オフの時間に書いているので、長いのとか複数回とかは睡眠時間を削るしかないのだけど、一週間続いてもう限界だとなる。が、5日から始まったクルスク決戦、いよいよヤマ場のようである。
12日にスジャを占領したロシア軍とDPRK連合軍だが、ウクライナ軍の反撃で戦車など重甲装備をほぼ失い、本隊はスジャの東方ミハイロフカに退いたため、12~14日は小康状態で、その間に両軍は兵力の再編成を進めていた。ウクライナ軍はスジャを離れ、より国境寄りの陣地に退いたが、詳しい場所は不明である。
12日の視察ではプーチンは参謀総長ゲラシモフを同伴させており、テレビカメラの前でウクライナ軍を殲滅し、スームィまでの攻略を下命している。これは前日に行われた米ウ和平会議を横目で見てのものだが、控えめに言って、昨年以降のクルスクにおけるロシア軍の対応は南のポフロフスク攻略を優先させた二次的なものであった。ゲラシモフは現在のロシア軍の総責任者である。その後、プーチンは婉曲な表現でアメリカから提示された和平案を拒否している。
※ クルスク戦がウクライナ戦争全体を左右する決戦に格上げされた瞬間である。
戦いぶりを見るに、810旅団などスジャ攻略に当たった戦力は増強されていたが内実は必要十分というもので、ウクライナ軍を領外まで撃退するには力不足に見えた。やはりスジャの半ばで力尽きたが、それまでの反目もあり、ゲラシモフがどういう措置を取るかには注目していた。最高司令官(プーチン)の命令である以上従わなければならないが、実はそのありようはおおよそ予測のつくものであった。
予測できる対応は二つあり、①一つは消耗した810旅団に相応の兵力を送り、810旅団を増強、あるいは交替してDPRKなどと共に正面からウクライナ軍を攻撃してこれを打ち破るというものである。
②もう一つの対応はワグネルやDPRKに対する忌避感から、スジャとは全く別の場所に司令部を置き、スジャ部隊には適当な増援をしておき、別ルートからウクライナ領に侵攻するというものである。
15日に戦闘が再開されたが、どうも見るところ別ルート案②のようである。ウクライナ軍の左翼、北朝鮮部隊がバイクで侵入を繰り返しているネベンケに大部隊集結の情報があり(ゼレンスキー)、ゲラシモフはクルスク方面軍は無視してスームィ陥落を狙うようである。同様のパターンは一昨年にワグネルを嫌って布陣したヴフレダルで見られたものである。部隊の指揮を総司令官自らが執るかは定かではない。
現在の様子を図に描くとこんな様子になる。
3/15の両軍配置図
ウクライナ軍はスジャを完全に放棄したが、規定の作戦であると思われる。ロシア軍は増援を受けたと思われるが、戦略が上の通りとすると必要十分程度で戦車などは少ないと思われる。想定される増援についてはまだ投入されていないが、進路を矢印で図示している。
※ 戦車は数が貴重なのでワグネル軍や朝鮮人には送りたくないと考える。古いロケット砲や旧式の装甲車あたりではないか。
ロシア増援部隊は図示したネベンケのほか、ジュラフカ、ボロドミハイリフカ、テトキノなどからの同時侵入も考えられる。現在の北部方面軍の戦力で迎撃は至難だが、ロシア領ではなく自国領である。事前に構築した要塞や、クルスクから後退した主力部隊と併せ、ある程度は持ちこたえると思うが、これはロシア軍の戦力がどの程度かによる。ウクライナ軍が成功する可能性はあまり高くないだろう。スームィも失陥するかもしれない。
※ ゲラシモフの性格からすると、ネベンケよりももっと遠方、スジャのロシア軍と連絡のない60キロ遠方のテトキノあたりに布陣しそうである。そこからスームィに向かい、追走するスジャ部隊とスームィに退いたウクライナ軍を包囲する作戦かもしれない。
