12日のロシア軍のスジャ入城を見て、はるばるモスクワからプーチン氏とゲラシモフ参謀長がクルスクに来訪し、ウクライナ軍を領内まで追撃してさらにやっつけるよう下命したが、このことでもあるようにウクライナのクルスク作戦はスジャの陥落で終わったというのが大方の見方だし、昨日は私もそう思ったものである。


※ このプーチンの指示から、どうもロシアはルビオらの停戦案には応じそうにないことが分かる。


ディープステートの地図

 ところが、勇士はほんとには死ななかったようなのである。参謀本部やディープステートの最新の地図では、確かに市役所含む市の中心部はロシア軍との戦闘地域・占領地域になっているが、西半分はまだウクライナ軍の管制下にあり、これはTASSの報道にあるように、ウクライナ軍がマリャ・ロクニャから敗走を続け、司令部も引き払って市街地から逃走したわけではどうもなかったみたいなのである。


スジャ中心部の航空写真

 そこで航空写真を見ると市役所の西にはいかにもな森林と、これもウクライナ軍の好きそうな大規模な穀物サイロがある。おそらく司令部はここに移動して戦っているのだろう。10日~12日の後退の早さから潰乱かと思ったが、マリャ・ロクニャの守備隊は本当にそうだった可能性があるが、どうもスジャの本隊は秩序だった戦闘を今も行っているようなのである。

 それでもここまで追い詰めたのだし、あんな倉庫は滑空爆弾で司令部ごと木っ端微塵にすればと思うが、現に30発ほど落としたが、最近の滑空爆弾は当たらない。ウクライナはここ二年でジャミング技術を飛躍的に進化させており、以前は1発落とせば爆破できた目標に4~5発が必要になっており、簡単ではないみたいである。



 保有していた戦車・装甲車もスジャ市街に突入するまでに使い果たした。現在までにクルスクのロシア軍は戦車44台、装甲車120台を失っており、これはほぼ1個旅団の装備に相当する(実際のところは編成の違いなどあり良く分からない、戦車は3個大隊戦術群相当)、12日以降は撃破数も激減しており、他の戦区もあるが、810旅団は装甲車両をほとんど失ったようだ。DPRKが1個大隊を失ったという情報もある。

 こうなってくると「終わった」報道とは違い、スジャの完全制圧は困難で、補給線を断って撤退に追い込むことがあるが、これはどのくらいの物資を搬入していたかによる。また、アメリカの援助停止が解除されたことがあり、スームィなど後方からHIMARSで攻撃される可能性もある。以下は情報を元に当方が作図したもの。



 ウクライナ軍左翼はジュラフカからノベンケに至る長い戦線で国境警備隊を中心に防備を固めている。ロシア軍はノベンケを中心に小集団で補給線であるR200号線、中間基地のユナフカの攪乱を試みているが、ウクライナ軍に阻止されている。右翼はDPRKの抑えとして配されていたグエボ村の部隊で、これはDPRK①と交戦している。

 クルスク作戦軍の本隊はマリャ・ロクニャやマフホブカの敗兵を収容し、スジャ西部でなお交戦中である。ロシア軍はマトロノフカ村に進出した810旅団本隊のほか、マリャ・ロクニャでウクライナ軍を敗走させたDPRK③、DPRK①と共に6日から行動し、予備隊と交戦して一度退いたが再編して再度マクノフカに侵攻したDPRK②部隊がある。総兵力は推定2万。

 見ての通りウクライナ軍は左右両翼がやや離れているので、隙間から攻撃すれば補給線を分断して中央軍は撤退に追い込めるが、現在までのところ、ロシア軍にそれだけの集団は構成されていない。また、ウクライナ軍もジッダ会談後は撤収を予定していたらしく、戦車や自走砲、MLRSなど重装備は後方に退げられている。スジャに残存する兵力は不明だが、数千程度と思われる。

 810旅団も含むロシアの北部方面軍は全滅した海兵旅団や空挺部隊、元ワグネルにチェチェン軍など雑多な兵力の寄せ集めで、これまでの戦いで推計6万を失ったとされる。戦線の後方にも部隊はあるが、旅団でも実兵力は数百人しかないなど当てにできない部隊が多い。155旅団も先月壊滅し、その中では810旅団は比較的兵力に恵まれていた方だが、これも何度も壊滅しており、つい最近まで戦力ゼロ評価(ISW)だった部隊である。頼りになるのは装備はロートルだが員数だけは多い(1万4千人)朝鮮人民軍で、5日からの様子を見てもドローンや滑空爆弾などあるが、実兵力では主力であるDPRK主導色の強い戦いである。マラヤ・ロクニャでウクライナ軍が敗走したことは、ドローンと朝鮮兵の相性の悪さがあった。

