす」ことが必要だと書いたが、現在までの様子を見るに、トランプ氏はここでも大きな間違いを犯しているといえるだろう。


1.求めるべきは停戦ではなく完全撤退

 トランプ氏は鉱産取引を軸に現在の戦線での停戦を呼び掛けているが、ロシア資源へのアクセスの条件に停戦仲介を求めたのはロシア側である。

 ここで先の検討を思い返すと、この戦争はロシアにとっても「バツの悪いもの」という認識である。ウクライナと戦闘しつつ資源開発するというモデルはロシアにとっても具合悪く、加えて経済制裁下では産出した資源は輸出できず、開発は進まない可能性がある。ロシアが戦争終結を求めるのは彼らとしては当然のことである。

 「視線を逸らす」アプローチでは、そもそもロシアがウクライナに固執するのは軍を侵攻させ、該国の一部を占拠しているからである。それに侵攻自体国際法違反の侵略戦争で、ポツダム宣言は旧ソ連も批准していたことから、これはロシアでも言い訳できないものである。これを除去するには、ウクライナとの関わりを完全に断つ以外にない。

 なので、求めるべきは停戦ではなく完全撤退であった。国際法上認められた2014年の線まで退らせれば、ロシアとウクライナの関わりはほぼなくなり、ウクライナに対するロシアの執着も氷解するものである。それ以外の立場では戦争の解決はまず不可能だろう。

 ロシアの視線を逸らす方策としては、ウクライナからなるべく遠い地域、東シベリアやアラスカが適当な場所である。地球温暖化の影響で北極海航路が取り沙汰されているが、露米合同によるアラスカ・東ユーラシア開発は戦争を終結させるのみならず、カナダやグリーンランドにおけるアメリカの問題をも解決するものである。

 現在のトランプ氏のアプローチはウクライナに割譲や政治的妥協を強いるものであるが、的外れである。ロシアに報奨を与えるのではなく、ロシアがウクライナに興味を失うよう仕向けることが必要で、現在までの所、それができる資源と実力を持つのはアメリカ合衆国だけである。


2.国際法主体としてのウクライナの主権を認める必要

 トランプ政権の現在のアプローチはウクライナの現政権に内政干渉し、不利な取引を押しつけ、意に沿わない大統領の解任を画策するなど一国に対するにひどく敬意を欠いたものである。そしてこれはウクライナの立場を弱くすると同時に、合衆国の交渉力をも低下させている。

 「視線を逸らす」アプローチでは、こういう交渉方法は推奨できない。むしろウクライナに完全な主権を認め、それに立脚して交渉することが最も立場の強い方法である。領土や国民、主権については一歩も譲らず、両国を対等な国家として遇する姿勢を崩さないことが大事である。

 それにより両国の境界が自ずと明らかになり、ロシアは戦争を放棄するという選択が可能になる。加えて終戦を条件に先に挙げた辺境開発などを報奨として与え、制裁を解除すれば、ロシアは自尊心を傷つけられることなく、戦域からの撤退が可能になるだろう。

 ウクライナの主権については、手を加える必要はない。手を加えれば必ずロシアとの問題になり、それで戦争が長引くことはあっても、終わることはないからである。交渉においては、2014年の主権を堅持して譲らないことが最も立場の強い交渉方法である。

 ウクライナのNATO加盟については、現時点では手を付ける必要がないように見える。NATOは元々対ソ戦略のための軍事同盟であり、組み入れた時点で対決構造が生じることから、これは時期を見てで良いものである。


3.財政破綻、賠償問題、縁故政治の計画的解体

 戦争が終わっても問題が残ることとして、戦役中のロシアは戦時ケインズ経済で軍需産業以外の産業は機能停止し、軍需産業も終戦により破綻することが予想されることである。2024年のロシアの経済成長率は4.1%であるが、全て官需であり、実質的にはマイナスである。石油価格も下落していることを見れば、現在のロシアは官需が貯蓄を収奪する共食い状態にある。軍事的には強大に見えるが、実際には空洞化が進んでいる。戦争の終結による財政破綻と社会の不安定化が為政者の最も恐れることである。

 ウクライナにしても、戦争による被害は1兆ドルに達し、これは凍結したロシアの在外資産3千億ドルで穴埋めしてもなお不足するものである。またこの凍結資産は戦費への充当が予定されており、復興に充てられる金額はさらに少ない。終戦してもロシアが賠償に応じられる状態でないことを見れば、これも手当が必要なものである。

 ただ、両国とも経済規模はEUやアメリカほど大きくなく、これらの国にとっては復興資金の確保はそう難しくないものである。加えてウクライナはEUの指導により改革が進んでいる。移民を入れるなど環境の変化はあるだろうが、ロシアよりは平易な相手である。