ただ、これが昨年にクルスクに侵攻したウクライナ軍のそもそもの狙いだったのである。それなりの戦力をこの方面に割いた場合、現在の最激戦地ポフロフスク周辺は間違いなく手薄になる。トレツクやリマンといった他の戦場も同じで、ロシア軍は分散し、戦線あたりの密度は低下する。攻勢作戦に必要な3対1の戦力比は維持できなくなり、個々の戦場では勝利のチャンスも生まれる。
ポフロフスク周辺
現にポフロフスク戦線ではそれがなくても戦意が低下し、装備も多く失ってロシア軍は補給都市の包囲を完遂できないでいる。半年掛かって3分の1包囲が半包囲に変わった程度で、チャシフ・ヤールなど個々の戦区では敗北も多く喫している。戦力比の低下はロシアのウクライナ征服作戦全体に大きな影響を及ぼす。クルスクでは勝っても、戦争全体では勝てなくなる。
ゲラシモフとプーチンの関係は、開戦当初のインナーサークルの一員、ショイグとパトルシェフが失脚しても生き延びているあたり、見た目よりも複雑なのではないかと思われるが、そもそもこの侵略戦争はこのゲラシモフと彼のフルンゼ陸軍大学(ロシアの東大に比肩する軍のエリート学校)時代の後輩ドヴォルニコフによって立案され、ドヴォルニコフの南部管区軍が実際の中心であった。
※ そういう理由から南部管区軍の指揮官の死亡率は異様に高く、大佐以上の指揮官のおよそ半数が戦死または負傷により更迭されている。
※ ドヴォルニコフはウクライナ方面軍司令官に昇格した後、セベロドネツク攻略の不手際でスロビキンと交替で更迭されているが、彼の南部閥は各管区軍の司令官に抜擢され、本人はともかく派閥自体の影響力はまだあると考えられる。ワグネルの乱で失脚したスロビキン同様、現在の消息は不明である。
戦争ではロシア軍内部の派閥抗争といった部分が垣間見え、その点、名声のある戦略家で初代の西部管区軍司令官であり、以降の幹部人事をさんざんに引っ掻き回して再起不能にした(ロシア軍にプーチンに刃向かう勢力がない理由である。上級将官はフルンゼ陸軍大卒はゲラシモフとドヴォルニコフの二人しかいない)ゲラシモフはまだまだ利用価値のある人材なのかもしれない。エリートではあるが、プーチン政権自体は民衆のエリートに対する反感を支持の源としている。
ショイグはロシアの僻隅トヴァ共和国の酋長の家の出身だが、頼りにしていた傭兵部隊や辺境出身のロシア兵が枯渇したことで影響力を失った。戦争により、極東シベリアのこれら自治共和国の若年者の死亡率は異常なほどに高く、若者がいないため出生率も極低で、放っておいても滅びそうな勢いだ。一説では出征者の80%が死ぬか回復不能の重傷を負ったとされる。パトルシェフはプーチンのドイツ時代の同僚という以外これといった取り柄のない人物である。ワグネルの乱で失脚し、最近は老化症状による衰えが著しい。
そういったものだとすると、ゲラシモフのいじけた計略はプーチンには想定の範囲内というものかもしれない。ゲラシモフが南部での勝利を見送ってネベンケ郊外に大部隊を集結させれば、クルスクからのウクライナ軍撃退はほぼ確実なものになるが、この軍隊を動かすかどうかはまた別の問題である。それに動かしても必ず勝てるとは限らない。
※ 停戦を勧告されながら大軍で侵攻したことでロシアの侵略傾向が全世界に明らかになり、トランプとの関係が修復不能になるリスクもある。すでに支持低下しているトランプとしては(いかに彼がプーチンびいきでも)ロシアのこの行為は見逃せないものになる。また、派兵できる兵力には限度があることから、動かした途端に大損害を受けることもあり得る。
※ これはプーチンにおけるアメリカ大統領の有用性、ロシア軍の現状、悪化している国内の経済状況など、ロシアの限界を測る試金石になる。彼が戦闘せずに停戦に応じるなら、ロシア国内の状況は見た目よりも厳しいということである。
そろそろ外交の出番であるように見える。近代になってからの戦争で、戦場で決着が着く例はごく少ない。