 現状ではまだ先行きは不透明だが、この様子ではプーチンが指図したスジャ完全制圧やクルスク州の解放、ウクライナ領内の緩衝地帯の設置は難しいものに見える。ゼレンスキーのスジャ・カードはまだ失われておらず、ロシア軍が守備隊を駆逐してウクライナ領に達するには、まだまだ時間が掛かりそうである。



 たぶんプーチンという人はトランプに比べれば人の話は良く聞くし、専門家の意見も尊重するのではないだろうか。上記のような状況もレクチャーを受け、簡単でないことは理解していたはずである。そこでクルスク視察に参謀総長・ウクライナ派遣軍総司令官のゲラシモフを随行させた意味がある。この人物は現在はロストフにおり、クルスク作戦にはほとんど関与していなかったし、実は関心もなかった。

 ゲラシモフとワグネルの反目はおよそ侵攻当時からのもので、このロシアの正統派軍人はプリゴジンや国防相ショイグが仕切っていた私兵集団をあからさまに嫌っており、共同作戦さえ忌避する様子だった。プリゴジンとワグネル没後に私兵集団の行末が問題となったが、元私兵の正規軍への編入を拒否し、新編成の軍団として元ワグネルのほか、ストームZやブチャ虐殺でウクライナ軍に目を付けられ、さんざんに壊滅させられた部隊などを加え、ロシア軍の兵隊やくざ、本軍とは別の軍団として編成したはぐれ者の集団が北部方面軍である。

 なお、ロシアでは敗残部隊の将兵は帰還が許されないらしく、部隊も補充を与えられて戦場に留まることが多くあり、編成の不揃いや練度不足から再度壊滅する例が少なくない。また、捕虜交換などで帰還した帰還兵もそのまま実戦部隊に送り込まれ、再び出陣して死ぬまで戦わせるようである。ロシアの北部方面軍は生きて虜囚の辱めを受けることを拒む、元捕虜の誇り高い兵士のほか、最近ではチェチェン兵や北朝鮮兵が加わり、日本では大坂の陣の豊臣方みたいな内情になっている。

 そういうわけで、南部にいたゲラシモフは南のロストフで燦々と日光浴をしながら、北部方面軍の諸部隊がどんなに壊滅、全滅、大苦戦しても無視を決め込んでいたが、プーチンはテレビカメラの前で総司令官にスームィまでの制圧を命じ、いくら彼がサボタージュを決め込んでいてもやらないわけにはいかなくなった。本軍のある南も士気が沈滞し、戦況は決して良くない。

 今までも似た状況はあったが、プリゴジンを蛇蝎のごとく嫌い、ワグネルを憎むこの人物は言を左右にして決して助けなかったことがある(ワグネルの乱でさえ!)。今回もたぶんそうだと思うが、彼の立場では、とりあえず失った程度の戦車は増援に送る。あるいはポフロフスクほかで前線攻勢を強化するという選択がある。後者を採る可能性が高いが、それでも元祖ハイブリッド戦術、我が国の自衛隊にも招聘され、戦争が始まるまではロシアが誇る世界的な戦術の大家、ヴァレリー・ゲラシモフである。スジャ陥落の戦略的意義を理解していないとは思えず、ここは耐え難きを耐えて最新部隊を送るかもしれない。ウクライナ軍が撤収を判断するとすれば、たぶんその時点だろう。

※ ゲラシモフは戦争が始まってしまうと狷介な性格による人望のなさや、視察と称して前線に出たらロケット弾に被弾する運の悪さ、ベルゴルドで少将をしていた甥に電話したらウクライナ軍に逆探知されて甥が狙撃されて死亡したり、プリゴジンを嫌って布陣したヴフレダルでは戦車200台を失って敗戦するなど指揮能力にも疑問符が付いており、兵士に人気もないことから、最近では顔も見なくなり、粛清説も流れていたが、どうもロストフにいるらしい。