 ロシアの場合は、オリガルヒと権威主義的政治がやはり足枷となる。エリツィン時代においても、これらの存在により核兵器の廃絶や民主化など西側諸国が画策した方策はうまく行かないものであったし、整った計画もなかった。朽ちた原子力潜水艦や核ミサイルに怖気を振るった各国はそれらの始末に手一杯で、援助の多くが不正に蓄財されたこと、核技術者が多く流出して核保有国が急増したことなどに対する手当は不十分であった。そして援助の停滞はプーチンの台頭を促した。

 これはやっぱり長期的な計画が必要なものだろう。ロシアに民主主義に適合するポテンシャルがあることは、旧ソ連であるウクライナがほぼ完全に民主化したことを見れば明らかであり、計画さえ良ければロシアをより良い国にするチャンスはある。ソ連崩壊後の失敗を繰り返してはならない。

 手始めには、国内格差の是正から入るのが良いと思われる。援助の条件とすれば良く、都市部と辺境部で60倍もの所得格差があることが、今でもSVOへの志願者が絶えず、侵略を続ける原動力になっていることを見れば、再配分メカニズムをきちんと機能させることが同国の侵略傾向を改善し、政治経済の立て直しにも助けとなることは明らかなように見える。それに問題の地域は人口が少ない。開拓には大量の植民が必要なことを見れば、戦争なんぞやっている余裕はないことは明らかである。


4.まとめ

 少なくとも上述の三つの柱を基礎に交渉を行えば、トランプといえども成功したのではないかと思えるが、そうならなかったことは見ての通りである。きちんと安全率を取り、ポイントを明確にして交渉すれば、イデオロギーの相違は問題にならず、プーチンとゼレンスキー双方に納得の行く解決はできた可能性があるが、特使に人を得ていなかったし、無知につけ込まれてロシアに操られているような様子では戦争の解決などとうていできるものではなかっただろう。

 伝え聞くところによれば、ウクライナ戦争においては国務長官のルビオは蚊帳の外で、親ウクライナ的とみなされたケロッグは脇に追いやられ、トランプの友人のウィトコフが中心とのことだが、このウィトコフという人物、元は企業弁護士だが、口答えしないのが取り柄という人物で、そこをトランプに気に入られ、引き立てられたものらしい。もちろんロシアや中東については(彼はロシア・中東担当特使である)何の知識もない。終戦交渉はウィトコフ、実際には背後にいるトランプが取り仕切っているようだ。

 何の期待もできないが、複雑になりすぎたように見えるこの戦争も、見方を変えれば方策がないこともないように見える。が、関わる役者がこうも大根揃いでは、上記のようなことは書くだけムダだろうが、隠すほどの内容でもないので、とりあえず書いておく。

 あと、戦争犯罪については、ウクライナやガザで行われたことは紛れもない戦争犯罪だが、この種の犯罪は歴史的には勝者の裁判である。革命や政変などが機会となるが、被害者は証拠を蒐集して備える必要はあるものの、より優先する課題がある場合、外交においては優先順位はそう高いものでもない。しかし、トランプ政権が現在しているように検察部局を解体して証拠を散逸させるものでもない。時期が来れば処罰の可能性があることから、トランプ氏の行いはむしろ戦後国際法秩序に逆行するものであり、後世の批判に耐えず、これは誰のためにもならないものである。

 

(補記)

 この辺書いてみようと思ったのは、先にプーチンが対独戦勝記念日の5月8日を境に72時間の停戦を提案したことである。聞くところによると第二次世界大戦の参加者はロシアでは7千人、ウクライナでは4千人が存命であり、年齢的に多くは百歳以上だが、ロシアでは長時間の式典に耐えられる健康状態の持ち主を探すのに苦労しているようだ。通例、これらの式典で最高司令官の脇に侍るのは参謀将校や政治士官など旧ソ連でも特権的な階級の元士官だったが、そのような者は存命しておらず、式典の主催者も選り好みはできない様子らしい。

 

 人口比で見るとウクライナの方が存命比率が高く、これは先の戦争でもウクライナのコサック兵士がソ連軍の中核兵力として多大な貢献をしたことが挙げられる。停戦するなら今すぐすべきだとゼレンスキーは提案を一蹴したが、こういったイベントが両国の共通言語になると考えたプーチンには、この問題を読み解く鍵があるように見えたことがある。「視線を逸らす」アプローチで検討した内容では、彼のウクライナに対する感情は愛憎渦巻くかなり複雑なもののはずである。