※ ワグネルの乱でも、プリゴジンとは同じ空気を吸うことさえ嫌っていたこの大将軍はモスクワに向かって進軍するワグネルの一団を見てもほとんど何もしなかった。その間にロシアでも貴重な空中指揮機は落ち、100万都市のヴォロネジは制圧され、ヘリコプターも撃墜されたが(同時期のウクライナ軍よりワグネルが撃墜した航空機やヘリコプターの方が多い)、それも我関せずで、当然プリゴジンとプーチンとの会見にも同席せず、そのため失脚説が流れたが、写真を見ると今も地位は安泰のようであり、ラピンやスロビキンのように階級章の星の数が減っていたということもなく、プリゴジンも後に墜死したことから、別にどうということはなかったらしい。

※ 今までがこうであったとすると、彼が援軍を送らないことは十分考えられる。



 それにしても、かなり奇妙な戦いであった。そもそもなぜこの時期に攻撃したのかについては、ロシア軍が攻撃をクルスク一択に絞ったところといい、戦いではウクライナ軍もDPRKもどちらもミスを犯したが、そういう戦術レベルではない、それ以上の要因があったように見える。

 ジッダでの交渉の様子を見るに、ゼレンスキーとルビオはロシアを停戦合意される見返りとしてスジャ・カードを用意していたように見える。提案がいつ頃出てきたかは定かではないが、たぶん、スジャへの補給線の攪乱が問題になり始めた頃だろう。概ね一月ほど前の話だが、私が思うに伏せていたこの提案が半月ほど前にロシアに漏れていたのである。それでロシアはクルスク放棄の意図を知り、機先を制して急いでクルスクを攻めたのである。

※ プーチン的には条件としてクルスク撤退を提示された場合、トランプへの配慮から、断ることは難しいと考えたかもしれない。そこで先に取り除くことを考えた。

 それでも通常の防禦態勢なら、スジャのウクライナ軍はDPRK込みでも810旅団程度の攻撃は防ぎ切っただろう。そうはならなかったのは重火器の移転など退却準備がロシアに知られており、さらに810旅団など攻略に当たった部隊がチェチェン軍などで増強されていたことが知られずに済んだことがある。そのためこれらの部隊に振り当てられたウクライナ軍の兵力も僅かで、それが防衛線の突破や一部の戦線崩壊に繋がったことがある。つまり、情報がホワイトハウスから漏れていた。戦術レベルで勝敗を決する前に、戦略レベルで著しく不利だったのである。

 ウクライナ軍の編成や装備、作戦計画などもっと重要な情報まで漏れていた可能性がある。ことスジャ攻略戦においては、アメリカとロシアは手を組んでいた。

※ 作戦の前後で大統領令によりマクスター社の衛星画像情報の提供が禁止されたが、この民間会社は高精度な撮像装置を持ち、ウクライナ軍も個別に契約して情報を入手していた。スジャ攻略にチェチェン軍など増援が送られたことは確かなので、提供の禁止はこれら増援部隊の集結をウクライナ軍に察知させない目的もあったと考えれば筋が通る。なお、提供は戦闘の帰趨が見えた後に再開されている。

 私がウクライナ軍の参謀ならまずこれを疑うし、これは戦いの経緯を観察していた欧州や諸外国の作戦参謀も同じだろう。アメリカに渡す情報は今後は慎重にならざるを得ないし、そういう措置はたぶん、トランプが大統領である限り、どこの国もたぶんすでに行っていると思う。

 昨日にも書いたが、クルスクでの敗戦について、司令官シルスキーは方面軍司令官を解任し、理由は説明されなかったが防衛体制の不備によるものと噂されている。が、解任されたクラシルニコフ少将の言によると、少将は2024年の1月には方面軍司令官の任を離れており、後任が任命されていたことから、解任はおかしいという話である。ウクライナの人事制度には不可解な所がたまにあり、戦闘に影響のない、無任所司令官の解任にはそれなりの政治的意味があったはずだが、現時点では良く分からないものになっている。

 

※ ウクライナでは解任された人物がほとぼりの冷めた頃にしれっと復活したり、何事もなかったかのように勤務を続ける例がままあり、クラシルニコフについても実情が分からないと何ともいえないものがある。当方の推測ではクルスク派遣軍はウクライナでも戦闘経験豊富な有能な指揮官が多いことから、彼らがゼレンスキーの逆鱗に触れて解任されないように、クラシルニコフはシルスキーがあらかじめ用意していた詰め腹将軍だったと考えている。